恋愛SF『星の降る島』7章
7章 マーク
地下の快適な牢獄で、俺はレオネと向き合っていた。今は、こいつしかいないのだ、俺の話相手は。心を持つ人工の知性。レアナの弟子。
「新人類とやらは、元の人類とどう違うんだ。遺伝子操作で、闘争心をなくすのか」
「もっと簡単です。男を誕生させず、女だけで文明を築けばいいのです」
そうかい。
「フェミニストの理想郷だな……」
いや、そこまで男を嫌うのは、ごく一部の女だけだと思っていた。痛い目に遭って、男を切り捨てた女たち。
しかしレアナは、そうではなかったはずだ。俺たちは、一緒に楽しい時間を過ごしてきただろう? きみはその間もずっと、こんな企みを隠していたというのか? 俺と食事し、笑い合い、次の逢瀬を約束している間中。
「女の能力は、男に劣らないことが証明されています。適切な教育さえ受ければ、女だけで社会を運営していけます」
「ああ、それはそうだろうよ。大抵、女の方が男より賢いからな。しかし、女同士で恋愛するのか。子供はどうするんだ」
「生殖と恋愛は切り離せます。女たちは互いに恋人になってもいいし、友人のままでも構いません。必要な時に、卵子と人工精子から胚を作って与えます。当然、子供は女ばかりです。学校も病院も会社も、女だけの世界です」
想像してみた。容易く想像できた。穏やかで優しい世界が。
「家に鍵は必要なく、警察の役目も最小限になるでしょう。男のいない世界には、戦争も暴力犯罪も、ほとんどないはずです。母親が子供を虐待することはあるかもしれませんが、それは、周りの女たちが早期に発見できるでしょう」
そう言われてしまうと、つい、男がいなくても支障はないのだと思ってしまう。人類社会は、女だけでやっていけるのだと。
「……けど、それで満足できるのか。女にだって、男を求める本能はあるだろう」
映画スターは何のためにいるのだ。女たちをうっとりさせる、夢の男たちは。レアナだって、俺の腕の中で、うっとりしていたではないか。苦労して日程を調整して、俺に会うために飛んできてくれたではないか。
「女にとって強いのは、男より、子供を求める本能です。子育ての喜びがあれば、男の不在など些細なことです」
それも、反論できない気がしてしまった。
「だけど、芸術や文学は……恋愛なしで、いったいどんな風になるんだ……」
「女同士の友情や愛情を主題にできます。真理の探求でも、冒険でも、題材はいくらでもあります」
「しかし……もしも女たちが、男を復活させたくなったら? 動物の世界には雄雌があるんだから、人間にもあるはずだと当然思うだろ?」
「それは、教育によって禁忌とします。男たちがどのように戦争や虐殺を繰り返してきたか、事実を教えればいいのです。そんな危険な種族を復活させようというのは、恐竜を復活させるより、はるかに愚かな行為でしょう」
どうすればいいんだ。反論できない。男なしの方が、いい世の中になるなんて。
確かに、これまで男が引き受けてきた冒険や探険にも、今は女がどんどん乗り出している。男でなければ出来ない仕事など、ないのだ。妊娠するにも、人工授精した受精卵があればいい。
それでもなおかつ、俺としては、男にも、少しはいいところがあるんじゃないかと言いたい。
「じゃあ、俺も不要なんだな。レアナにとっては、俺なんか、いなくてもいいんだろ!!」
自棄で叫んだら、レオネが悲しげな様子を見せた。表情のないロボットだから、俺が勝手に感情を投影しているだけかもしれないが。
「そこが、レアナにとっても大きな悩みでした。レアナは、客観的には男類絶滅を認められるのですが、あなたのことだけは、死なせたくなかったのです」
おい、本当か。
だが、そうに違いない……と思う。レアナは俺を愛してくれていた。あれほど忙しい女が、俺のために、苦労して時間をひねり出していた。大統領に会うよりも、国連で演説するよりも、俺の方を優先していたくらいだ。
もちろん、この話全体が、大きな芝居に決まっているが。
事実のはずがないじゃないか。人類が……いや、レオネの言い草を借りれば、男類が、すでに滅びているなんて。
「それをしたら、自分が耐えられないと言っていました。もう、生き続ける気力がなくなると。だから、レアナはこうして、あなただけを冷凍保存して生かしたのです」
