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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー ミオ編』11

ミオ編11 28章 ミオ


カプセル詰めで下水管の中を流され、あちこちにがんがんぶつかってから、どこかのビルの地下で拾い上げられるという、珍しい体験をした。

この都市では、繁華街の汚水は各ビルで一時処理をされた後、公共の処理場に送られ、そこで完全な浄水になってから、川に流されるらしい。アンドロイド兵士に抱えられたので、汚水にはほとんど触れないで済んだけれど、ディーンもヴァイオレットさんも、こういう脱出方法は初めてだという話。

「格好よい方法ではないが、贅沢は言えないからな」

とディーンは苦笑していた。浅黒い肌に黒髪の、痩せた中年男で、闘士というよりは、策士という感じ。暴力よりも、知恵で生き延びてきた人物らしい。

それから、人気のない地下通路を、何百メートルか歩いて移動させられた。繁華街のどこかだという以外、場所の見当はつかない。

どこかのビルの地下車庫に出てから、わたしたちは中型トレーラーに押し込められ、服を脱がされた上で、監禁された。もしもの場合でも、下着姿に裸足では、逃亡しにくいということらしい。

逃げられるものなら、わたし、裸でだって逃げるけれど。だって、見られて恥ずかしいと感じる相手は、サンドラだけだもの。そのサンドラにだって、もう、幾度も見られているのだし。

ただし、かつらも奪われてしまったから、みっともない短い髪がむきだしのままだった。寒いという温度ではないものの、さすがに下着姿では心細かったし。サンドラに見てもらうために、毎日、優雅なレースの下着をつけているから、みすぼらしくないのが唯一の救い。

ヴァイオレットさんも、象牙色のシルクの優美な下着姿にされていた。結っていた長い髪もほどかれて、宝石類も通信機も、隠し持っていた武器も、全て取り上げられている。

それでも、端然と座っているさまは、高貴なまでに美しい。下賤の者が何をしようと、自分の誇りは傷つかないという横顔。

その美貌も、ほっそりした手足も、名工が作った人形のように整っている。ただし、胸のふくらみは、かなりひかえめと言うべきね。その点では、わたしの方が勝っているわ。というより、勝てるのはそこだけかも。

それだって、サンドラからすれば、特に興味のないことかしら。サンドラ自身が美人でグラマーだし、そもそもサンドラは、男性の王子さまを待っているのだから。

サンドラをお姫さまにしてあげられるような男性が、この世には滅多にいないということが、たぶん、悲劇なのだわ。

わたしたちは見張りの兵士付きでラウンジ区画にいたれど、快適にはほど遠かった。手首には頑丈な手錠をかけられているし、裸足の足首は、座席の脚部に手錠でつながれている。おトイレに行きたい時だけ、兵士が足枷を外してくれる。

人質になるなんて、生まれて初めて。

――ヴァイオレットさんが《ナギ》の制御する部隊に、ドーム施設の奇襲を命じたから、こうなった。本当は、サンドラが戻ってきてから、という予定だったのに。

おまけに、なぜだかわたしたちの位置が敵に知れ、あっという間に捕まえられてしまった。

もしかして、〝リリス〟といえども、歴戦の違法組織に対しては、特に優位には立てないのかもしれない。だとしたら、今日まで生き残ってこられた方が、奇跡的。

それとも……サンドラに何も言わず、ヴァイオレットさんが勝手に攻撃を始めてしまったことが、大きな間違いなの?

ヴァイオレットさんは、まさか……乱戦になって、わたしが死ねばいいとでも?

