恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 泉編』11章-2
11章-2 泉
しばらく、理解の回路が働かなかった。どこから湧いた言葉なのだ。片思い、とは。
しかも、ダイナがわたしに?
まるで、星が石ころに憧れるような話ではないか。この人はなぜ、そんな奇妙なことを言うのだろう。
「よく、わかりませんが……最初というのは、ダイナが女学校に転入してきた時のことですか……」
当時、わたしは確かに、女生徒たちの憧れだったと思うけれど。それは、男性のいない、閉鎖された女の園だったからだ。それに、文武両道の優等生なんて、自分をすり減らす努力によって、やっとかぶっていた仮面にすぎない。
ダイナは、わたしなんかには手が届かないほど、はるかな高みで輝いていた。愛らしく、純粋で、明るくて、正義感に溢れていて。
まさに、理想の少女。
当時のわたしは地上にへばりついたまま、その輝きを見上げるしかなかった。それが悲しく、惨めだったからこそ、グリフィンの誘いに負けたのだろう。
努力家などとは次元の違う、恵まれた天分の持ち主。
おまけに、辺境の特権階級。
無敵のハンター〝リリス〟の愛弟子。
片思いしていたというのなら、それはわたしの方ではないか。
はるか年長の女性は、目を細めて遠い昔を思い出すかのようだ。
「あの子には、ずっと友達がいなかった。一族の末っ子だったのでね。上から教え導かれるばかりで、同じ年頃の子供と遊ぶということが、出来ないままだったのよ」
違法都市で育つということは、そういうことらしい。
「それが、女学校で初めて、普通の女の子たちの中に入れて、どれほど喜んでいたことか」
それは、わかるけれど。リーレンの護衛の任務も、張り切って果たしていたものね。わたしが見た色々な記録の中で、学校の警備モニターが捉えた彼女たちの姿、青春映画のようだった。
リーレンと腕を組むダイナ、芝生で二人して笑い転げる姿、食堂でのおしゃべり、クラブ活動の見学、勇んで週末の外出に向かう姿……
「あの子は今でも、リーレン・ツォルコフと遣り取りしているわよ。本当は、あなたとも、そういう友達になりたかったのね。でも、逆に、あなたを病院送りにすることになってしまった」
ダイナの素手で心臓を突き破られ、大量出血。すぐに治療されても、記憶のかなりの部分は失われたまま。
隔離施設で過ごした何年もの間、わたしは濃い灰色の霧の中にいるようだった。何も知らずにダイナと呼んでいた、あの愛らしい人形は、いったいどこへやったのだったか……
「それは、わたしが馬鹿だったからです。まんまと、グリフィンの駒にされてしまって……」
それしか、惨めな凡人から抜け出す機会はないと焦って。
凡人で、よかったはずなのに。凡人こそが、世界を支えているのに。そんなことすら、当時のわたしには、見えなくなっていたらしい。まったく十代というのは、どうしようもない混乱の時代だ。
「野望のある人間は、大きな失敗もするわ。このわたしも、地球を出発する時は、多くの資産家を騙して出資させたのよ。そうでなければ、移民船団は建造できなかった。途中で失敗していたら、ただの詐欺師で終わっていたでしょう」
長い黒髪の女性は、苦い微笑みで言う。誰にも邪魔されず不老不死の研究をしたい、そのためには何でもするという覚悟。その覚悟を貫き通しただけで、もはや常人ではない。
「でも、成功したのだから……それも、大成功です。わたしは、違法組織でさえ務まらなかった半端者です」
過酷な仕事と、他幹部との争いで神経をすり減らす生活で、夜は睡眠薬に頼るようになり、痩せてしまって、シレールに指摘されてしまった。泉、きみはもう、限界に来ていると。
その通りだった。彼に救われなければ、早晩、何か失敗をしでかして、失脚していただろう。
自分なら、辺境で生き抜けるなんて。何という、愚かな思い上がりだったのか。ダイナの時も失敗して、記憶を失ったくせに。そこから、何も学べていなかった。
けれど、向かい側の女性は確信的だ。
「泉、外から見れば、あなたはまだ、ほんの小娘にすぎないの。ここまで来ただけで、上出来よ。これから、一族のために働いてくれれば、それで充分です。ダイナがいずれ、あなたを補佐として頼るようになれば、それがあなたの勝利ではないかしら?」
***
桔梗屋敷のミカエルは、見かけは愛らしい少年だが、中身は仙人のように老成しているらしかった。ダイナもよく、彼を相談相手にしているという。
「ぼくも、ここへ引き取られた難民なんですよ」
と微笑み、わたしに色々な話をしてくれた。バイオロイドとして生まれて違法組織で働いていた頃のこと、科学技術局の職員として市民社会で暮らした頃のこと、脳腫瘍に怯えていた頃に〝リリス〟と出会ったこと。
「ぼくから見たリリーさんは、それはもう無邪気で、まばゆくて、豪胆で……女神が舞い降りたのだと思いました」
と、うっとりした様子で語る。このミカエルもまた、報われない片思いをしているのだ。本人は、現状に不満はないと言うけれど。
「ヴァイオレットさんはまた、緻密で冷静な人でね。ずっとリリーさんを支えてきた人なんですよ」
リリーとヴァイオレットという呼び名は、彼女たちの対外的な通り名にすぎない。麗香さんが付けた本当の名前は紅泉と探春というのだが、ミカエルは今でも遠慮して、通り名の方を使っているらしい。
麗香さんからは、わたしはもう一族の一員だから、皆の本名を呼んでいいと言われているのに。
「あなただって、麗香さんから信頼されているのだから、本当の名前で呼んでもいいのでは?」
和風の庭園を見渡す縁側に並んで座り、セイラが出してくれた抹茶と和菓子をお供にしての会話だった。セイラは長い黒髪を優雅に巻いた華麗な美女で、ミカエルと並ぶと姉と弟のようだが、実際には、ミカエルに仕える立場だという。二人の間には、隔絶した能力差があるらしい。
「それは、いいんですよ。初めて会った時、リリーさんと呼んだので、ぼくにとっては今もリリーさんなんです」
とミカエルは穏やかに言う。セイラはもう座を外して、食事の支度を指図しに行っていた。ここも、実務はアンドロイドの侍女や兵士が行っている。余計な部外者は、この小惑星には一切、立ち入れないのだ。
まさに、一族の奥の院。
わたしはここで、たぶん、一族に加わるための洗礼を受けているのだろう。外部で受けた穢れを洗い落として、生まれ変わるための潔斎の期間。
そう思えば、この和風の邸宅も、清らかな寺院のように感じられる。ミカエルは、わたしを導いてくれる僧侶か。あまりにも若く、可憐な美僧だけれど。
辺境では、見た目と中身は必ずしも一致しない。このミカエルもまた、人間よりはるかに知能が高く、おまけに、自分で自分の肉体的成長を止めてしまさったというのだ。
永遠に、彼の女神に仕える身であるために。
『ブルー・ギャラクシー 泉編』11章-3に続く