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古典リメイク『レッド・レンズマン』1章-2

1章-2 リック

《――リック・マクドゥガル!!》

 不意に、レンズによる呼びかけが届いてきた。慣れ親しんだ親友の精神波だ。彼の本体は数千光年離れていても、レンズのおかげで遅延のない会話が成立する。

《どうした、何かあったか?》

 ぼくが心で応えると、あたかも眼前にいるかのように、ヴェランシア人レンズマン、ウォーゼルの姿が心に浮上した。

 強靭な羽の生えた、巨大な蛇の姿である。地球の神話に出てくる龍やドラゴンに近い。気の弱い人間が夜道でウォーゼルに出会ったら、知識では存在を知っていても、恐怖で硬直するか、気絶するかだろう。

 もちろん彼の中身は、正義の戦士である。おまけに、彼の種族は元から精神感応ができる。それが、レンズを得たことで能力を大幅に拡大させたのだから、ほとんど無敵と言っていい。

《いやいや、ちょっと様子を見ようと思っただけだ。いい加減、探索に飽きたのではないかと思ってね》

 ウォーゼルは自分の船であるヴェラン号にいて、ヴェランシア人の部下たちと共に、宿敵デルゴン貴族を掃討する旅を続けている。

 ウォーゼルの種族は長年、近縁種であるデルゴン貴族の奴隷にされていた。デルゴン貴族とは、獲物の精神的苦痛を餌にする吸血鬼的種族なのだ。自分たちを貴族と呼ぶ点からも、傲慢で独善的な性格がよくわかる。

 しかし、近年、ヘインズ司令が率いるパトロール隊の関与によって、ヴェランシア人たちは、ようやく悲惨な奴隷状態から解放されたのである。

 以来、ウォーゼルたちはパトロール隊の有力な構成種族となり、銀河のお尋ね者となって逃げ散ったデルゴン貴族を追跡する旅を続けている。デルゴン貴族は今なお、あちこちの星系に潜伏して、現地の知的種族を拷問にかけ、苦痛にあえぐ精神から生命力を吸い上げているからだ。

 厄介なことに、彼らは動物を餌とするのでは満足しない。高度な思考力のある種族の苦痛が美味らしい。となれば、放置できない凶悪犯罪集団である。

 もちろんウォーゼルたちは、その宿命的追跡の合間に、パトロール隊から依頼された任務もこなす。彼らが海賊船を発見したら、ぼくに知らせてくれる手筈だ。ウォーゼルの知覚範囲はぼくより広いから、彼が先に海賊船か、その根城を発見してくれるかもしれない。

《ああ、退屈極まりないよ。ボスコーンどもは、どこの穴蔵に隠れているのやら》

 レンズマン同士の精神感応は、レンズを持たない者には感知できないので、遠距離で話し合っても、秘密が外部に漏れることはない。精神感応のできる種族は幾つも存在するが、彼らの能力は普通、訓練を受け、レンズを使いこなすレンズマンの能力には遠く及ばない。

「レンズマン、お茶をいかがですか」

 と一般隊員が熱いハーブティを持ってきてくれたのも、ぼくが他のレンズマンと会話中とはわからないからだ。

「ああ、ありがとう。いい香りだね」

 一般将兵の目から見ると、ぼくは毎日、日課の運動の他は、専用の椅子で目を閉じているだけの暇人にすぎない。もちろん理屈では、ぼくが精神を広げて、周辺宙域を探知しているとわかっていても。

 実際、時には、うたた寝してしまうこともあるのだ。何かあれば目を覚ますから、それで構わないのだが。

《退屈なら、ちょうどよかった。きみと話したい人がいるので、中継しよう》

 危うくカップを取り落としそうになり、慌てて横の台に置いた。ウォーゼルが精神感応を中継してくれる相手は、おそらく、ぼくが一番避けたいと思っている相手だからだ。

《――リック!!》

 ぼくの心に浮かんだ映像は、頬を薔薇色に染め、胸元で手を握りしめている、清楚で可愛い娘だった。

 パトロール隊の誇る天才科学者であり、このドーントレス号の新兵器の基本設計をしてくれたラ・ベルヌ・ソーンダイク博士。通称をべルという、うら若き乙女である。

 おかっぱにした茶色い髪、ヘイゼルの瞳、そばかすの散った白い肌。好きな研究をしていられればそれで幸せな性格だが、子供の頃から数学と物理の才能を認められ、パトロール隊の研究所に出入りしている。

 本人は恥ずかしがりで、大人たちの間に混じって所在なげにしていたが、周りが彼女の才能を放っておかなかったのだ。

《ごめんなさい、任務中にお邪魔して。たまたまウォーゼルに連絡する用件があって、そうしたら、あなたとの会話を中継してくれるというので……あの、何もお変わりありませんか?》

《あ、ああ、異常はないよ》

 自分が耳まで赤く染まるのが、自分でわかる。ベルの全身から、純粋な尊敬と思慕が放射されているからだ。いつものように飾り気はなく、質素な衣服だが、それでも年頃の娘の持つ華やかさは隠せない。

 かつての天才少女は、もう少女とも言えない年齢になった。そしてなぜだか、少女の頃から一途に、このぼくを慕ってくれている。

 本人がそれを口にしなくても、技術会議などでぼくの前に出た時の、きらきら輝く瞳、赤く染まった頬、そわそわ、いそいそする態度を見れば、周囲の誰にでもわかってしまうことなのだ。おかげで何十回、何百回、何千回、周囲から囃し立てられたことか!!

