古典リメイク『レッド・レンズマン』1章-1
SF界の偉大な古典「レンズマン」シリーズを、現代女性の視点でリメイクしました。原作者のE・E・スミスに、敬意を込めて捧げます。
1章-1 リック
茫漠たる大宇宙。
人間の感覚では、ほとんど理解しようのない無限の深淵だ。
船でどれだけ移動しても、星々の眺めはたいして変化しない。航路に浮かぶものは岩や氷の塊だけで、温度は限りなく絶対零度に近い。
ただ、恒星や文明の発する電磁波の響きだけは、無数に重なり合っている。それらを分析できる者にとっては――たとえばアリシア人ならば――壮大な宇宙交響曲と感じるのではないだろうか。
レンズを授与されてから七年しか経たないぼくには、まだ、ごく一部の音色しか聞き取れない。パトロール艦と基地との交信。恒星のフレア。大昔の恒星爆発の名残り。
このブリタニア号が建造された基地を出てから、半月あまり。
ぼくらはひたすら、虚空を渡る旅を続けていた。出られては困る時にはよく出てくるのだが、こうしてこちらから捜しに出ると、なかなか現れないものだ。海賊船というやつは。
ここ数百年、海賊による被害はずっと続いている。正確に言えば、無慣性航法が発明されて、人類の生存圏が爆発的に拡大して以来、常に犯罪者の船が、この天の川銀河を自由自在に飛び回り続けている。
司法の側が追いかけようとしても、宇宙は無限に広く、隠れ場所は無数にあるのだ。
まして、狡猾な犯罪者が異星種族を騙して、その懐に入り込んだりすると、お手上げである。まず、正式な外交関係の樹立から始めなくてはならない。正規の手続きを待っていたら、犯人の引き渡しまでに何年、あるいは何世紀かかることか。
そういう広域犯罪に対抗するために、三百年ほど前、人類が中心になって、銀河パトロール隊を発足させた。そして、あらゆる異星種族に参加を呼びかけた。
その試みは成功し、現在では、各種族からの代表で構成される銀河評議会も有効に機能している。無論、パトロール隊による治安維持を受け入れない種族も、ごく少数はいるが。
問題は繰り返し起きていた。惑星間戦争、麻薬の流通、武器の密輸、誘拐や洗脳、人身売買。
近年では、海賊の被害が目に余るようになっている。何しろ通常のパトロール艦よりも、海賊船の方が足が速くて攻撃力があるという始末。
奴らはどこかの拠点から忽然と現れ、民間の輸送船団を襲っては、駆け付けてきたパトロール艦を尻目に逃走する。戦闘慣れしているし、武装は強力だ。下手に追うと、パトロール艦隊の方が全滅する。
奴らの出撃基地は数千から数万はあるはずなのだが、これまでに潰せたのは、そのごく一部だけで、あとは依然として所在不明のありさまだ。捕えた者を尋問しても、知っているのは自分の所属する船や、その船が帰還する補給基地のことだけで、他のエリアの海賊行為については全く情報が得られない。
だが、彼らの装備を見れば、どこかに統一的な供給元があることは明らかだ。それも、パトロール隊に匹敵するくらいの技術水準の。
そういう実態が繰り返し報道されると、善良な市民たちは落胆するし、輸送に頼る企業群は悲鳴を上げる。銀河パトロール隊への信頼が、大きく揺らいでしまう。
既に、定期航路の便数が減ってきているおかげで(最初からパトロール艦の護衛付きでないと、民間船の出航が許可されないからだ)、産地の限られる嗜好品や贅沢品は、天上知らずの値上がりを続けていた。生活必需品は各星系で自給自足できるから、一般市民が生活に困ることは、まずないが。
「ボスコーンどもの動きは、まだ何も探知できませんか、レンズマン?」
司令室の奥の椅子にいるぼくに、銀髪のベテラン艦長が声をかけてきた。このブリタニア号にも種々の探知装置は備わっているが、ぼくが腕にはめている〝レンズ〟を通した方が、より広い領域を探査できる。ぼくの修行次第では、もっと限界を広げることも可能なはずだ。
