恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』6章
6章 アスマン
渚沙とは、数年間、ぽつぽつとメールのやりとりを続けた。中身は、映画や小説のことだけだ。それなら、子供を誘惑したと、渚沙がそしられることもないだろう。
二十歳を過ぎて、もう対等に付き合えるだろうと思ったので、はるばる彼女に会いに行った。あれこれ迷った挙句に、大きな花束を抱いて。
そうしたら、渚沙は既に結婚していた。そして、子供が生まれるのだと、にこにこして教えてくれた。
まあ、こんなものだ、初恋なんて。それが初恋だったと認めたのは、何年も後のことになるが。
結局、大学には五年いた。ライサの護衛任務を終了してから(二度、暗殺を阻止した)、リリーの元で、更に二年間、助手を務めてからのこと。
その間、色々な暗殺事件や誘拐事件を経験した。脅迫や洗脳の事件もあった。身近にいた司法局員の殉職も見た。そして、強化体の腕力なんて、組織の力に比べれば、たいして重要ではないと悟った。
体力があれば、何をするにも楽だし、無理も効くが、それだけのこと。普通人より偉いわけでもないし、普通人が哀れなわけでもない。
約束通りに通わせてもらった大学では、思う存分勉強し、遊び、修行した。友達もできた。恋愛騒動も引き起こした。
俺から恋をしたというより、女から惚れられることが多かったため、あちこちで余計な恨みを買ってしまったからだ。決闘騒ぎまであった。もちろん、負けたふりでしのいだ。
まあ、おかげで、理想の女なんてものは、存在しないのだとわかった。女には女の事情がある。完璧でなくて当たり前。自分の女神になってくれることを期待するよりも、友達として付き合う方が面白い。
そして、自分は意外にも、研究職に向いているとわかった。推理を重ねて謎を解明したり、実験装置を組み立てたり、まだこの世にない物を創り出したりするのが楽しいのだ。
最強の兵器とはどんなものか? 理想の戦闘艦隊は? 人間を超える人工の知性はありうるのか? バイオロイドはどこまで進化する?
この分野では、俺は有利だった。疲れを知らない体力があれば、他人が寝ている間にも研究を続けられる。辺境の情報網にもアクセスしやすい。
大学で学ぶだけ学ぶと、リリーの口利きで、科学技術局に入れてもらった。しかし、ここは二年しか続かなかった。あれこれと制限がありすぎるのだ。危険な兵器につながる研究は禁止。人体改造に通じる研究は禁止。精神操作もだめ。
望む分野の知識は、辺境でしか得られないとわかったり、せっかくの発見を、法律の制限のために封印しなければならなかったり。
何より、上司の命令というやつが一番気に入らない。なぜ、俺より頭の悪い連中に、研究の方向まで命令されなくてはならないのだ?
そこで、市民社会に別れを告げて、辺境に戻ることにした。大学や科学技術局の友達とは、必要になれば連絡できるから、永遠の別れではない。彼らが辺境に亡命したいと望んだら、助けてやることもできる。
戻った先は、母親のいる《フェンリル》ではなかった。そこではどうしても、リザードの決めた枠内にはまるしかないからだ。俺は市民社会の制限も気に入らないが、辺境の違法組織の卑劣さも大嫌いだ。
中央で過ごした年月のおかげで、バイオロイドの製造と酷使がどれほど非道なことか、よくわかるようになった。
非道というのは、自分の気持ちが暗く不愉快になるということだ。そんな世界は、長続きするはずがない。
そこで、リリーとヴァイオレットが自分たちの故郷である違法都市《ティルス》に連れて行ってくれ、一族の最長老に紹介してくれた。
名前は麗香。俺の父親の遺伝子設計をし、ある年齢になるまで手元で育てたという女性だ。長い黒髪に象牙色の肌の、麗しい貴婦人に見えるが、実際には、一族に君臨する絶対の指導者らしい。
本来は科学者で、外宇宙開拓のごく初期に、科学者仲間を率いて地球を離れ、はるかな辺境の宇宙に違法都市を築いた人物だ。不老処置を繰り返し、辺境でもかなり長命の部類に入るらしい。
一般には知られていないが、この人がいるからこそ、〝連合〟も《ティルス》と姉妹都市の独立自尊を認めているのだという。一族が密かに〝リリス〟を後援しているのも、この人の考えだとか。
「お帰りなさい、ジュニア。いいえ、アスマン。ここは、あなたの故郷のようなものです。わたしたちはシヴァを失ったけれど、あなたが帰ってきてくれて、本当に嬉しいのですよ」
と微笑み、手を握ってくれた。一族はいまだシヴァの……俺の遺伝子の源の行方を掴んでいないというが、俺自身はどうやら歓迎されているようなので、ほっとした。そして彼女は、俺がしたい研究のできる環境を提供してくれるという。
「別に、実用を目指す研究でなくていいのですよ。ただ、研究の成果でこちらに利用できるものがあれば、ということで、どうかしら」
リリーが尊敬する大姐御なら、俺も信用しようと決めた。信用できないとわかったら、その時に別れればいい。
「わかりました。よろしくお願いします」
辺境において、こういう後ろ盾が得られるのは有り難い。俺はようやく、腰を据えられそうだと安堵した。
しかし、俺が辺境に戻ったと知ると、おふくろが面会にやってきた。しかも、五歳になる俺の〝妹〟を連れて!!