『観念して、さっさとプロポーズしたらどうですか!!』

『これ以上はない、お似合いのカップルですよ!!』

 慕われて、嬉しくないとは言わない。いや、胸が詰まるくらい嬉しいと言ってもいい。だが、それに応えるわけにはいかないのだ。

 常に戦いの最前線に立つレンズマンは、いつ死ぬかわからない身でもある。たとえ結婚したところで、一年のうち何日、一緒にいられるか。

 ぼくの母がそうだった。子育てをしながら、ひたすら父の帰りを待ち続ける日々。遠い宇宙を飛び回る夫が家に戻ってくれるのは、年に一度か、二度かもしれない。

 そうして、ようやく得られた貴重な休日に、父と二人で近隣の星へ小旅行に出た途端、敵が仕掛けた罠にはまって、宇宙船ごと吹き飛ばされた。レンタル船を父が操縦していたため、他の乗客や乗員を犠牲にしなくて済んだのが、唯一の幸運。

 残された姉とぼくは、知らせを聞いて、呆然と立ち尽くしたものだ。

 ぼくの場合は、五つ年上の姉が保護者代わりになってくれたが、気丈なクリス姉さんだって、当時はまだほんの少女だった。いつかこの仕返しをする、両親の仇を討つ……その一念が、姉さんを〝鋼鉄の淑女〟に育て上げてしまったようなものだ。

 いたいけなべルを、そんな目に遭わせるわけにはいかない。科学者として、パトロール隊に貢献してくれるだけで十分だ。恋愛は、他の男とすればいい。まだ若いのだから、きっとぼくよりいい男が現れる。

「ちょっと失礼」

 あたりにいる当直士官たちに断り、司令室を出て、近くの空き室に入った。精神感応による対話は、心の中だけで可能だが、ぼくの表情の変化を、司令室の隊員たちに読まれるのはうまくない。

『お邪魔なんかしませんよ』

『ゆっくり話せばいいじゃないですか』

 などと笑われるのが落ちだ。

《べル、まだ海賊船とは出会っていない。だから、Q砲の威力は未確認だ。こっちからの報告を待ってくれ。こんな風に、ウォーゼルの手を煩わせるのはよくないな。彼だって任務中なんだから》

 努めて事務的に告げた。往復精神感応では、こちらの感情や思考をも、相手に洩らしかねない。用心して自分の気持ちを隠すようにはしているが、それに失敗したら、ベルが間違った希望を持ってしまう。だから、表層の思考だけを投射するように努力している。

《ごめんなさい》

 素直な娘は、全身で恐縮を表した。ウォーゼルは背後に退いて、中継だけに徹している。

《任務の邪魔だとは思ったんですけど、ウォーゼルが、ご自分の連絡のついでだと言ってくれたので……》

 彼は以前から、ベルと子作りしろと、ぼくに勧めている。きみの優秀な遺伝子を、この世に残さないのは罪悪だから、と。

 卵生であるヴェランシア人には結婚という習慣はなく、成長した時点で好みの異性を選び、気軽に繁殖行動を行う。卵から孵化した時点でかなりの行動能力を持つ彼らには、親子の絆も薄い。子供が自力で行動できるようになれば、親はそれぞれ別の異性に向かったり、仕事に戻ったりする。

 胎生である人類は、男女、親子がもっと強い絆を持つのだと説明しても、理解してくれない。明日死ぬかもしれない立場なら、なおさら早く子孫を残せと言う。子供を残すのもまた、レンズマンの任務のうちだと。

 それが他のレンズマンのことなら、ぼくだってそう思うのだが。

《緊急の用でないなら、これで終えるよ。元気で》

《あっ》

 ベルが悲痛な顔をしたのに構わず、精神感応をウォーゼル相手に切り替えた。

《余計な真似をしないでもらいたいな》

 しかし、ドラゴン型異星人に、ぼくの抗議は伝わらない。

《余計なものか。ヘインズ司令にも頼まれている。きみらの仲を取り持ってくれと。きみとソーンダイク博士の子供なら、レンズマンになれる可能性はきわめて高い。もちろん、科学者でもいい。とにかく、貴重な人的資源になることは間違いない》

 ヘインズ司令……思わず額を押さえてしまった。

 まったくもう、あの人は……銀河パトロール隊の最高司令官ともあろう人が、月下氷人の真似なんかしなくていいのに。

 どうせ仲人をするなら、ぼくより、クリス姉さんの方を何とかしてくれと言いたい。三十五にもなるというのに、仕事ばかりで、色気のかけらもない人なんだから。

《ああ、そちらも頼まれている》

 とウォーゼルは恬淡として思考を伝達してくる。相手がウォーゼルだと、こちらの思考を隠すのは至難の業だ。

《月に一度の割で、良さそうな男をクリスの回りに出没させているのだが、いっこうに化学反応が起こらなくてな。きみからの助言が欲しいと思っていたところだ。クリスはいったい、どんな男が好みなのだ?》

 思わずよろめいて、壁に手をついた。

《ウォーゼル、きみは……人間の男を精神操作して、姉貴の回りをうろつかせているのか!? レンズの悪用だぞ、それは》

   『レッド・レンズマン』1章-3へ続く

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