だけど、自分まで捕まってしまったら、意味がないはず。やっぱり、戦闘では、予測外の敗北がある、ということなんでしょう。

わたしは薬を打たれ、朦朧としているうち、質問されたことに全て答えてしまったらしい。サンドラたちが〝リリス〟だということの他は、たいしたことは何も知らないのだけれど。

わたしときたら、いまだにサンドラの本当の名前すら教わっていない。

ヴァイオレットさんの本名らしき名前は、幾度かサンドラがぽろりと洩らしたけれど、忘れるように努力してきた。尋問の時、知られないで済んだかしら。

ディーンは、わたしたちを餌にしてサンドラを捕まえるか、ヴァイオレットさんだけをグリフィンに渡して懸賞金をせしめるか、どちらに転んでもいいよう、手配をつけたという。わたしたちの様子を見に来たついでに、色々と話してくれた。

「〝リリス〟が出張してきたとは驚いたが、うちのような二流組織には、天恵かもしれない。片割れだけで満足する手もあったが、せっかくの機会だ。もしも〝リリス〟の主力を捕まえられたら、六大組織の上級幹部の座も望めるだろう」

そこまでは野心があるようだけれど、保身も忘れていない。危険を感じたら、なりふり構わず逃げるという。

「このビルはしばらく、突き止められないだろう。こうして時間稼ぎをしているうちに、グリフィンが配下を派遣してくれる」

もう、科学者の身柄など、どうでもよくなったらしい。人身売買で得られる利益など、〝リリス〟にかかった懸賞金に比べれば、問題にならないという。

「その配下は、どこから来るの?」

わたしが尋ねたことにも、ディーンは答えてくれた。

「派遣する、と言われただけで、詳細はわからない。そもそも、グリフィン本人ではなく、その下の事務部門の者と話しただけだ。グリフィンが、外部に素顔をさらしたことはないらしい」

どうやら、ディーンの部下にはイエスマンしかいなくて、対等な誰かと話したい欲があるらしい。

「とにかく、彼らがリリーを捕まえてくれれば、わたしの手柄にしてくれるそうだ。まあ、そううまくいくかどうかは、わからないが」

と言う態度は、謙虚ですらある。違法組織の幹部というのは、欲に狂った自惚れ屋ばかりだと思っていたけれど、案外と冷静なのね。

ヴァイオレットさんには〝リリス〟の片割れとしての価値があるけれど、わたしはおまけに過ぎないから、人質の役が済んだら、売り飛ばすか、映画の撮影に回すかするという。

「悪く思わないでくれ、お嬢さん。利益を上げなければ、組織は維持できないのでね」

という彼の言い分は、納得できる。科学者を売り飛ばすのも、ビジネスの一つ。わたしもまた商品だから、無用な怪我など負わせたくないのだろう。

本当なら、しくしく泣いてもおかしくない事態だけれど、わたしは自分でも意外なほど平静だった。

売り物にされるのも、下劣な撮影に使われるのも、もう経験済み。泣いてもヒスっても、役には立たない。それよりは、冷静にあたりを観察して、隙があれば利用すること。

それにまた、ヴァイオレットさんが、膝の上に手を置いて静かに座っているからだ。あきらめているのか、それとも助けを信じているのか。あるいは、なるようになる、と悟りを開いているのか。

華奢な人なので、白い薄手の下着姿で、手首に太い手錠をかけられているさまが、痛々しい。

それでも、わたしのことなど、もう別世界の住人のように無視している。きっと、サンドラのことしか考えていないんだわ。

人のことは言えないけれど、怖いほどの執着という気がする。こんなに美しいのだから、その気になれば、いくらでも男性を手に入れられるはずなのに。

そんなもの、手に入れてもしょうがないと思っているのね。それは、わたしも同感だけど。

とにかく、ヴァイオレットさんが平静なら、わたしも負けられない。みっともなく泣きわめいたりしたら、

『やっぱり、この世界は無理でしょ、あなたには』

と見下されてしまう。それよりは、体力を温存して、脱出の機会を狙うこと。

車内にはアンドロイド兵だけでなく、生身の肉体を持つバイオロイド兵もいるけれど、強姦されるような気配はなかった。ディーンも、ほとんどの時間、同じ車内の前方にいて、どこからか報告を受けたり、部下に指示を下したりしている様子。

冷静さを保ってはいるけれど、伝説のハンターを敵にした、という緊張がありありと見えた。少しでも気をゆるめれば、自分の負けだと思うらしいのだ。

それにしても、ただ座って変化を待つだけというのは、退屈なものだった。自白剤のせいでわずかな頭痛が残っているけれど、あとは別に何事もない。どうかすると、眠くなってくる。

いま何時かしら? さっき軽い夜食を勧められてから(ヴァイオレットさんが断ったので、わたしもそうした。毒入りだと困るし)、何時間経っている?