やむなく《ティルス》のホテルで対面したが、こちらは唖然呆然である。俺が大学を気に入り、市民社会に馴染み、《フェンリル》にはもう戻らないと判断した時に、おふくろは次の子供を〝創った〟のだ。
今度はいったい、誰の遺伝子を使ったのか。自慢そうにしているところを見ると、自信作らしいが、由来を説明してくれないのが困る。
「誰が父親でも、それはわたしの選択だから、あなたには関係ないわ」
とは、どういう意味だ。それなら、妹だなんて言って、俺に引き合わせるなと言いたい。俺の遺伝子には、おふくろの遺伝子はほとんど入っていないのだから、父親が違うのなら、この梨莉花との血縁関係なんて、ないに等しいじゃないか。
「さあ、梨莉花ですよ。抱っこしてあげてちょうだい」
子供は癖のある黒髪に黒い目で、健康な蜂蜜色の肌をし、とても可愛かったが、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
と呼ばれるのには閉口した。まとわりつかれるのは、まあ嬉しくないこともないが、どんな顔をすればいいのだ。本当に兄妹かどうかも怪しいのに。
おふくろはただ、自分が所有できる人形が欲しいだけではないのか。この子が成人して独立したら、また次の人形を創るのではないか。
そんな母親に、どんな教育ができるか怪しいものだ。
俺だって、自分で逃げなければ(リリーがさらってくれたから、楽に距離を取ることができたのだ)、まだ母親の支配下にあったことだろう。この子は女の子だから、余計、逃げにくいかもしれない。
(……すると、もしかして、俺がこの子のことを、気にかけてやらないといけないのか!!)
と気づいて愕然とした。おふくろが猫可愛がりにして甘やかしたら、どんなわがまま娘に育つか、わからないからだ。わがまま娘が違法組織の中で地位と権力を握ったら、大変なことになる。何としても俺が、良い影響を与えてやらなくては。
リリーには、笑って言われた。
「いいじゃない。面倒見てやりなさいよ。人を育てて初めて、本当の大人になれるってもんよ」
それで、研究生活の傍ら、暇を作っては、おふくろのいる《フェンリル》の拠点を訪れ、梨莉花と遊ぶようにした。ついでに、武道の基礎も教え込んだ。女の子には、護身の技術が必要だ。そして、わがままを言ったら叱り、自惚れを持たないように指導する。
「梨莉花ねえ、お誕生日に馬を買ってもらうの」
「このおやつ、梨莉花のよ、お兄ちゃんは食べちゃだめ」
という言い方を、叱って矯正したのも俺だ。
「自分の名前を宣伝して歩くんじゃない!! 名前は大事なものなんだから、他人には教えないようにするんだ。それと、自分のことは、わたし、と言いなさい」
「そうなの? じゃあ梨莉香、これからわたしって言うね」
「ほら、また言ってる!!」
甘やかすのはおふくろがやっているから、俺は厳しく当たったつもりだ。それでも梨莉花にとっては貴重な身内だからか、俺に懐いた。思春期になると、
「わたしもお兄ちゃんの所に行きたい」
と言い張り、《ティルス》近傍にある俺の研究所に滞在するようになった。しまいには一年の半分以上、俺の元で過ごすようになったくらいだ。母親から厳しく呼び戻されると、しぶしぶ帰っていくだけ。母親が組織の仕事で忙しくしていると、また俺の方に来てしまう。
まあ、勉強の監督や躾なら、俺の方が厳しくやっていたから、それでいいのだが。
どのみち、勉強を教える苦労はあまりなかった。梨莉花はひどく勝ち気な娘で、自分の知らないこと、できないことがあると、凄まじい集中力でものにしてしまう。どうやら、最高の遺伝子が詰まっているようだ。うかうかしていると、俺の方が追い越されかねない。
美人というよりは可愛いという顔立ちだが、成長に伴って、まあまあ美女と呼んでもおかしくない部類に入ってきたので、危なっかしくて仕方ない。
