恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-2
14章-2 ミカエル
違法組織が優良だと言うのは変だが、ここなら、市民社会のまっとうな企業に近いと言えるかもしれない。ぼくもセイラも、人間並みの報酬を貰っているし、週に一度は休みもあるのだ!! 今では、単独の外出さえ認められている!!
ぼくは自分が所属していた組織しか知らないから、あれが普通なのだと思っていた。だが、この《ラピス》の規律正しさ、志の高さと比較すれば、《ルーガル》は、まさしく三流だったのだとわかる。ぼくらが脱出できたのも、組織が隙だらけだったからこそ。
すると、大規模な老舗の組織ならば、もっと内規が厳しいのか? だからこそ、長く繁栄を続けていられるのか?
それとも、規模が大きいから、自堕落でも生き延びていられるだけか?
(ああ、リリーさんの意見が聞きたい)
焼けつくように、そう思った。
(リリーさんから何も学ばないうち、こんな遠くに来てしまった。麗香さんは、ぼくが死んだと説明しているはずだ)
中央のニュースでは〝リリス〟の活躍がわかるが、こちらから連絡を取ることはできない。麗香さんの考えは推測するしかなく、ぼくがどう行動するのが正解なのか、自信がない。
(お願いですから、どうかご無事で。いつか会える時まで、ぼくを忘れないで)
と祈るだけ。もしや、他の男がリリーさんに惚れ込んでまとわりついていないか、リリーさんがその男にほだされていないか、うっかり想像してしまうと、一人で転がって唸ってしまう。
その一方、ぼくに投げられる仕事は増え、内容も高度になっていく。他組織の販路に割り込む計画、新人の採用面接、その後の配属決定。そんなことまでぼくにやらせていいのか、という業務命令が、ぼんぼん飛んでくる。
毎日、あまりに忙しくて、脱出の隙を探すどころか、リリーさんのことを思って、めそめそする暇もあまりない。
朝は目覚ましで飛び起き、セイラの用意してくれた食事を、ユンやアフマドと一緒に摂る。昼間は調べ物や打ち合わせに飛び回り、時には、ジャン=クロードの外出のお供をする。
彼は外では、ぼくを次席秘書だと紹介した。おかげで出会う人々は、ぼくのことを、
『子供の肉体に脳移植した、人間の中年男』
と思うらしい。辺境では、肉体の乗り換えは珍しくないからだ。趣味で男から女へ、女から男へ乗り換える者もいる。中年男が子供の姿を選ぶくらい、驚くことではないのだろう。
そうして、ある朝、朝食のテーブルに熟れた西瓜と、艶やかな葡萄を見た時、ぼくは愕然とした。
(もう、半年過ぎてしまった!!)
こうしている間にも、ぼくの脳内では、悪性腫瘍が広がりつつあるはず。
でも、それに伴う不調は何もない。
そもそも、ジャン=クロードに拾われた時に、全身の精密検査をされたが、特に異常はないという判定だった。もしかして、麗香さんに与えられていた薬の効果だろうか。それならば、もうしばらくは心配ないのか。
それに、もし不調を感じたら、ジャン=クロードに言えば、適切な治療を受けさせてくれるだろう。それくらいの手間や費用を惜しむボスではない、と今ではわかる。違法組織なのだから、市民社会の法律に縛られる必要もないのだし。
(逃げるより、ずっとここにいた方が、いいのかもしれない……)
ぼくの給料は今や、ユンやアフマドに次ぐ水準になっているのだ。こんな公正な違法組織、きっと他にはない。
下手に逃げて、リリーさんに連絡をつける前に、麗香さんに発見されたらと思うと、その方がよほど恐ろしい。
だけど、リリーさんの役に立つのでなかったら、ぼくがこの世に生きている意味は!?