「残念ながら、まだだ」
ぼくは軽く笑った。
「気長に頼むよ、クレイグ艦長」
階級ではぼくが上だが――レンズマンはあらゆる普通人の上位に立つという大原則が、銀河全域で認められて既に久しい――海賊に遭遇するまで、この艦の指揮権は彼にある。
海賊組織は現在、ボスコーンという名称で知られているが、各星区の麻薬組織や人身売買組織も、どこかでボスコーンとつながっているかもしれない。ボスコーンが彼らの基地惑星の名なのか、それとも一つの種族や国家の名前なのか、あるいは統率者の名前なのか、それもまだ明らかではない。
「もちろんです。あなたとご一緒できるだけで光栄ですよ、リック」
そう、できるだけ名前で呼んでくれるよう、船内の将兵たちには頼んである。いちいちレンズマンと呼ばれていたら、かちこちの真新しい服を着ているようで、居心地が悪い。
ぼくはこの艦内でただ一人、パトロール隊員の制服を着ていない〝客分〟だった。三年前に昇格して〝独立レンズマン〟になった時点で、あらゆる規則や制限から解放されたのだ。
独立レンズマンは、しばしば特徴的なグレーの制服を着ることから、グレー・レンズマンとも呼ばれている。
ぼくとしては、一目で誰だかわかってしまう制服は、なるべく着用したくないのだが。今ではもう、顔自体を知られてしまっているから、何を着ていても同じようなものだ。
グレー・レンズマンには、給与もなければ休暇もない。上司もいない。決まった居場所もない。その代わり、必要とあらば、あらゆる基地、あらゆる艦船に命令を出せる。パトロール隊の基金から、好きなだけの金額を引き出せる。
つまり、ぼくはもはや〝パトロール隊に所属する一人〟ではなく、〝ぼくの存在がパトロール隊そのもの〟なのだ。
今はもう、誰の指図も受けていない。ただ、自分の判断のみで、銀河文明のために行動している。
ただし今回は、最高基地のヘインズ司令と相談し(彼は、はるか昔に独立レンズマンになった大先輩だ)、海賊退治のために動いている。できれば今度こそ、奴らを根絶してやりたい。銀河文明に巣食う害虫たちを。
二十年ほど前、パトロール隊は、
『ボスコーンを代表して、ヘルマスより』
という言い方で、各方面に指令を出していた人物を退治した。激烈な戦闘の過程で大勢のレンズマンが倒れ、一般の将兵も多く亡くなったが、総体的に見れば、こちらの勝利だった。それ以来、別の誰かが〝ボスコーンを代表して〟命令を出したことはない。
だが、依然として海賊船は出没するし、民間の商船は行方不明になり、危険な麻薬は流通している。悪の根っこは、まだ隠れているのだ。そこから次々、新しい枝葉が伸びてくる。
ヘルマスというのは、大幹部の一人ではあったのだろうが、真の統率者ではなかったのだ。今度こそ、ボスコーンの中枢を叩き、果てしない戦いを終わらせなくてはならない。
「もしや、敵も何か気付いているのではないでしょうか? この船を恐れて、出てこないのでは?」
と監視スクリーンに付いている女性士官が言う。
人類の場合、一般隊員の三割ほどは女性である。これでも昔に比べれば、女性の割合は増えたのだ。他種族の場合は、そもそも性差が少なかったり、あるいは性別がありすぎたり、もしくは性別がなかったりするので、性の区別を考える意味があまりない。人類のみ、出産で女性の側の負担が大きいため、宇宙勤務を希望する女性が少なくなりがちなのだ。
もっとも、女性がレンズマンになれないという制限だけは、なぜなのか不明だが……
「それはないと思う。気付いているなら、どこかで包囲攻撃をかけてくるだろう」