何しろ、出会う男はみんな、自分の崇拝者になって当たり前と思っているのだ。
確かに、梨莉花が薔薇色のひらひらドレスを着て、自分を見せびらかして歩けば、通り道には、奴隷にされた男が点々と残される。
毎日のようにあちこちから届く高価な贈り物が、それを証明していた。俺の研究所にいる若手の研究員も、交流のある他組織の幹部も、通りすがりのチンピラも、みんな梨莉花にやられてしまう。
それでいて本人は、
「わたしに相応しい男性は、そう簡単には現れないわ」
と澄ましている。その自惚れの鼻を、何度もへし折ってやろうとしたが、次から次に崇拝者が現れ、梨莉花を女王のように扱うので、うまくいかない。俺はどこで、育て方を間違ったのだ?
「わたしのことを子供扱いして馬鹿にするのは、お兄ちゃんだけよ。失礼しちゃうわ、まったく」
と言いながら、あれが欲しい、これじゃ駄目、あそこへ連れていけ、ここに泊まりたい、とわがまま連発。まさか他の男に預けるわけにはいかないという、俺の心配を逆手に取って、俺を引き回す。
「わたし、お兄ちゃんに漢字名前を付けてあげたの。明日馬って書くのよ。いい感じでしょう?」
と勝手に決め、明日馬、明日馬と連呼する。俺はアスマンだというのに。
「あいつの相手は、本当に疲れる」
俺の愚痴は、《ティルス》でできた友人、ミカエルが聞いてくれた。彼は、最長老である麗香さんの元で、助手として暮らすようになった少年型のバイオロイドで、信じられないことだが、リリーと相思相愛の仲らしい。
俺にとっては師匠であるリリーが、ミカエルには、少女のように可愛い女に見えるというのだ。
「リリーさんに甘えられると、嬉しくて、ぞくぞくするんですよ。大きな虎が、子猫みたいに懐いてくるなんて、たまらない快感です」
と、少女に間違えそうな可愛い顔をして言う。
ううむ、そういうものだろうか。リリーは俺に甘えてきたことなんてないから、想像がつかない。俺が師匠に甘えるなんて、なおさらできないし。
そういうミカエル自身は、自分で自分の成長を止めてしまい(どうやら奴隷時代の後遺症で、成人の男に対する嫌悪感が強いらしい)、華奢な少年の姿のままでいる。リリーとはずっと、『プラトニックな関係』を保つつもりだというのだ。
それがどうやら、根源的にはヴァイオレットへの遠慮からきているらしいので(彼女は、永遠にリリーにしがみついているつもりだ。俺だったら、とても耐えられない)、俺としては内心、ミカエルが気の毒でならないのだが。
ミカエルは淡々として、最長老の研究の手伝いをしたり、自分のテーマを追いかけたり、〝リリス〟の活動を援護したりしている。見かけは子供だが、内実は、悟りきった聖人みたいな奴だ。
「梨莉花ちゃんは、いい子に育っていますよ。強いのも賢いのも本当だから、本人がそう思っていても、自惚れていることにはならないでしょう」
と微笑んで言う。何事も、ミカエルの平静を乱すことはないみたいだ。
「他人事だと思って、そうやって甘やかすのをやめてくれ!! 十代の頃からあれじゃ、末はどんな女になるか、恐ろしい!!」
「彼女はあなたが心配しているのを知っているから、自分を粗末にすることはしませんよ。それより、お兄ちゃん以外の男性が目に入らないのが問題ですね」
「えっ!?」
「おや、わかっていないんですか。梨莉花ちゃんは、あなたを自分の王子さまだと思っているんですよ」
何、何と言った。俺が何だって。
一気に、気温が氷点下に下がったぞ。
「自分には、世界一の騎士がいる。その騎士に、誰よりも愛されている。それが、梨莉花ちゃんの自信の源なんです。何かあれば、お兄ちゃんが必ず守ってくれると信じている。だから安心しきって、明るく振る舞っていられるんです」