わたしたちのいる後部区画には窓はなく、外が見えない。車外を映す画面はあるけれど、ビル内の壁が見えるだけ。今夜中にはもう、何事もないかもしれない。それなら、眠っておく方がいいわ。サンドラが来てくれた時、明晰な頭でいられるように。

「毛布をくれる?」

見張りのアンドロイド兵士に言ったら、案外親切に、棚から二枚、取り出してくれた。一枚は、近くの椅子のヴァイオレットさんに渡される。

「わたし、少し眠ります。おやすみなさい」

と断って椅子の背を倒し、暖かい毛布にくるまった。足枷のせいで姿勢は制限されるけれど、周囲の照明も絞ってもらったし、何とか寝られるわ。

ヴァイオレットさんは、肩に毛布をかけはしたけれど、きちんと座ったまま。細く見えても強化体だから、体力があるのね。

うとうとしかけた時、突然、車を突き上げる震動があった。小惑星都市に、地震はない。爆発の連続だ。サンドラかもしれない!!

「やられた。さすがに早いな」

とディーンが部下に話すのが聞こえた。攻撃されているのは、さっきまでいたコンドミニアムらしい。これだけ震動を感じるということは、下水管を通して流された距離は、そう長くないのだろう。そこからずいぶん歩いたと思っても、大回りして、元のビルの近くに戻っているだけなのかも。

「遠くに隠れるより、かえって見つかりにくいのかしら」

とヴァイオレットさんに話しかけてみたけれど、返事はなかった。相変わらず、どこか遠くに意識を飛ばしているみたい。それとも、わたしを無視したいだけなのかしら。

それなら、それで構わない。わたしはひたすら、サンドラを待つだけだもの。ただ、もしもヴァイオレットさんと協力すべき瞬間があったら、どうしようと思うだけ。

やがて、ディーンは車を出すよう命じた。他の組織の車が、騒ぎの巻き添えを恐れて逃げ出すのに混じれば、特に怪しまれないということらしい。

トレーラーは、ビルの地下から外の道路に出た。窓代わりのモニター画面を見ると、周囲には、明かりを灯したビル群がそびえている。その間の道路には、たくさんの車。戦闘はもう終わったようで、何の騒ぎも伝わってこない。車は繁華街を離れ、真っ暗な緑地帯を抜けていく。

サンドラにはまだ、わたしたちの居場所がわからないの!?

このまま、またどこかの地下に潜ってしまったら。あるいは、都市外へ連れ出されてしまったら。そして、都市内でわたしたちを捜索するサンドラの方こそ、グリフィンの配下に捕まってしまうかもしれない。わたし、何かしなくていいの?

焦って腰を浮かせていたら、いきなり轟音がして、車が横転した。わたしは椅子に繋がれたまま転げて全身を打ち、息ができなくなる。毛布を巻いていただけ、まだましだけれど、頭を打ったかもしれない。

痛みで朦朧としているうち、誰かがわたしの足枷を外した。そのまま腕をつかんでわたしを引きずり、車の外へ連れ出していく。体格と腕力からして、アンドロイド兵士だろう。裸足の足裏に、ざらざらの路面が冷たい。

毛布を失ってしまうと、寒さで鳥肌が立った。ヴァイオレットさんも、やはり連れ出されたのかしら。でも、頭に傷を作ったらしく、血が流れ込んできて目が見えない。

「援護しろ!!」

「予備の車を!!」

という声と、周囲を走る足音、交錯する銃声。左右のどこかで、何かが爆発したような衝撃も感じた。細かい破片が飛んできて、短い髪の毛にパラパラ当たる。刺激のある、煙の臭いに包まれる。あちこちで、どさりと重い音がするのは、護衛の兵士が倒されていく音ね。

