恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』28章-2 29章
28章-2 シヴァ
《アヴァロン》への帰り道は、ひたすら気まずい沈黙の時間だった。俺はカーラにどう向き合えばいいのかわからず、向こうも、自分からは滅多に俺に話しかけない。
それなのに、同じ船にいる。艦隊中の他の船に移ることもできたが、奴から目を離すくらいなら、見張れる位置に置いておいた方がましだからだ。
カーラはマックスの一部。
マックス本体は超越体になり、進化し続けている。そして、ハニーのクローンを育てて満足している。
どうして世の中は、年々、複雑怪奇になっていくんだ。肉体だけ若くても、俺はもう、時代遅れの老人なのか。あくまでも人間でいたいと思うのは、俺の甘えなのか。それでは、進化していく連中に利用され、捨てられるだけなのか。
俺だって、何度も痛い目に遭って、若い頃より少しはましになった……そう思っていたのだが。
「おい、ショーティ」
船室で一人になってから、宙に呼びかけた。
「いるんだろ。おまえ、今のグリフィンに遠慮して、俺を差し出したのか」
ややあって通話画面が明るくなり、見慣れた犬の姿が浮かんだ。何週間も俺を放置していたことなど、なかったも同然の態度。
「仕方なかった。向こうは怒っていたからね。少なくとも、怒るふりをしていた」
ほう、そうかい。
「きみに思い知らせる必要がある、と言われたよ。もう二度と、余計な真似をしないようにと」
その結果が、一定期間の幽閉か。俺やハニーがどれほど苦しもうと、そいつには、ちょっとした警告でしかない。そんなに冷酷で、本当に俺の従姉妹たちを守ってくれるのか。
「そいつも超越体なのか」
「わたしには、わからない。当初は人間だったと思うが」
かっとした。重大事だぞ。この世にどれだけの超越体がいて、人間世界を管理しているんだ。
「すっとぼけて、済ませるつもりか!? 都合のいい時だけ、親友面しやがって!!」
いや、見捨てられたら困るのは俺の方だが。映像のショーティは静かに言う。
「辺境がいかに複雑な力関係で動いているか、きみには想像もつかないだろう。何か解明したと思っても、すぐにまた疑惑が湧いてくる。真実は、幾重にも隠されているんだ。わたしもまだ、人類文明の一部を理解したに過ぎない」
「……文句があるなら、俺自身が超越化してみろってことだな」
「まあ、極論だが、そうなる」
ふん。
「しかし、今のグリフィンがいつか、失敗する時が来るかもしれないだろう」
そうなった時、誰が俺の従姉妹たちを守るのだ。だが、ショーティはあっさりと言う。
「その時は、きみにももう、どうしようもないだろう」
なるようになる、あきらめろ、ということか。
悔しいが、今回のことは、もう済んだことだ。俺としても、ハニーの元へ戻れるのなら、他の全てを水に流して構わない。
(ハニー、ハニー、泣かせてすまない)
俺が行方不明の間、ハニーは希望と絶望の間を行き来して、ほとんど幽霊のようにやつれていたそうだ。ルーンが必死で防壁にならなければ、部下たちにも異変が知れ渡っていたことだろう。
人を愛するというのは、恐ろしいことだ。誰も愛さなければ、心は冷たく、寂しいまま。
しかし愛すれば、いつか失うことが恐ろしい。失う苦しみに耐えるくらいなら、いっそ、死んだ方が楽だと思ってしまうほどに。
だが、それでも生きていれば、また誰かを愛せる。俺個人としてはもう二度と、別離の苦しみを味わいたくないが。
***
小惑星都市《アヴァロン》を含む星系外縁まで、ハニーが船で出迎えに来ていた。船同士が接続すると、エアロックが開くのを待ちかねて、泣き笑いで俺の腕に飛び込んでくる。
「ああ、シヴァ。もう、あなたったら」
泣くのと話すのと笑うのを一緒にしようとして、息を乱している。プラチナの髪を結い上げ、薄緑のパンツスーツで美しく装ってはいるが、白い顔には、隠せないやつれが残っていた。ずいぶん泣かせたらしい。それでもまだ泣き足りないとばかり、俺の胸にしがみつき、すすり泣き、しゃくりあげる。このぶんでは、俺がトイレに行くと言っても、ついてきそうだ。
「悪かった。すまなかった」
0G空間に浮いたまま、ハニーの肩や背中を撫で、額や頬にキスをした。俺が中途半端に、従姉妹たちのことを心配したからだ。ただの人間のくせに。
「ああ、カーラ、ありがとう」
ハニーは泣き笑いで俺から離れると、側にいたカーラにしがみついた。
「よく、この人を助けてくれたわ。本当にありがとう」
「どういたしまして。仕事ですから」