「ミカエルさま、アイスコーヒーのお代わりはいかがですか?」
カールした黒髪をポニーテールにしたセイラは、夏用のエプロンドレスでにこにこして言う。
「あ、ありがとう。いや、もういいよ」
新入りのぼくが、彼女の階級を追い越してしまった時から、セイラはぼくを『さま』付きで呼ぶようになった。
『呼び捨てでいいよ』
と何度も言ったのに、
『規律というものがありますから』
と、そこだけは頑固に言い張る。
『じゃあ、兄さまというのは?』
『それはだめ。だって、年齢的には、ほとんど変わらないんですもの』
こちらは、いささか居心地が悪いのだが、セイラは階級の開きを何とも思わない様子で、楽しげに自分の仕事をこなしていた。
季節に相応しい食事の支度、日用品の補充、掃除や洗濯の采配。アンドロイド侍女が何体も、セイラの指図で無駄なく動いている。基地内部はぴかぴかに磨き立てられ、あちこちに花まで飾られている。その中で暮らす人員も、勤務時間外には気を許した私語を交わす。
「アフマド、ビアガーデンに付き合ってよね」
涼しげな浅葱色のスーツ姿のユンが、同じテーブルの警備隊長に言う。
「ああ、いつでも」
女性たちの私的な外出には、屈強な大男のアフマドを連れていけば安心なのだ。彼は必要以外、あまりしゃべらない男であるが、その分、ユンが快活にしゃべっている。
「セイラ、週末は買い物に行きましょうね。服を買ってあげる。去年の服は、もう小さいでしょう?」
「はい、ありがとうございます、ユン姉さま。でも、貯金がありますから、自分で買えます」
「それは、他のことに使いなさい。わたしが買いたいんだから、買わせてよね」
「あ、それでは……お言葉に甘えます」
「そうそう。子供は素直が一番。ミカエルみたいに、ひねこびてるのはよくないわ」
「ひねこび……? 何です? ぼく、ひねくれているつもりはありませんが?」
「ほうらね。そこが、ひねこびてるっていうの」
「わかりません!!」
「いいわよ、何でも。とにかく、ボスはあなたがお気に入りなんだから」
……そうなのだろうか?
ユンも忙しく働いているが、ベテラン秘書なので、時間を調整して遊びに出る余裕はあるようだ。しかも、セイラを連れて。
普通、人間はバイオロイドと友達付き合いしたりしないものだが、ユンはセイラを妹のように可愛がっていた。服の選び方を指南したり、読むべき本や、見るべき映画を教えたり。
そもそも、バイオロイドが『貯金している』とか、『私服を持っている』というのが、普通ではない。
ぼくにも他組織の内情が見えてきたので、ここは例外的な組織なのだということが、納得できるようになった。やはり普通は、バイオロイドを奴隷として扱っている。彼らが経験を積んで知恵をつけないよう、五年で始末している。ジャン=クロードの方針が、異例中の異例なのだ。
(もしかしたら……)
麗香さんが、この《ラピス》に目を付けている、ということはないだろうか。そのうちジャン=クロードを、自分の部下として、組織ごと手に入れるつもりなのかも……彼に注目したのが先で、彼を試すつもりで、ぼくを拾わせたとか……?
いや、考え過ぎだ。ぼくはあの時、犬に食い殺されて不思議はなかった。あるいは、力尽きて、湖で溺れていたかもしれないのだから。
そのジャン=クロードは、朝食後、愛用のサングラスをかけ、袖まくりした淡いベージュのスーツ姿でやって来て、ぼくだけを連れ出した。アフマドとユンは、別の仕事に回るという。普通なら、ぼくの他に、彼らのどちらかがボスに付くのだが。
ジャン=クロードの移動オフィスである武装トレーラーの中で、初めて説明された。
「これから、戦闘艦隊で出航する。一つ、始末をつけなければならない組織があるんでな」
「はあ、そうですか」
そういう敵対組織があるとは、初耳だったが、ぼくは特に驚かなかった。ぼくに見えているのは、組織全体の業務の一部にすぎない。艦隊戦と言われても、ぼくはただ、ジャン=クロードに付いていくだけのこと。
「では、艦隊指揮は、あなたがなさるんですね」
「いいや。主要艦にだけ人間の艦長を置いてあるが、それは細かい部分の指揮をさせるためだ。全体の指揮官は、おまえがやれ」
しばらく、言われた言葉が飲み込めない。
ぼくに、何をやれって!?
戦闘艦隊の……指揮!?