やがて、裸足の足の下に、草と石ころを感じた。車道から外れたらしい。手錠をかけられたわたしの腕に、別な誰かが自分の腕をからめて引き立てる。

「このまま歩け。暴れたら、撃つ」

その声は、ディーンのもの。わたしの頭に、何か堅いものを押しつけてくる。銃弾の一発で、わたしは即死するだろう。

「下がれ、道を開けろ!! 近寄ったら、こいつも死ぬぞ!!」

ディーンは明らかに、恐怖でひきつっている。既に、囲まれているんだわ。

「構わないよ、撃てば。次の瞬間、あんたも死ぬだけだ」

空中から、少しくぐもったサンドラの声が応じる。偵察虫を経由した放送らしい。溶けるような安堵で、膝から力が抜けてしまう。崩れそうになるわたしを、ディーンが恐ろしい力で引き上げる。

「その子を放して、降参おし。そうすれば、命は助ける」

虫が宙を飛び回りながら、そう告げる。でも、ディーンにはそうする気はないようだった。荒い息をしながら、躰の前面でわたしを押して歩かせていく。ぎこちにい歩き方からすると、彼もどこか、怪我をしたのかも。

「あっ」

足が何かにひっかかり、躰が前に泳いだ。その瞬間、

「あぐっ」

と変な声がして、わたしを抱え込んでいた力がゆるんだ。その場に倒れ込んだわたしの全身に、びしゃりと生暖かいものが降りかかる。むっとする鉄錆の匂い。湿った音を立てて、一つの躰が二つに分かれて崩れ落ちる気配。

目が見えないまま、しゃがんでじっとしていたら、次にわたしに触れた誰かは、聞き覚えのある声をしていた。

「もう大丈夫です。手当てしますから」

《ナギ》の操る美青年アンドロイドの声だった。では、助かったのだ。

「ナギ、サンドラに言って。早く脱出しないと、グリフィンの追っ手が来るって」

「はい、伝えますが、大丈夫ですよ。すぐに撤収しますから」

顔に流れる血をぬぐってもらい、あちこちの切り傷には保護スプレーをかけてもらった。目を水で洗ってもらい、ようやくあたりが見えるようになる。

数キロ先にビル群の明かりが見える、暗い野原だった。わたしたちは、野原から林に入りかけた所にいる。すぐ横手の道路に何台もの武装トレーラーが停まり、あるいは横転し、こぼれる明かりで野原が照らされていた。あちこちで爆破の痕跡らしい薄煙が上がり、わたしは血で真っ赤に染まっている。わたし自身の出血は、たいしたことがないのに。

振り向くと、ディーンが肩口から縦に切断されて、草地に倒れていた。切り口から内臓がこぼれ、大量の血が流れている。銃を握ったままの右の手首も、近くに落ちていた。

映画で見た通り、超切断糸の仕業に違いない。わたしには一筋の傷もつけないまま、ディーンの肉体を糸が通過したのだ。

赤毛のかつらのサンドラが、ゴーグルをかけ、戦闘服姿で近くに立っていた。こちらから声をかけるのが怖いほどに厳しい態度で、あたりの兵たちに指示を出している。生存者の逮捕、撤収の手順、止めていた交通の再開。

たぶん、これが本来のサンドラなのだ。

道路上で横転したトレーラーの方を見ると、数体のアンドロイド兵が、ヴァイオレットさんを運び出したところだった。盾として連れていくなら、わたしの方が簡単だとディーンは判断したのだろう。

周囲は装甲服の兵士や機械兵で一杯で、わたしたちはすぐ、別の武装トレーラーに運び込まれた。座席に落ち着くと、走りだした車内で、サンドラが、ようやくこちらに来てくれる。

当然、優しくいたわってもらえるものと思った。抱いてくれて、キスしてくれるわ。可哀想に、怖かったでしょうと。

ところが、サンドラは血まみれのわたしを素通りした。まるで、目にも入らないかのように。そして、すぐ後ろで、ビシッと鋭い音がした。振り向くと、ぶたれたのはヴァイオレットさんだった。