この、すかしたストーカー野郎。よくも、ハニーの側近なんかに納まってくれたな。女の肉体に乗り換えてまで。
とりあえず、ハニーには適当な話を作って伝えた。〝リリス〟と敵対した連中に捕獲されたが、カーラが大活躍して取り戻してくれたのだと。つまりカーラも今では、俺がグリフィンだったことを知っている、というわけだ。
カーラの正体は……永遠に言わないことにする。言ってしまえば、ハニーが恐慌をきたすだろう。その代わり、俺がカーラを監視する。毎日、油断せず。もしも怪しいそぶりを見せたら、その時こそ、遠慮なくぶち殺す。
だが……
マックス本体が超越化しているのなら、そのごく一部を抹殺して、何の役に立つというのだ。それよりも、マックス本体を警戒するための手掛かりとして、近くに置いておく方がいい。
「わかってるわ。あなたは〝リリス〟を放っておけないのよね。でも、今度からは、わたしも一緒に行かせて。もう、離れて待つのはいや。絶対に、わたしから離れないで」
ハニーは俺にすがりつき、何度も泣いた。目が溶けるほど。
悪かった。もう、俺一人の命ではないと、知っていたはずなのに。
***
久しぶりの《ヴィーナス・タウン》は、天国に思えた。買い物を楽しむ女客たち。優雅に接待する従業員。大ホールでのパーティや、屋上庭園での音楽会。
最高幹部会に庇護された、女たちの楽園。
だが、そこにはカーラがいる。誰が見ても、完璧な女ぶりで。
ハニーから聞く限り、マックスは自信過剰の高慢な男だったが、今のカーラを見て、高慢だと言う者はいないだろう。態度は穏やかで、理知的だ。部下に対しても公正で、思いやりがあり、誰からも慕われ、尊敬されている。これはもう演技などではなく、進化なのだと思うしかない。
ショーティは無論、最初から全て知っていた。今の俺なら理解して受け入れられると判断したから、カーラに捜索に来させたのだ。
つまり、カーラを介して俺とマックスが和解し、共存できるように。
それはショーティが、現在のマックスを、望ましい存在だと認めているからだ。こうして世界には、超越体の同盟が出来ていく。人間は置き去りになり、彼らに管理される。実験材料として。あるいはペットとして。
夜になり、センタービルの贅沢な居住階に戻ると、暗い寝室で俺と手足をからめたまま、ハニーは深い眠りに落ちた。安心して、ぐっすり眠ってくれればいい。明日には、もっと顔色がよくなっているように。
だが、カーラはどうしている?
あいつは、ハニーを見守っているだけで満足できるのか?
あいつこそ、発狂しそうな地獄に耐えているのではないか?
いや、同情なんか、するつもりはない。マックスは高慢で鈍感だったから、ハニーに嫌われたのだ。自業自得だ。
もちろん、かつての俺もそうだった。探春は今も、俺を許していないだろう。俺がグリフィンとして従姉妹たちを守り続けたと知らせても、感謝などしてくれないだろう。
仕方ないのだ。人生の最初に、知恵が足りないことは。
茜とリアンヌを経て、少しずつ、俺はましになっている。今はようやく、ハニーに愛してもらえるようになったのだ。
マックスにも、今ではそれが認識できているのだろうか。自惚れた男は、何度も失敗して、ようやく、少しはましな存在になれるのだと。
***
いつまでも、逃げてはいられないか。
カーラだって、宙吊りのままでは耐えられまい。いかにふてぶてしい奴であったとしても、だ。
俺は覚悟を決め、カーラの空き時間に、警備管制室の奥にある俺の居場所に呼び出した。ここならショーティ以外、誰に話を聞かれることもない。ハニーは下のフロアで、顧客の相手をしている。
「何のお話でしょうか」
戦闘服姿で身構えている女に、席を勧めた。まず、宣言しておく。
「今は俺だけだ。本音で構わない」
それで向こうにも、通常業務のことではないと通じただろう。
「おまえがこの組織で、かけがえのない地位を占めていることは事実だ。どんな口実をつけようが、おまえを追い払ったり、粛正したりしたら、他の女たちが納得しないだろう」
目の前の女は、もはや、マックスと重ねることが難しい。俺は直接、マックスに会ったことはないのだ。
「それで?」
「俺はおまえを認める。カーラとしてだ。おまえがハニーに忠実でいてくれる限り、おまえのことも、この組織の一員として守る。それで、どうだ?」
カーラの表情は、しばらく空白だった。期待していたような感謝の笑みは、かけらもない。ようやく口を開いた時は、なぜか、しらけたような態度だ。
「それに、感謝すべきなんでしょうね。辺境の常識から言えば、わたしは、あなたに殺されても文句は言えないのだから」
