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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 泉編』2章-3

2章-3 ダイナ

 無人星系での採掘基地新設や、既存の研究施設の強化、他組織の動向に関する情報収集など、求められる仕事の幅は広かった。これまで、その業務を統括していた年長者たちは、平気であたしに引き継ぎを求めてくる。

「そんなに何もかも、無理です!!」

 と抵抗しても、

「あら、あなたが一族で一番若いのよ」

「我々が若い頃は、もっと大変だった。信頼できる部下も、少なかったし」

「シヴァが行方不明で、紅泉こうせん探春たんしゅんが抜けている今、我々の頼りは、きみとシレールだけなのだよ」

 と、いなされてしまう。

 こうなると、もはや秘書でもなければ見習いでもなく、総督代理に近いのではないだろうか。短い睡眠で足りる強化体だから、何とか勤まっているようなもの。

「あたし、ただの秘書のはずじゃなかったんですか!!」

 とヴェーラお祖母さまに文句を言っても、

「他の秘書たちは、ただの〝使用人〟ですよ。でも、あなたは一族の一人でしょう。都市を維持する仕事を他人に任せれば、いずれは乗っ取られてしまうことになるのですよ」

 と手厳しい。最初から、ご自分の重荷を、あたしに譲るつもりだったとしか思えない。年齢を重ねているといっても、強化体だから、お祖父さまもお祖母さまも、肉体的には強壮なのに。

(これじゃあシレール兄さまも、休む暇もなく、仕事漬けかもしれないわ……あたしを気遣う暇なんて、ないわよね)

 と覚悟せざるを得なかった。一族の下に位置している幹部級の者たちからは、ひっきりなしに問い合わせが来る。

「クレシンダさま、例の件で向こうが返答を寄越しました」

「クレシンダさま、新しい工場監督と面接を」

「クレシンダさま、この組織には制裁を与えるべきではありませんか」

「実験船のレポートが来ていますので、評価をお願いします」

「新たな研究部門の視察は、いつになさいますか」

 あたしが《ティルス》の総督秘書として……あるいは総督代理として外部に名乗る名前は、クレシンダと決まっていた。ダイナという本当の名前は、一族の中でしか使わないものだから。

 あたしが他組織に素顔をさらしていいかどうかは、また一つの問題だった。

 紅泉こうせん姉さまと探春たんしゅん姉さまは、正義の味方のハンターとして世界に存在を知られてしまっているから、辺境で暮らす一族との関係を、外部に知られないよう厳重に注意している。《ティルス》に戻ってくる時も、他人に跡をたどられないよう、用心を重ねている。

 でも、あたしに関しては、市民社会で顔をさらして活動した期間は、ごく短い。これからまた、司法局に仕事を頼まれるかどうかも、わからない。できれば変装メイクだの整形だのなんて、したくない。

「構いませんよ、素顔でも」

 必要な場合は整形なり変装なり出来るのだから、今から神経質にならなくてもいいでしょうと言ってくれたのは、一族の最長老である麗香れいか姉さまだ。

「今のあなたは、違う名前で呼ばれるだけで、十分疲れているでしょうからね」

 それで、少なくとも一つは、無駄な仕事をしなくて済んだ。

 麗香姉さまは、一族の元になった第一世代の科学者たちの、唯一の生き残りである。

 本人は一度も伴侶を持たず、子供も産んでいないけれど、数百年にわたって一族を導いてきた女性なので、敬意を込めて「大姉上」とか「お姉さま」のように呼ばれている。

 年齢的には、第二世代のヴェーラお祖母さまやヘンリーお祖父さまより、はるかに上だ。自分自身を不老処置の実験台にしてきた人でもあり、一族の誰も、麗香姉さまには頭が上がらない。

 第四世代の末っ子のあたしなど、ひよこもいいところ。

 それで、あたしは素顔のまま、精々、かつらとサングラス程度の偽装で、あちこちに顔を出す。他組織の幹部たちにも、クレシンダとして覚えられていく。将来は、あたしが《ティルス》を引き継ぐのではないかという噂も、ちらほら聞くようになった。

 冗談でしょう。あたしなんてまだ、おむつが取れたばかりの小娘なのに!!!

 もしも誰かが次の総督になるとしたら、それは当然、シレール兄さまじゃないの!!!

