恋愛SF『レディランサー アグライア編』3章-2
3章-2 アレン
アンヌ・マリーはぼくの首にすがりつき、熱い吐息を洩らす。
「そうよ、あなたはわたしだけのもの。最初から、そう決まっていたのよ。運命に逆らっちゃだめ」
その通りだ。これ以上、何ができる。
市民社会を捨て、辺境の宇宙に出てきたのも、アンヌ・マリーがそう望んだからだ。ぼく一人なら、こんな真似は絶対にできかった。
ぼくは凡人だ。堅実しか取り柄がない。カティと付き合っていた学生の頃は、普通に卒業して、普通に働き、普通に家庭を作ることしか考えていなかった。
だが、アンヌ・マリーと出会った時に、全てが変わった。正確に言うと、アンヌ・マリーがぼくを欲した時に。
それはアンヌ・マリーが、双子の姉妹のカティに、強烈なこだわりを持っているからだ。
嫉妬なのか、反発なのか、それとも、ひねくれた愛情なのか。
とにかく、縫いぐるみや子犬、曾祖母から譲り受けた宝石、しまいには恋人まで、カティ独自の持ち物は全て横取りしたいという歪んだ熱情が、アンヌ・マリーにはあった。あらゆる尺度で、姉と張り合いたいのだ。最初から双子として、等分の愛情は受けていたはずなのに。
「だけど、こんなに大慌てで、カティを迎えに行くんだもの。子供を産ませてやるつもりでしょ?」
アンヌ・マリーはきつい眼差しで言うが、ついさっきまで、ぼくは知らなかったのだ。カティがそれほど、思い詰めているなんて。結婚していないのは知っていたが、きっと、仕事で充実しているのだろうと……そう思って、深くは追求しないできた。
だが、ぼくがアンヌ・マリーと暮らしてきた歳月、カティがずっと一人で自分の肩を抱き、涙をこらえていたのなら。足元に火がついたかのように、じりじり、そわそわする。この動揺がアンヌ・マリーを怒らせるのは、よくわかっているのだが。
「それでカティが満足できるなら、そうしてやりたい。きみにはぼくがいるんだから、そのくらい、いいだろう?」
あらかじめ精子を採取しておき、冷凍カプセルに入れて渡すだけの、事務的な接触にとどめればいい。しかし、アンヌ・マリーは頑固に言う。
「絶対だめ。あの女、子供を盾にして、あなたを搦めとるつもりよ」
「そんなことにはならない」
カティの性格からして、そういう真似はできないだろう。彼女は善良な優等生だった。今でもきっと……そうに違いない。たまたま運悪く、違法組織の元締め連中に目をつけられてしまっただけで。
そして、それがぼくのせいだとしたら……何とかして、カティを市民社会に戻してやらなくては。彼女が、ユージンの言う〝取引〟を成功させた後ならば、きっと何とかなる。
「冷凍精子を渡したら、説得して、中央に送り返すつもりだ。彼女は、辺境では生きられない。こんな所では、子育てだってできないよ」
辺境の宇宙で生きているのは、欲張りな悪党たちと、彼らに仕える、惨めなバイオロイドだけなのだから。
「送り返したところで、逮捕されて隔離施設行きよ。誘拐犯なんだから」
とアンヌ・マリーは口を尖らせる。
「それでも、辺境よりましだ。自首して出れば、刑は軽い。中央の隔離施設なんて、リゾートホテルのようなものだ。もしも、それまでに妊娠していれば、それなりの温情を受けられるだろうし……出産後も、無理に赤ん坊と引き離されることはないだろう」
もちろん、そんな前例は知らないから、実際にはどうなるか、確証はない。しかし、悪くても赤ん坊は、カティの両親が引き受けてくれるだろう。あるいは、ぼくの両親が。
カティは刑期を終えさえすれば、子供と暮らせる。そのことが、ぼくの両親にも、救いになってくれるのではないか。自分のしでかした親不孝には、いまだに頭を抱えてしまう夜があるのだ。長男のぼくが、故郷を捨てて逃走するなんて。
そこで、侍女のマーサとエルザが昼食を運んできた。ぼくらはいったん、議論を止める。喧嘩と思われては困るからだ。彼女たちはぼくらを父母同様に思っているから、いそいそと給仕をしてくれる。
「こちらのフライには、このトマトソースをかけて下さいね」
「ワインは、このロゼでいかがでしょう」
「ああ、ありがとう。後はやるから、下がっていいよ」
「はい、それではごゆっくり」
「夕食も、楽しみにしていて下さいね」
二人は笑顔で一礼して、控え室に消えていく。用がない時は、中央製の名作映画を見たり、ジムで運動したり、課題にしてある問題集を解いたりして過ごすはずだ。ぼくらに進歩を褒められることが、彼女たちの最大の励みになっている。詐欺のようなものだが、これしか、やりようがなかったのだ。
ぼくたちの組織《アル・ラート》では、バイオロイドの部下たちを、子供のように教育している。そして、教育の仕上がり具合によって、相応しい部署に配置していく。警備、航行、対外業務、技術管理、事務、雑役。
もちろん人間並みに成長するには、もっと年月がかかるが、とりあえず、ぼくとアンヌ・マリーの指示通りのことが出来れば十分だ。
辺境の不文律があるからといって、五年で殺したりはしない。そんなことには、とても耐えられない。ぼくたちは、彼女たちの親になるのだと決めている。
辺境で生き残るための違法組織とはいえ、あまり非道なことはしたくない――そう考えた結果が、女だけの組織にすることだった。
現在、《アル・ラート》にいる男は、ぼく一人。あとは全員、技術職の人間の女と、買い入れたバイオロイドの女たちである。
生きた男を雇うと、彼らの娯楽のために、生きた女が必要になるからだ。
どこの組織でも、男の職員や兵士に奉仕させるために、バイオロイドの奴隷女を使っている。そして、彼女たちが疲弊し、新鮮さが薄れたと思ったら、売り払うか、殺すかしてしまう。
だが、そこまで悪辣なことをすると、ぼく自身が参ってしまうとわかっていた。自分が病んでしまい、人格が変質してしまったら、どこに生きている意味があるのか。
第一、ぼくには、バイオロイド美女のハレムは必要なかった。アンヌ・マリーだけで手一杯だ。彼女を満足させるだけで、ぼくはほとんど全てのエネルギーを使い尽くしてしまう。
いや、こうしてカティの心配をすることが、既に裏切りだと、アンヌ・マリーは思うのかもしれないが。
『レディランサー アグライア編』3章-3に続く