くそ。なんて嫌な芝居だ。信じてしまいそうになる。あまりにも……筋が通っている。
「ただし、自分は残る一生、あなたを起こして対面することはしないと決めていました。他の女たちから夫や恋人や息子を奪った以上、自分だけぬくぬく、あなたと過ごすわけにはいかないと」
背筋がぞくっとした。初めて、本当に本当かもしれないという感覚が生じたから。
そういう公平な態度は、きわめてレアナらしい。
だが、すぐに自分で打ち消した。そんなこと、あるはずがないだろう。よりによってこの俺が、世界で最後の男だなんて。
***
翌日、レオネは俺を地上へ連れ出してくれた。
どんな地の底にあるのかと思った施設は、実は、ビルの地下二階にあるだけのことだった。防火シャッターを開けて、階段を少し登りさえすれば、そこはもう明るい地上世界だったのだ。
病院のような二階建ての素っ気ない建物を出ると、俺たちは、甘い空気の流れる緑の丘にいた。空は青く晴れ、白い積雲を浮かべている。太陽は明るく、日差しは強い。あちこちに、ハイビスカスやブーゲンビリアの花が咲いている。緑の森の彼方には、青い海面も見える。
「ここは、ハワイ諸島の一つです。あなたがレアナと過ごした島とは、違いますが。あなたを目覚めさせる時期が近づいてきた頃に、わたしが建てた施設です。ほとんど、あなた一人のための医療施設ですよ。あなたが生きている限り、この島に、女たちは立ち入らせませんから」
そうか。俺一人の島か。
「贅沢なことだな。こんな綺麗な島に、俺だけとは」
「現在、人類の人口は二万人ほどです。土地はいくらでも空いていますので、あなたがこの島を占有しても、何の問題もありません」
全人類が、たったの二万人? それならば……地上は、動物たちの楽園だな。
「申し訳ないのですが、マーク、あなたが女たちと接触することはできません。彼女たちは、男というものを、歴史の記録でしか見たことがありませんから。あなたの存在を知ったら、きっと怪物だと思うでしょう」
それはそうだろうな。
しかし、男を滅ぼし、男と仲良く暮らしていた女たちまで皆殺しにしたレアナが、自分の男だけはこっそり隠しておいたなんて、あまりにも身勝手すぎる。
よくもできたものだ、そんなことが。
だが、レアナらしいとはいえる。タチの悪い理想家なのだ。本気で、理想社会を建設しようとした。男という汚濁を取り除いて。
俺は恐怖や怒りを通り越して、何かもう、芝居の観客になったような気分だった。俺が泣こうが暴れようが、芝居は既に、上演されてしまったのだ。
俺が知っている役者は全て退場し、男を知らない新たな世代が舞台に上がっている。俺はただ、その芝居を、脇からこっそり見ることを許されているだけ。声援を送ることも、野次を飛ばすことも、認められていない。
……これが全て、俺を騙すための仕掛けでないとすればの話だが。
建物の前庭から延びる道路を散歩のように歩いていくと、五百メートルほどで、ちょっとした野原に出た。そこには、見たことのない種類の航空機が待っている。翼のある飛行船という感じだ。
「どうぞ、あなたの専用艇です」
真新しい船内には操縦室や貨物室、ラウンジや寝室がある。太陽光を動力とし、浮力を持つ構造で、水と食料さえ積んでおけば、いつまでも飛び続けられるという。
「マーク、旅行に出ましょう。あなたも自分の目で世界を見れば、納得してくれるでしょう」
レオネはこれから、俺を世界一周の旅に連れ出してくれるという。世界各地で女たちが暮らしている小さな村を、高空から見せてくれるそうだ。
「そのくらいなら、害はありませんからね」
彼女たちは、物資を届けにくるレオネの飛行船を知っているから、機影に気がついたとしても、別の村へ行く定期便なのだと納得して、見過ごしてくれるはずだという。
「女たちの村は基本的に自給自足ですが、発電機や工具、医療機器などは、わたしの管理する工場から届けています。その工場の管理も、いずれは彼女たちに譲っていきますが、それはまだもう少し先のことです。今の彼女たちは、女だけの暮らしを確立することで、十分忙しいので」
畑を耕すのも、海で漁をするのも、牛や馬や鶏を飼うのも、畑を荒らす害獣と戦うのも、彼女たちの仕事。
子供たちを育てながら、家を修理し、服を縫い、新たな水路を引く。葡萄やオリーブを摘む。山羊の乳を搾る。バターやチーズを作る。魚を塩漬けにする。
