恋愛SF『レディランサー アグライア編』8章-5
8章-5 ジュン
それに、あたしはささやかな片思いを、それほど苦労せず封印してきた。それはつまり、封印してしまえる程度の、淡い気持ちに過ぎなかったということだ。いつでも、他の心配事の方が大きかった。母の死。勉強。修業。仕事。幾つもの事件。
それにまた、エディが《エオス》に来てからは、毎日、気が紛れていた。エディに気にかけてもらうことは、とても嬉しいことだったから。あのまま《エオス》にいられたら、それで充分に幸せだったろう……いつかジェイクが、誰かと結婚する日が来ても。
「あたしだって、これから大恋愛するかもしれない」
と言い直したら、メリュジーヌはもう、この話題には興味を失ったように言う。
「まあいいわ。世間の話題になることなら、大恋愛でも大喧嘩でも、何でもいいのよ。なるだけ、注目を集めることだわ」
え。
なんか、思いっきり肩透かしをくらった感じ。
ただの話題作り、という意味だったのか。
「あなたは〝連合〟の新しい広告塔なんだから、間違っても、寝ぼけ眼のぼさぼさ髪で、人前に出たりしないようにね。そんな姿を撮影されたら、あなたが一生、恥ずかしい思いをすることになるのよ」
妙な感じだ。何だか、親戚の伯母さんから、人生の知恵を授けられているみたい。
「あなたはお母さんを早くに亡くしているから、女の知恵を、十分に伝授されていないのよね。まあ、マリカも辺境生まれだから、市民社会の常識を学ぶには、苦労したでしょうけど」
むっときた。知ったようなことを。ママを実験材料にしていたのは、誰だ。ママは好きで、戦闘用兵器に生まれたわけじゃない。
あたしの反発を見てとり、メリュジーヌは面白そうに微笑んだ。
「あなたが辺境で地位を固めれば、可哀想な実験体や、バイオロイドたちを助けてやることも、できるかもしれないでしょう。まあ、頑張ってみることね」
頑張りますとも!! やるからには、とことんやってやる!!
その結果が、こいつらの意図に反していたとしても。
いや、反していなければ、あたしの失敗なんだけど。
メリュジーヌは、カクテルのお替わりを注文してから言った。
「ジュン、あなた、自分が初めて人を殺した時のこと、覚えてる?」
あれ、何だろう、その話題の選び方。
「……覚えてるよ。別に、思い出したくないけど」
「友達の祖父母が、あなたをグリフィンに売ったのよね。でも、あなたは自力で生還した」
メリュジーヌは、その件もちゃんと知っていた。そして、よくやった、と誉めてくれたのだ。
「あなたは母親から、戦う精神を受け継いでいるのよね。市民社会より、辺境で暮らす方が向いているわ」
その評価を、素直に喜ぶべきかどうかは、わからない。とにかく、それ以来、最高幹部会は、あたしに期待していたそうだ。市民社会の枠を超えそうな人材として。
「グリフィンが、犯人たちの行動を追尾していたわ。あなたが二人を殺した後で、そのまま辺境へ拉致することは可能だったのよ。船の制御は、グリフィンの手にあったのだから」
いま思うと、そういうことだったのだろうな。
「でも彼は、あなたを解放して、もっと大きくなるまで、成長を見守るべきだと考えたの。だから、あなたが救援発信するのを止めなかった」
では、グリフィンというのは男なのか。それとも、たまたま男が、その役職にいたということなのか。
「それじゃあ、グリフィンにお礼を言うべきなのかな。あたしが誘拐されることを知っていて、見守るだけにしてくれて」
と皮肉で言ったが、メリュジーヌはどこ吹く風だ。
「もちろん、あなたの生命に危険が及ばないと、判断した上でのことよ」
幼いあたしが感じた恐怖は、問題ではないんだろう、もちろん。それ以後、ますます攻撃的な性格になったとしても。
「それからグリフィンは、あなた個人に監視チームを付けたわ。ヤザキ船長の専従チームとは別にね」
「それじゃあ、まるであたしが重要人物みたい」
笑いそうになって、笑えないと気づいた。少なくともあたしは、周到に準備された上で大きな役を与えられ、舞台に上げられたのだ。この役を、命がけで演じるしかないということが、ひとひしと感じられるようになってきた。期待イコール重圧だ。
「あなたの成長ぶりは、定期的に、最高幹部会で報告されていたのよ。単位を取りまくって、人より早く学校を卒業したとか。見習いとして乗った《エオス》で、どんな風に過ごしているとか。そうそう、お見合い騒動もあったわね。だから、あなたを迎えた時は、初めましてよりも、お帰りなさい、という感じだったわね」
冗談みたいだ。辺境の大物たちが、あたしが空手の試合に出たとか、パイロットライセンスの試験を受けたとか、話題にしていたなんて。
それでは、まるで……普通の人間の集まりのようではないか。
『レディランサー アグライア編』8章-6に続く