この船、最新鋭艦ブリタニア号の建造は極秘だった。建造に携わった者は、ただの一人も建造基地を離れていないし、外部と個人的な連絡も取っていない。グレー・レンズマンたるリック・マクドゥガルが乗っていることも極秘事項だ。
「極秘事項が海賊に筒抜けだったら、それこそ銀河文明の最後だよ」
と微笑んでみせた。特に今回は、レンズマンが十数人、付ききりで防諜に当たっている。
「そうですな。それだけは、ないことを祈りますよ。何年かかろうと連中を全て片付けて、気持ちよく基地に凱旋したいものです」
と老練な艦長も言う。ぼくは陽気に受けた。
「ああ、早くQ砲の威力を試してみたいものだ」
将兵たちを元気付けるのも、ぼくの役目。勝てる確証はなかった。この船の実力は、実際に海賊船を相手にしなければ、試せない。
もしも、こちらの武器であるQ砲が海賊船の防御力場を破れなければ、強大なエネルギーの逆流が起きる。その結果、吹き飛んで原子に還るのは、こちらの方なのだ。
ボスコーンには、明らかに強力な後ろ盾がいる。末端にいけば、単なる個人事業主的な海賊たちの寄せ集めだとしても、彼らを束ね、最新の技術を与える誰かが存在するのだ。
ボスコーンの構成員には人類もいるし、他星の知的種族もいるが、局地的な戦闘で逮捕されるのは、何も知らない下っ端ばかり。何か知っていそうな中堅幹部クラスは、逮捕寸前に発狂するか、頭を吹き飛ばして自死するかしてしまう。
海千山千の悪党たちが揃って自発的に死ぬとは思えないので、どうやら『逮捕されそうな時は、強制的に死なせる』安全策が施されているらしい。
これはぼくの印象に過ぎないが、ボスコーンの中枢は、海賊行為そのものが目的なのではなく、それによって、銀河系の治安を悪化させたいのではないだろうか。そうして、もっと大きな何かを狙っているような気がするのだ……たとえば、銀河パトロール隊そのものを壊滅に追い込むとか……
それについてはヘインズ司令も、
『まさか、いくら何でも』
と笑っていた。ぼくの杞憂であるなら、それに越したことはない。この銀河が混沌状態に陥ったら、海賊たちも困るはずだからだ。海賊や犯罪者だけでは、豊かな文明は維持できない。真面目に働く市民たちがいなければ、社会そのものが成立しないのだ。
ぼくは再び椅子に沈み、レンズを通して心を周囲の宇宙空間に広げた。何かひっかかってくるまで、気長に待とう。あと何年かかるとしても、絶対にやり遂げるのだ。
***
――レンズとは何か?
銀河文明の中では、子供でも知っていることだた。プラチナ合金の腕輪に埋め込んで、ぼくの皮膚に常時触れるようにしてある、レンズ状の〝生きた宝石〟である。
ぼくと接触している限り、レンズは安定して、柔らかな乳白色の輝きを放つ。よく見るとその中には虹のような色彩が湧き立ち、揺れ動いている。
だが、もしも他人がこれを奪い、身に付けようとすれば、レンズはその者を即座に殺してしまう。ぼくのレンズは、世界でただ一人、ぼくだけに同調するように作られている〝疑似生命〟であるからだ。
ぼくが死ねば、レンズもほどなく分解して消滅する。かつて、先輩レンズマンの死に立ち会った時、彼のレンズが消え去るのを見たから知っている。
これがぼくの身分証であり、最大の武器だった。
そしてレンズの本質は、精神力の拡大装置である。
人類レンズマンに対しては、精神感応による意志の疎通を可能にし、千里眼のような知覚力ももたらす。意識を集中すれば、他人の思考や記憶を読むこともできる。
もちろん、こんなものは人類の科学力では到底、作れない。人類の盟友であるヴェランシア人やリゲル人、パレイン人のような知的種族にも作れない。分析して、模倣することすらできない。これは物質科学ではなく、精神科学の所産だからである。
レンズとは、神に近い超先進種族、アリシア人から授けてもらうものだった。