「待てと言ったでしょう!! 自分は戦闘向きじゃないと知ってるくせに、どうして無茶をするの!!」

ヴァイオレットさんは躰を傾け、黙ったまま頬を押さえている。サンドラは怒りで息を荒くしたまま、パートナーをみつめている。わたしは声もなかった。任務でなくても、自費で小さい女の子を助けた人が。

初めて、冷たい実感に浸された。

――サンドラが本気で心配するのは、この人のことだけなのだ。

わたしがこんな風に怒られることは、きっと、ない。わたしには何も求めず、期待しないから。

わたしが身をすくめ、息を殺していると、サンドラはようやく振り向いて、静かな声で言った。

「ミオも、無事でよかった。怖い目に遭わせて、悪かったね」

ミオも。サンドラの正直さは、残酷を通り越して、笑えるほどだ。たとえ薄闇の中でわたしを愛撫してくれても、それは〝心の治療〟であって、恋愛感情に変わることは、決してない。

それは、ヴァイオレットさんに対しても、そうかもしれない。だからこそ、ヴァイオレットさんも苦しんでいる。

でも、ヴァイオレットさんは、それ以前にサンドラの従姉妹であり、親友なのだ。そこにわたしの入り込む隙間は、ない。たぶん、他の誰であっても、ないだろう。

「ミス・サンドラ」

ナギが声をかけてきた。感情がないから、平静だ。

「たった今、グリフィンの名で、出航禁止令が出ました。都市内のあらゆる組織、あらゆる人員に対して、都市からの離脱を禁じています。外は、グリフィン艦隊に包囲されているようです」

わたしは恐怖で、息が詰まった。それでは、グリフィンは都市内をしらみ潰しに捜索し、何日かかろうと、こちらを発見するだろう。その間は、誰もこの《ヴァンダル》から逃げられない。ついに〝リリス〟が、グリフィンに捕まる時が来たのだろうか。

サンドラは、それでも、たいして迷わなかった。きっと日頃から、対処を考えてあるのだろう。

「ミオ、あんたとツァオ教授は〝オフィス〟に預ける。グリフィンの側も、司法局の出張所にまで手出しはしないだろう」

「え」

「あたしたちが一緒でない限り、〝オフィス〟は見逃がされるはずだ。市民社会とまともに対立することは、最高幹部会も望んでいない」

サンドラと別れる。別行動になる。

違法都市にある司法局の隠れ家にわたしたちを託したら……どうやら、目的だったツァオ教授は確保できたようだけど……サンドラは、どこかへ行ってしまうのだ。ヴァイオレットさんと一緒に。

「そんなの……」

いや、絶対いや。でも、サンドラは既に命令を下していた。

「ナギ、ミオと教授の護送を頼む。ミオ、司法局員が、あんたたちを無事に中央に届けてくれるから」

いや。離れたくない。一緒に連れていって。

サンドラにとりすがって、抵抗しようとした。でも、そんなことで時間を空費している余裕はないということも、わかる。グリフィンの部下たちはもう、戦闘現場からの追跡を始めているだろう。わたしが迷惑をかけたら、サンドラの命取りになる。