女だけでできない仕事があれば、レオネがロボット兵を遣わして手伝うというが、それも、地震や台風や山火事など、大きな災害の時に限られる。大抵の場合、女たちの知恵と勇気で乗り切れるとか。
「彼女たちは勤勉ですし、注意深く、探究心もあります。子育ても、生活のための仕事も、ちゃんと分担してこなしていますよ」
俺たちを乗せた飛行船は浮上して、島の全景を見せるようにゆっくり回ってくれた。ここは確かにハワイ諸島だ。島の形でわかる。レオネは、比較用の地図も出してくれた。
だが、俺が知っていた町や港は、消えてなくなっている。ビルも空港もなくなり、緑の原野に戻っているのだ。わずかに、昔の道路の名残がわかるだけ。そこだけ緑の中に、途切れ途切れの人工的な線があるのがわかる。
「美しい地上を取り戻すため、古い町や施設は撤去作業を進めています。化学物質などで汚染された土地も、浄化しています。本や映画など男文化の残骸も、片端から始末してきました。もちろん、地球全体を掃除するには、まだ時間が必要ですが」
銀色のカマキリ顔の案内人は、淡々と説明する。
「この先、女たちの人口が増えて町を広げる時は、まっさらな土地に好きな設計を乗せればいいのです。むろん、子供の出生はわたしが管理していますから、むやみに人口を増やすことはしません。自然と調和して生きられる程度の人口でいいのです」
ああ、この地上に百億近い人間が暮らすのは、確かに無理があった。だが、先進国では出生率が低下していたから、もうしばらくこらえれば、人口増加は収まっただろうに。
飛行船が島を離れると、しばらくは青い海と、その上に浮かぶ雲しか、見るものがなくなった。俺は船内ラウンジのソファ席で飲み物を出され、レオネと向き合う。
「とりあえず、太陽が進む方向へ旅をします。さあ、何でも質問をどうぞ」
もう、嘘や芝居でないことは、九割がた納得していた。本当に、俺の知る世界は滅びてしまったのだ。責任者出てこい、と叫びたくても、そのレアナも、既に老衰死した後だとは。
ふざけてる、あの女。俺を生かして、自分が死んだ後に目覚めさせるなんて。
俺にどうしろと言うんだ。おまえがいたら、わめいて怒鳴って、好きなだけ当たり散らせたのに。
目の前にいるのは、のっぺりしたカマキリ顔のロボットだけ。こいつは、レオネの端末の一つに過ぎない。そのレオネも、レアナに教え込まれた通りに行動するだけの〝弟子〟なのだから、八つ当たりしても空しいだけ。
レアナが悪いのだ。天才すぎて、自分の理想を実現できる能力を持っていたあいつが。
飛行船は飛行機より、はるかに遅い。だが、急ぐ必要はないのだ。太陽が、俺たちを追い越していく。雲が赤く染まり、海面がすみれ色に染まる。
夜になると、星の中を飛んでいるようだった。地上には……というか、海面には、何の明かりもない。たまに、白い流れ星が落ちていくのが、窓から見える。
室内を暗くして窓から見ると、怖いほどの星空だった。底なしの闇だ。そこに散らばる星と銀河。地球は宇宙の中で、たった一人、旅を続けているのだとわかる。賑やかだった人間たちも、今はほとんど消えている。だが、地球そのものには、何の差し障りもない。
俺は食事をし、飛行船内の寝室で眠り、自然に目覚めた。東から、太陽が追い付いてくる。海が明るくなり、穏やかな波が立つのがわかる。
窓から眼下の海を見下ろすうち、ふと、妙なことを思いついた。もしかしたら、俺は、よくできた仮想現実の中で目覚めたのかもしれない。それなら、ありうる。
レアナは俺を、何の予備知識も与えないまま、電子的な仮想空間に送り込んだのではないか。心身共にタフで、好奇心の強い俺なら、被験体にちょうどいいから。
つまり、俺の肉体はどこかで眠らされていて、脳だけが何かの機械につながれている。これは、俺が見させられている夢のようなものなんだ。
そうだろ、レアナ?
だが、これが夢なのか現実なのか、どうやったら区別をつけられる?
この肉体の感覚、世界の現実感、これが作り物とは……とても思えない。夢ならいいのに。これが、長い夢ならば。
『星の降る島』8章に続く
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