「ダイナ、あなたはよくやっているわ。その調子で、あと何年かは勤めなさいね。その後はまた、あなたに相応しい役目を考えます」

 と麗香姉さまは微笑んで言う。

 ご本人はとうに隠居暮らしであるけれど、一族の総帥であるヴェーラお祖母さまも、麗香姉さまの計画の枠内で動いているにすぎない。

 真の権力者は、真珠の首飾りの似合う、この麗しい黒髪の貴婦人だと、あたしも小さい頃から承知していた。怖い者知らずに見える紅泉姉さまが、唯一、この貴婦人にだけは、畏怖混じりの敬意を示していたのだから。

   ***

 一族の第一世代である麗香姉さまは、はるか昔に地球で生まれたという。たった一つの惑星上に、たくさんの〝国家〟がひしめいていた時代に。

 第二世代以下はみんな、後になって辺境の宇宙で生まれたから、人類の故郷である地球のことは、映画や歴史書や観光映像でしか知らない。

 麗香姉さまが生まれた当時の地球は、大移民時代の初期だったという。人類がようやく、太陽系の中で、他惑星の探査や開発を行えるようになっていた頃。

 その頃の地球には百億人近い人間が溢れ(何という超過密。信じられない!!)、争いが絶えず、疫病が流行り、資源は枯渇しかけ、自然環境は汚染されていたから、新天地が欲しいという情熱は、今のあたしたちには想像もつかないほど強かったらしい。

 人類は、まだ未熟な技術で外宇宙探査に乗り出し、繰り返し、各方面に調査船団を送り出した。

 歴史資料で当時の宇宙船を見ると、信じられないくらいちっぽけで、お粗末なものだ。

 こんな玩具みたいなものに命を託すなんて、ご先祖さまたちは、途轍もなく勇敢だったのだ……さもなければ、途方もない楽天家。

 やがて他の恒星系で、有望な地球型惑星を幾つか発見すると、彼らは総力を結集して移民の準備にかかった。そして、短期間のうちに必要な技術を開発し、志願者を募り、悲惨な失敗を繰り返しながらも、何とか外宇宙移民を成し遂げた。

 いったん他星系に足がかりができると、あとはもう熱狂的な移民ラッシュ。汚れた地球を捨てて、新しいエデンの園を創ろう、というわけ。

 けれど、科学者だった姉さまは、人類がいずれ、遺伝子操作で自分自身を作り変えていくのが当然の時代がくると考えた。そして、それを認めない人と、推進する人に分かれるはずだと。

 常識が変わる。

 正義も変わる。

 麗香姉さまは科学者仲間をまとめ、野心的な資産家たちからの協力を得て移民団を結成し(それは、ほとんど詐欺だったかもしれない。実際に新天地に到着した者は、姉さまが、それに相応しいと認めた者だけだったらしいから)、一気に遠い辺境の宇宙に出た。そして、そこで生活の基盤を築いた。

 どこからの干渉も受けない、独立した小惑星都市。

 地球時代の古い道徳に縛られることなく、あらゆる研究や探求が認められる場所。

 そこでは、不老不死を目指す人体改造や、人造生命の研究が大きな課題となる。当然、自分たちを守る武力も必要となる。生活基盤や研究成果を横取りしようという連中は、繰り返し襲ってくる。

 やがて、辺境には、そういう自由都市が幾つも誕生した。そして、法に縛られたくない人々を集めて繁栄した。

 一番の売り物は、不老処置や人造奴隷。

 あたしが育った《ティルス》も、そういう自由都市の一つ。地球周辺の〝中央〟星域にまとまって存在する市民社会からは、違法都市と呼ばれ、恐れられているけれど。

 違法都市は決して、荒んだ暗黒都市ではない。

 法律も道徳もないから、個人レベルや組織レベルの殺人や抗争は野放しだけれど、強い者たちが合意して、大枠となるピラミッド構造を作り上げたから、それなりの秩序はある。

 強い者こそが、正義なのだ。

 勝った者が、全てを取る。

 それが嫌な者は、古い価値観が残る市民社会に引き返せばいい。そして、老いて死んでいけばいい。

 でも、あたしの尊敬する紅泉姉さまは、そういう冷酷な『正義』を嫌って、『弱い者を守る』ことを理想とする市民社会の側に付いた。

 あたしだって、心を持つ奴隷を使い捨てにすることが、いいことだとは思わない。簡単に他人を殺したり、洗脳したり、奴隷化したりする世界は、恐ろしい場所だと、よくわかっている。

 あたしはたまたま、都市を支配する特権階級に生まれたから、手厚く保護されて、無事に育つことができただけだ。例外的に恵まれている。もしも市民社会に生まれて、単身で辺境にやってきたとしたら、どんな苦労をしたことか。

 それでも、辺境には辺境の存在理由がある。

 ここでなければ、あたしも紅泉姉さまも、探春姉さまも、強化体として生まれることはできなかったのだ。


   『ブルー・ギャラクシー 泉編』2章-4に続く


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