「また、迎えに……」

せめて、その一言があれば。

「約束はできない。だから、ここでさよならだ。元気でね」

ばっさりと、斬り捨てられた気がした。サンドラは、振り向きもせずに歩み去る。わたしはナギの手に手を取られ、別な車に移されそうになる。

このまま、もう二度と会えないの。

あの背中が、わたしの見る最後の姿。

その瞬間に思ったことは、せめて、矜持を持って別れたいということだった。さもないと、生涯、自分を恥じることになる。

「サンドラ、わたし、牧場を作るから!! 子供たちが喜んでくれるような、本物の牧場を作るから!!」

それが、サンドラの耳に届いたかどうかも、わからない。わたしは別な車に押し込まれ、サンドラから遠ざかる。

車から飛び降りて、駆け戻りたい。さもなければ、泣きわめいて、ナギに八つ当たりしたい。

でも実際には、身動きもできず、座らされた座席で固まっていた。一秒ごとに、サンドラは遠ざかる。そしてサンドラはもう、わたしのことを考えることすらしていないだろう。

わたしなんかが、ついていける人ではなかった。最初からわかっていたけれど、それでも、夢を見たかった。感謝するべきなのだ。今日まで、連れ歩いてもらったことを。

***

ツァオ教授とわたしは、別の繁華街の一角にある司法局の隠れ家、通称〝オフィス〟に保護された。雑居ビルの一部で、他の階には他の中小組織が入居しているという。

「違法都市からの脱出禁止令なんて、初めてですよ。お二人が、無事に逃げてくれればいいですがねえ」

司法局員たちは、状況把握に努めながら、わたしたちの世話をしてくれた。簡単な事情説明の後、教授とわたしはそれぞれ部屋を与えられ、休むように指示される。

「のんびり寝ていていいのかね?」

と不安顔の教授に、ベテラン局員は言う。

「もし、ここが襲われるのなら、とっくに襲われていますよ。都市の支配組織は、こちらの偽装なんか、とうに見抜いているでしょうからね。いま無事なら、きっと明日も無事ですよ」

サンドラもそう考えて、わたしたちをここに託してくれたのだ。今頃、ヴァイオレットさんと二人で、どう逃げ延びているのだろう。もしや、捕まっていたりしないだろうか。抵抗して、射殺されたりしていたら。

浴室で血の汚れを落としながら、一緒に涙も洗い流そうとした。でも、後から後から、新しい涙が溢れてくる。

……あんな風に、ぶたれてみたかった。サンドラに、本気で相手にしてほしかった。

でも、わたしはきっと、六つの女の子と同じなのだ。泣いている子供を放っておけないから、抱っこしてあやしてくれただけのこと。

永遠に、恋人にはなれない。

本当は、自分でもわかっていた。二人きりの夜、サンドラはわたしを愛撫して、夢中にさせてくれたけれど、わたしが同じ行為を返そうとすると、

『しなくていいよ』

と、わたしの手を止め、冷静に言うのだもの。

ミオ編11 29章 紅泉

迂回を重ね、車を替え、一応は追跡を断ち切ったと確信してから、ダミー組織の倉庫に入った。あらかじめ幾つも用意してある、非常用の隠れ家の一つだ。食料や雑貨、アンドロイド兵士や小火器など、雑多な品を取り扱っている。

ここがもし、グリフィンに突き止められたら、その時のことだ。

いくら最高幹部会の後ろ盾があっても、長期間、一つの都市の出入りを止めることはできない。何十万という人間が暮らし、活動しているのだから。精々、数日のことだ。その短い期間に、都市の隅々まで調べ尽くすことは、かなり難しいはず。

最後の最後には、ナギにあたしと探春の首を切断させて、凍結保存させるつもりだった。首から下は、焼却すればいい。首サイズのものなら、いくらでも隠しようはある。食肉倉庫の冷凍肉の中に突っ込んでも、構わないのだ。
 
そうして捜索の手を逃れたら、ナギがあたしたちを故郷の屋敷に運んでくれる。そうしたら、麗香姉さまが、あたしたちを復活させてくれるだろう。

まあ、さすがにそれは、最終手段だけれど。

少なくとも、ミオをそんな目に遭わせたくはない。あの子はもう、家に帰った方がいいのだ。違法都市まで連れてきたことが、あたしの間違い。下手をしたら、あたしが超切断糸で死なせていたかもしれないのだから。

とりあえずは、生活物資や武器類をぎっしり詰め込んだ倉庫の一部で、探春と共に座り込んでいる。一緒にいるのはナギの一体と、数体のアンドロイド兵士だけ。

他のアンドロイド兵には、市街地で攪乱の行動をさせている。追い詰められたら、証拠を残さず自爆するから問題ない。あたしたちが使っていた船も、一族とのつながりが知れるような部分は、抹消させてある。この都市から生きて出られる時が来たら、別の船を使えばいい。

ミオと教授も、無事で済むだろう。問題は……口をきこうとしない、探春だ。

(ぶったのは悪かったけど、今度ばかりは、探春が悪いんだよ)

子供の頃、ふざけていて、うっかり探春を階段から突き落としてしまったことがあったが、あれ以来の暴力かも。あの時は、平身低頭して謝り、骨折した探春に、笑って許してもらったものだ。二度とこんなドジはしないと、内心で繰り返し誓ったのに。