絶対、何か聞き間違えたに違いない。だが、ジャン=クロードは当然のように言う。
「ミカエル、おまえに一艦隊預けると言ったんだ。攻略戦を任せる」
「え、だって……」
そんなことは、リリーさんのような、戦いのプロがすることではないか。ぼくは、銃の区別もろくにつかないし、ミサイルの種類もよく知らないのだ。遊びの戦闘シミュレーションすら……そういえば、麗香さんに幾度かやらされたが、それも、ほんのお試し程度。
「敵の主基地を陥落させつつ、組織全体を制圧するんだ。俺は横で見ている。おまえが失敗したら後を引き継ぐが、その時は、俺もたぶんあの世行きだろう。頼むから、うまくやってくれよ」
どうやら、冗談ではないらしい。
だが、それは、これまで命じられてきた事務仕事や調査仕事とは、まるっきり異質のものだ。ジャン=クロードは、頭がどうかしたのではないか。
「無茶を言わないで下さい」
彼を刺激しないよう、なるべく静かに反論した。
「それは、あなたかアフマド隊長のすることです。でなければ、タオでもギャラディでもテムジンでもいいですから、軍隊経験者の誰かに命じて下さい。ぼくは射撃練習すら、数えるほどしか、したことないんですよ?」
それでも、ジャン=クロードは態度を変えない。
「アフマドには、俺の留守を任せてある。生きて戻れなかった場合のことは、ユンに託してある。他の幹部たちには、何も知らせていない。視察旅行と言ってあるだけだ。この仕事は基本的に、俺とおまえだけで片付けなきゃならん」
「秘密の作戦? なぜ、秘密なんですか」
「相手は《ルーガル》だからだ。《ラピス》のための仕事じゃない。おまえ個人の戦いだ」
衝撃だった。
その名前は、もうほとんど忘れていたのに。
一緒に脱出した、ウリエルとガブリエル。そして、置き去りにしたラファエル。リリーさんに会う以前の、かすんだ記憶。
「勝てばもう、おまえは二度と刺客に追われることはない。そう聞いたら、やる気が出てきただろう」
ぼくはしばらく固まったまま、テーブルの向こう側の伊達男を眺めてしまう。ということは……ということは……
「もしかして、ぼくが誰だか、あなたには、最初からわかっていたんですか……?」
すると、呆れたように笑われた。
「おいおい、俺が偶然におまえを拾ったと、まだ思っていたのか? たまたま偶然、ミカエルという名前を選んだとでも?」
世界がぐるりと回転した。それでは……何もかもが違ってくる。
(麗香さんが……?)
ようやく納得できた。《ラピス》の活動資金の出所も。急激な拡大ぶりも。麗香さんがぼくを殺すつもりなら、他人任せにしたりしない。
(獅子は、我が子を、千尋の谷に突き落とす……)
顔から火が出る。
ぼくは、何という馬鹿だ。リリーさんが信頼して、ぼくを預けた人が、ぼくを中途半端に放り出すはず、ないではないか。
ぼくに、自力で戦う覚悟を決めさせるためだ。
そんなこともわからず、うじうじ恨みを抱いていたなんて……!!
「俺は、ある人物から命じられたんだよ。おまえを現場で鍛えろとな」
あの仕事もこの仕事も、全て、ぼくに実務を学ばせるため。
いや、それにしても、ぼくの目の前で犬に噛み殺された少年は……実は殺されたのではなく、ちゃんと治療してもらい、助けてもらったのか? それとも、道具として使い捨てられた?
リリーさんなら、バイオロイドを使い捨てにしたりしない。戦闘の中でやむなく殺すことはあっても、助けられる時には必ず助ける。
だが、麗香さんは?
ぼくにはまだ、あの人の本質がわからない。
いや、わかっている……本当はわかっている。何の禁忌も持たない人だと。だからこそ、一度は判断した。彼女はぼくを捨てたのだと。
でも、ぼくはまだ期待されているのか。これが、最終試練ということなのか。
「その報酬として、組織を強化するための資金を与えられた。こちらにとっては、有利な取引だ。文句はない。おかげで、組織の足元が固まった。しかし、数日前にまた、最高幹部会に呼び出されて、命じられたんだよ。そろそろ、最終試練にしろってな」
え。
ちょっと待ってほしい。
いま、最高幹部会と言ったのか? それは、〝連合〟を束ねる最高幹部会のこと?
ジャン=クロードのスポンサーは、麗香さんではないというのか!?
『ブルー・ギャラクシー 天使編』14章-3に続く