まさか、そんな。俺は、そんな大層な男じゃないぞ。どうか、ましな男が現れて、梨莉花を引き受けてくれますようにと、日々、天に祈っているというのに。
「その明るさが、辺境の男たちには、新鮮な驚きを与えるんでしょうね。他の女性たちは、人間にしろバイオロイドにしろ、不安でピリピリしたり、おどおどしたりしていますから」
ミカエルの指摘に、目から鱗が落ちた。そうか。他の女になくて梨莉花にだけあるもの、それは、安心感のもたらす明るさなのか。
確かに辺境では、女たちは常に、周囲の男たちを警戒していなければならない。違法組織に、ろくな男なんているはずないからだ。疲労して当然だ。
俺は平和な市民社会で何年も過ごしたので、女たちが明るい顔をしていることに慣れてしまっていたが……
そういうことなら、梨莉花のあの異常なモテ方も説明がつく。
辺境で悠然としていられる女は、リリーや麗香、最高幹部会のリュクスやメリュジーヌなど、ごく少数の超優秀な特権女だけだろう。ミカエルはさすがに、状況分析力がある。
「遺伝子的につながりがないのなら、あなたがお嫁さんにしてあげてもいいんじゃありませんか」
にこやかに提案され、俺は危うく腰を抜かすところだった。
「おい、いま、さりげなく異常なことを言わなかったか!!」
心底、寒気がしたぞ。
「別に悪くないでしょう。辺境では何でもあり、なんですから」
いや、俺にはそういう趣味はない。何しろ、あいつが五歳の時から見ているのだ。血のつながりがあってもなくても、妹としか思っていない。それも、きわめて厄介な妹だ。
「たぶん、あなた以下の男だと、梨莉花ちゃんは男だと認識しないでしょうからねえ。そうすると、他の交際相手を探すのは、非常に困難ですよ。あなたくらい強くて頼れる男なんて、中央でも辺境でも、滅多にいませんからねえ」
ミカエルの奴、面白がっていやがる。
「やめろ、もう言うな」
こんな怖い話は、聞いたことがない。蛇に食われる蛙みたいな気がするではないか。あいつに一生、腕にぶら下がられるなんて、あまりにも重すぎる。いつか他の男に渡せると思うからこそ、それまでは俺が守ろうとしてきただけなのだから。
「どうして嫌がるんですか。いい組み合わせに見えますよ。お母さんに確かめてみたらどうです? どの程度、遺伝子が共通しているのか。どうせ、あなたたちの子供は新たに遺伝子設計して創るのだろうから、遺伝的に兄妹であっても、問題ないと思いますけどね」
それは駄目だ。俺の本能が受け付けない。梨莉花のことは、最初から妹と思っているから、それ以外に考えようがない。
「誰かいい男が現れて、梨莉花を惚れさせてくれることを祈る……」
そうしたら俺は安心して、自分の伴侶を探せるだろう。
するとミカエルは、なおも面白がる。
「おや、どんな女性なら、あなたの伴侶になれるんですか? 中央で大学に通っても、辺境で自分の研究組織を立ち上げても、いまだ恋人を見つけていないんでしょう? 断っておきますが、リリーさんはだめですよ。ぼくを愛してくれているんだから」
どさくさに紛れて、のろけやがったな。
「これから探す。きっと見つけてみせる」
俺の人生にはきっと、生涯愛し合える女が現れるはずだ。完璧な女神なんて望まない。欠点のある、普通の女でいいのだ。ただ、俺の魂と響き合う女であれば。それが、妹であるはずがない。
よし、これから真剣に、あらゆる女を凝視していこう。俺に恋人ができれば、梨莉花だって、自分の恋人を探す気になるはずだしな。そういうものだろう?
『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』完
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