(あたしの帰りを待たず、勝手に攻撃を始めるなんてどうかしてる。艦隊の方に勝負をかけた時点で、ドーム基地は捨ててもよかったのに)

無理に仕掛けなくとも、科学者の奪回なんて、探春の命に比べたら、どうでもいいことだ。それは探春だって、よくわかっているはず。

唯一、幸運だったのは、ディーンが徒歩で逃げる時、ミオを盾にしたことだ。おかげであたしは、冷静に対処できた。

あれが探春なら、奴の指が間違って引き金を引かないかどうか、心底から怖かったはず。切断糸を振るう腕も、緊張で、思うように伸びなかったかもしれない。

しかし、あれから探春は、口をきかない。服は着せたし、軽食も食べさせたけれど、倉庫の片隅で一眠りしてからも、目覚めてからも、何も言おうとしない。

あたしが話しかけたことについては、黙って頷くか、首を横に振るだけ。

言い訳をしたくないのだろう、とは思う。探春は誇り高いから。

しかし。何日も口をきいてもらえないと、こちらがいたたまれないではないか。

そもそも、ミオはもう手放したのだから、機嫌を直してくれてもいいはずだ。こんなに長時間、すねているなんて、大人げない。だいたい、今にでも、グリフィン配下の兵士たちが突入してくるかもしれないのに。仲直りしないまま死んだりしたら、どうしてくれる。

(まさか……)

死にたかった、というのではないだろうな。

まさか、いくら何でも。そんな馬鹿な。

ミオを連れ歩くことに賛成していないのはわかっていたが、ただの無邪気な居候ではないか。それも、傷ついた心身が癒えるまでのこと。

しかし、探春はぎりぎりまで我慢する性格だ。思い返せば、ユーシスの時も、ミカエルの時も、その他の男たちの時も……

そうか、あたしの相手が女の子なのは、初めてだったか……その方が、探春には辛かったのか。

ミオだけを危険にさらすことは、探春の矜持が許さなかった。だから自分もろとも、危険な賭けに飛び込んだ……そういうことか?

まったくもう。何を今さら。

あたしはこれまでいつだって、探春の方を選んできたではないか。

ミカエルのことさえ、あたしはあきらめたのだ。あたしを真剣に愛してくれる、最初で最後の男性だったかもしれないのに。

それに、ミオはもう故郷に帰るのだ。牧場を作ると叫んでいたが、あたしがそこに行くという約束もしていない。このまま会わずにいれば、人生の道はどんどん離れていく。

いい子だった。自分はもう立ち直ったから、心配するなとミオは言いたかったのだろう。心配なのは、こっちの方か……

あたしは決心して、四つん這いで探春に近づいた。そして、振り向いた従姉妹の脇の下に手を伸ばした。どこが弱点かは、よく知っている。

「あ……きゃあ!! いやあああ!!」

やはり、くすぐり攻撃は効いた。脇の下、背筋、膝の裏、足の裏、抑え込んで、あちこちくすぐりまくったら、必死で逃れようとしながら悲鳴をあげる。

「やめて、やめて!! それは反則よ!!」

探春は涙を浮かべて身をよじり、懸命に抵抗したが、自業自得だ。ついに降参するまで、あたしは容赦しなかった。探春は荒い息をついて、しどけない風情で、ぐったり床に横たわる。あたしが男なら、このまま強姦するところだ。

「わかったわ……もうわかりました。口をきくから、許して……」

わかればよろしい。

あたしは改めて探春を抱きかかえ、髪を撫でた。

「中央に戻ったら、バカンスに行こう。今度は南の島がいいかな? それとも温泉地?」

殺風景な倉庫の中では、楽しい話をするのがいい。探春も少しずつほぐれてきて、受け答えをする。

「そういえば、わたし、真珠の養殖場を見たことないわ」

「よし、産地で真珠の粒を買おう。まだティアラは持っていないよね? 好きなデザインで作るといい」

「だって、そんなものつけて、どこへ行くの?」

「仮装パーティかな。お姫さまドレスを着ればいい」

「あなたは何の仮装?」

「黒髭の海賊かな。仮面の剣士とか」

もう互いにミオのことは言わず、倉庫の片隅で、他愛ないおしゃべりを続けた。非常食を食べ、倉庫の床で並んで眠る。もっと若い、駆け出しの頃は、よくこういう危地に陥ったものだ。それでも、過ぎてしまえばけろりとして、また次の冒険に乗り出す。