ふん。
「男の姿なら、まだ殺し易かったがな」
するとカーラは、わずかに口許をゆるめる。
「騎士道精神に、感謝するべきかしら」
何とでも、ほざいていろ。
「辺境に出てきてから十年も、おまえが……マックスが、ハニーを守り通したのは確かだ。それからの十年も、カーラは頼れる部下でいてくれた。だから、俺も感謝すべきなんだ。おまえに」
その愛し方が、女にとってみれば不足でも、的外れでも。
俺だって、どれだけ間違えたことか。
男は女より、はるかに鈍感だ。どんなに教育されようとも、自分で痛い目を見ながら学ばない限り、本当にはわからないのだ。人生の真実が。
「ただ、おまえが辛いのなら、他都市の支店担当として、ここから離れてもらうこともできる。それとも、今まで通りの生活で平気か?」
ようやく、白い顔に苦笑が浮かんだ。
「気を遣ってもらったようで、ありがとう。当面は、今まで通りで結構よ。いつか、独立したいと思うかもしれないけれど」
「独立か」
それもいいかもしれない。元々、独力で組織を立ち上げた男だ。いつまでも、使用人の暮らしには甘んじていられないだろう。この組織の中では中枢の幹部だとしても、こいつ本来の性格では、トップに立ちたいはずだ。
そこでカーラは、服のポケットから、一枚の写真を取り出した。
「マックス本体から、許可を得たものよ。あなたに渡すわ。彼からの、友好の証のようなもの」
そこには、ピンクの服を着た小さな女の子を抱き上げた、金髪の男の写真があった。マックスの顔は知っている。だが、プラチナブロンドの髪に赤いリボンを結んだ、この女の子は。
「これが、ハニーのクローンなのか」
笑っている女の子は、安心しきって父親に甘えているように見える。ごく当たり前の、むつまじい父と娘の姿。だが、親子など、辺境ではほとんど見ることがない。誰もが自分自身の不老不死を望み、子孫のことなど考えていないからだ。少なくとも、男たちはそうだ。
「彼は、そのハニーから愛情をもらって、癒されているそうよ。だから、あなたと敵対する理由は、もうないの。いずれはショーティのような、安定した超越体になるでしょう。マックスのことだから、〝連合〟の使い走りには満足せず、反逆を企てるかもしれないけれど」
俺はその写真を、胸ポケットに収めた。ハニーに見せるとしたら、どうやって説明しようか。いや、見せずに焼却するべきか。
「おまえたち、どっちも執念深いな」
マックス本体も、カーラも。
「だって、ハニーは運命の相手だと思ったから」
カーラの笑みが深くなった。何かを突き抜け、手放したように。
「でも、あなたには負けたわ。負けを認めましょう。わたしには、立ち直るのに時間が必要だけど。そのために、長い寿命が得られるのだから」
カーラは椅子から立ち上がり、
「それじゃ」
と言い残して、去っていった。腰を揺らし、一本のライン上をたどるような、優雅な女の歩み方で。
29章 ショーティ
「申し訳なかった。きみを悪役にしてしまって」
他の用で連絡を取った時、現在のグリフィンには詫びておいた。
「別に、構いませんよ。それで、シヴァとマックスが手を結べたのなら。それはいずれ、先でリリーさんの役に立つでしょうし」
うっすらと微笑んでみせた茶色い髪の少年は、かつてはただの亡命バイオロイドだったが、今では進化して、銀河有数の権力者になっている。
彼が紅泉を愛する限り、シヴァを愛するわたしと共存できるだろう。この銀河には、あの人が育てた超越体が十体ほど存在する。彼らもまた、それぞれの目的を持って生きている。
人類が先でどうなるにせよ、我々は彼らを庇護するつもりだ。宇宙は広いが、高度な文明が発生することはきわめて稀なのだから。
ただ、あの人が何を目的としているのか、それはまだわからない。
人類で最初に超越化に成功した利点を生かし、あの人は、後に続く超越体を選別している。彼女が認めなかった者たちは、これまで何十となく抹殺されているらしい。いや、何百かもしれない。
わたしやミカエル、マックスなど、気に入られて生存を許された新米の超越体は、ひたすら己を磨くしかない。
もしも、いつか、あの人が人類の敵となった場合に備えて。
だからシヴァにも、腑抜けになってほしくはないのだ。いずれ、彼や紅泉が、人類側の先頭に立って戦うことになるかもしれないのだから。
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』30章に続く
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