アリシア人の実体は、我々レンズマンにもよくわからない。彼らは、幼稚な後進種族との接触を嫌うからだ。自分たちの星系を強力な力場で閉ざしていて、海賊船どころか、パトロール隊の船ですら寄せ付けない。かろうじてレンズマン候補生にだけ、生涯ただ一度の、わずかな接触を許すのみ。
非常に古い種族であることは間違いない。彼らはとうに物質文明の段階を過ぎ、精神文明を開花させているらしい。精神の力だけで、物質を支配できるらしいのだ。
心で思っただけで、この世界を変えられる力。
それはほとんど、神の力と言っていいだろう。おそらく、不老不死でもあるのではないか。
ただ、一般にはアリシア人の本質は隠され、
『他種族との交流を嫌う、偏屈な隠遁種族』
とだけ思われていた。アリシア人がレンズの供給者であり、銀河文明の擁護者であることは、レンズマンだけしか知らない超極秘事項なのだ。
『心の弱い者たちが我々のことを知れば、悪しき依存心が芽生え、あるいは劣等感に蝕まれ、種としての成長が止まってしまう』
というのがアリシア人の考えらしい。
毎年、銀河系中の各種族から選抜された優秀な若者たちが訓練校に入って鍛えられる中で、あるいは何か他のことをしていて、そうとは知らないままアリシア人の審査を受ける。それに合格した者だけが自分に適合したレンズを授与され、レンズマンとなって、銀河パトロール隊の中核に入る。
このシステムが始まって、三百年あまり。
今では、レンズマンは〝絶対に腐敗しない正義の番人〟であることが、どの種族にも知られている。種族間の争いを調停するのも、麻薬組織を壊滅させるのも、新たに発見された種族を銀河文明に招き入れるのも、レンズマンの率いる銀河パトロール隊の職務。
きわめてよくできたシステムなのだが、人類の場合、いくらかの問題をはらんでいる。名称が示す通り、レンズマンになれるのは男だけなのだ。未だかつて、アリシア人にレンズをもらった人類女性はいない。
優秀で覇気に満ちた女性たちには、それが許せない侮辱であるらしい。
『どうして、女はレンズマンになれないのよ』
『せめて、候補生にしてくれてもいいはずだわ』
という抗議活動が、繰り返し起きている。
むろん、彼女たちはアリシア人の関与を知らないから、最高基地のヘインズ司令や、その下の技術陣が非難の砲火を浴びるわけだ。表向き、レンズはパトロール隊の創設時に、人類の天才科学者ネルス・バーゲンホルム博士が発明したもの、ということになっている。
女性たちから抗議を受ける都度、
『レンズは闘争心で発動するものであり、女性の心理には適合しない』
という説明がなされてきた。なぜ女性向けのレンズを作らないのかという問いには、
『ただ今、研究中である。もうしばらく、待っていただきたい』
で通している。我々にだって、わからないのだ。なぜアリシア人が、人類女性にレンズを授けないのか。たまたまなのか、それとも何か原理的な問題なのか。
他種族では、性差が少ない場合がほとんどなので、そのような問題は起きていない。そもそも、レンズに無関心な種族も多い。社会正義という概念を持たない種族もいる。
人類女性にレンズの有資格者がいない、とは思えないのだ。たとえば、ぼくの姉のクリスなら、過去のどんなレンズマンより優秀なレンズマンになれるのではないか。
そうすればぼくだって、たった一人の姉から、恨みと不信の目を向けられなくて済むだろうに……
(いや、違うな)
自分で思い直した。女性がレンズマンになれなくて、幸いなのだ。自分が愛しいと思う女性を、わざわざ最前線に追いやりたい男がいるだろうか。
『レッド・レンズマン』1章-2に続く
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