(若かったな)

肉体は今も若くて強健だが、経験を積んだ分、慢心が生じていたかもしれない。ダミー組織を増やしてきたからこそ、何とか助かっているだけだ。

「しばらく、屋敷に帰ってもいいよ」

しかし探春は、苦笑して言う。

「あなたが退屈するでしょう。三日もいたら、お祖母さまと喧嘩を始めるわ」

まあ、そうかもしれない。

「それに、司法局が、次の依頼をしてくるわよ。あなたはまだ、司法局の切り札なんだもの」

「この程度のもんですけど」

と、あたりを手で示した。品物で埋まった倉庫の、わずかな隙間に隠れているざまは、とても威張れたものではない。捜索隊が踏み込んできたら、それまでだ。何箇所かの見張りが危険を察知し、警告してきたら、ナギが黙ってあたしたちの首を切断する。

首だけになって凍結されたら、そのまま永眠ということになっても、自分ではどうしようもない。間抜けな最後だ。

でもまあ、今日まで無事でいられた方が、奇跡なのだと言える。

「悪くない人生だったよ」

と言ったら、探春は面白そうに微笑む。

「もう、あきらめたの?」

「いや」

まだ、死ぬつもりはない。ないが、死んでも構わない。したいことを、してきたからだ。

「わたしが、死なせないわ」

探春が、トパーズ色の瞳に、炎を灯したように見えた。

「どんな手を使っても、あなたを死なせない。たとえ、悪の側に寝返っても」

ちょっと驚いた。あたしよりも探春の方が、邪悪や醜悪を憎んでいるからだ。

「怖いこと言うね」

「わたしが怖いのは、あなたを失うことだけ」

それは、知っている。だから、勝てない。ミカエルすら、探春にあたしを託して、身を引いたのだ。

***

結局、あたしたちを発見できないまま、グリフィンは都市の封鎖を解除した。首だけにならなくて済んで、天に感謝する。

中央星域に戻ると、ツァオ教授とミオの無事を確認して安堵した。先に帰した青年と少女も、無事にそれぞれの居場所に落ち着いていた。

また、探春が手紙を送った女性捜査官からも、感謝の返事が託されていた。

『わたしは今まで自惚れの強い、傲慢な性格でしたが、痛い目に遭って、ただの弱い人間だということがわかりました。でも、弱いなりにできることがあると思うので、これからも頑張ります。先輩たちも、どうぞご健勝で』

という手書きの文章を読んで、探春と二人、にっこりした。

「女はタフでないとね」

「ええ」

傷ついても、それを経験にして、より強くなればいい。

しかし、どうして世間には、探春やミオを安心させてやれる男がいないのだろう。

いや、いないわけではなくて、まだ出会っていないだけだ、と思いたい。いつの日か、探春に騎士ができれば……あたしはミカエルの元へ行ける。彼が少年のままでも、問題ではない。ミカエルの心が、まだあたしに向いているのなら。

その後、ミオは土地を買い、作業ロボットを助手にして農場を始めた。

鶏を飼って、卵を産ませる。牛や山羊のミルクを絞り、チーズを作る。豚を殺して、本物のハムやベーコンを作る。商店やレストランへ出荷する。近隣の学校から、子供たちが体験学習に来る。

やがて、大学を卒業したタケルが手伝いに加わり、若い仲間も集まり、うまくやっているらしい。

あたしはそれを確かめて満足し、会いに行こうとは思わなかった。ミオからも、会いに来てくれという連絡はないままだった。

それでいい。市民社会には、深入りするべきではないのだ。しょせん、あたしたちは異邦人なのだから。

     ミオ編 完

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