恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』19章-4 20章 21章
19章-4 ハニー
そんな風にして、わたしたちは、この街での忙しい暮らしに慣れていった。ずっとあの別天地にいたのでは、早晩、退屈しきっていただろう。あれは、ちょうどいい人生の中休みだったのだ。
おかげで、新鮮な気持ちで仕事に没頭できる。
最重要課題は、人材育成だ。わたしの理念を理解してくれ、心底から協力してくれる幹部たちがいれば、下働きのバイオロイドたちの教育を任せられる。いずれはそのバイオロイドの中から、チームの責任者、フロアの責任者に引き上げられる者が出てくるはず。
実際に《カディス》では、責任者の補佐役まで出世した者たちがいる。その女たちが、後輩たちの目標になっている。次の十年では、人間とバイオロイドの差はもっと縮まるだろう。
リュクスやメリュジーヌからは、たまに通話をもらっていた。最高幹部会は、外部に宣伝しない限り、バイオロイドの女たちを五年を超えて使うことを認めるという。おかげで、いつ断罪されるかと、びくびくしなくて済む。
本当は、五年で処分など野蛮なことだと、リュクスもメリュジーヌも腹を立てていた。ただ、男たちの欲望に歯止めをかけることが困難なため、やむなく、そのようにしてきただけだと。
バイオロイドに人権を認めず酷使する以上、彼らに組織的な反乱を起こさせないためには、命に上限をかけるしかなかったのだ。
正当に扱い、仕事に誇りを持ってもらえれば、反乱など起こるはずがない。人間とバイオロイドは共存できる。少なくとも、女同士に限っては。
いずれはバイオロイドの新規製造を止めさせられたら、それが一番いいのだけれど。男たちが権力を握っている限り、それはいつになることか。
でも、希望はある。シヴァのように、心底から女を愛し、尊重してくれる男がいるのだもの。
「今はもう、〝リリス〟やグリフィンの仕事より、きみの事業の方が、世界のためになっている」
シヴァはわたしを膝の上に乗せ、頬や額にキスしてくれて言う。
「ハニー、きみがこの世界の希望だ。だから、働きすぎて、倒れないようにしてくれ。俺には逆立ちしたって、きみの代役はできないんだから」
わたしは幸せだった。世界中探しても、こんなに幸せな女、他にはいない。だから、わたしの下で働く女たちにも、その幸せの幾分かを分け与えたい。
神さま、どうか、この幸せが一日でも長く続きますように。わたしは精一杯、自分の仕事をしますから。
20章 シヴァ
俺はどうやら、女に指図されて暮らすことに、向いているらしい。
「今日は工房の方に行くから、一緒に来てくれる?」
「新人の面接をするから、あなたも陰から見ておいて、感想を教えてね」
「どこかの都市に三号店を出すとしたら、どこがいいかしら? 四号店の場所は?」
ハニーに課題を設定されれば、俺は安心してそこに集中できる。宿無しの野良犬から、飼い犬になったようなものだ。最高幹部会の奴らは笑っているだろうが、構うものか。
犬で何が悪い。
俺の頭脳も肉体も、誰かの役に立つことで、初めて意味を持つのではないか。
ショーティは、またしても正しかった。俺はすっかり、ハニーに惚れ込んでいる。《ヴィーナス・タウン》を仕切る有能さ、そこで働く女たちの目標となる、上品で優雅なたたずまい。
何よりも、彼女たちが誇りを持って働き、日々を楽しめるように配慮する包容力。
こんなに偉い女が、俺と暮らしてくれている。これまでの不運を全て補って、なお余りある幸運だ。
(今度こそ、絶対、失わない)
ハニーがしようとしていることは、昔、リアンヌが目指していたことと同じだ。リアンヌのアマゾネス軍団は男たちに恐怖を与えたが、ハニーはドレスや宝石で男たちを油断させながら、目的を叶えようとしている。
辺境の女たちの地位向上。
自立した女たちは、男たちの身勝手に歯止めをかけてくれる。ハニーの夢が実現すれば、茜の魂も喜んでくれるはずだ。
(わかってくれるよな、茜)
おまえは守ってやれなかったが、俺だって、少しは賢くなっている。少なくともリアンヌのことは、死なせなくて済んだのだから。
(絶対、ハニーだけは守り通してやる)
辺境の全都市に《ヴィーナス・タウン》の支店ができ、そこが女たちの駆け込み寺になれば、そこから少しずつ、男たちの意識も変わっていくかもしれない。男は結局、女なしではいられないのだから。
幸い、最高幹部会の二人の魔女は、ハニーを気に入っているらしい。見えない援護が色々とあるらしく、いまや辺境の、多少なりとも地位ある女たちの間では、まとまった休暇を取って《ヴィーナス・タウン》に滞在することが、当然の権利になっている。
どこの組織も、幹部級の女たちには、そういう自由を認めなければならない。さもないと、他組織に移られてしまうからだ。
おかげで、次の支店をこちらに出してくれという熱烈な要望が、辺境の各都市から届いている。ハニーは、新規採用の女たちを教育するのに忙しい。
「人材が揃わないと、新しいビルはオープンできないのよ」
レストラン部門には最低でも、シェフとパティシエ、バーテンダーとソムリエが要る。ホテル部門には支配人と、その部下が大勢いなければならないし、パーティ会場やイベントの担当者も必要だ。
衣装や宝石の店には、何人ものデザイナーと職人、たくさんの接客係が要る。工房ビルの管理者に、警備や維持管理を行う担当者。
裏方の単純作業はアンドロイドに任せるとしても、人間相手の部署には、バイオロイドの女たちを置くことになる。すると、彼女たちの教育係や世話係が要る。
要所に据える人間の女たちを選び、基本方針を徹底するだけでも、ハニーにとっては大変な仕事だが、幸いなことに、《ヴィーナス・タウン》で働きたいという希望者はたくさんいた。
むしろ、他の組織が本物の人間の女を失って、悲鳴を上げるほど。
辺境には元々、本物の人間の女は少ないから、ハニーが支店を増やしていくと、他組織からは人材の流出が続くことになる。《ヴィーナス・タウン》の便宜を優先せよという最高幹部会からの通達があっても、不満は鬱積していくだろう。どこからどう、敵意が噴き出すかわからない。
他のことに気を散らす余裕は、俺にもなかった。従姉妹たちの安全は、既に二代目のグリフィンが守ってくれている。俺は、ハニーの事業を守ることに専心すればいい。
こういう形の革命もあるのだ。艦隊を増強して、武力で〝連合〟を討伐するのではない。人気の店を広げることで女たちの心を掴み、その女たちが、接する男たちの意識を変えていく。
男は常に、女の方を見ているものだからだ。
俺一人では到底考えつかなかった可能性を、ハニーが示してくれた。いずれ最高幹部会がハニーを用済みにしようとしたら、その時は、何としてでも戦ってやる。
だが、まだ当面は……少なくとも、向こう何十年かは……ハニーは必要とされ続けるだろう。
21章 カーラ
女はスカートの時、脚を開いて座ったりしない。
どれだけ空腹でも、大口を開けて、がつがつと食べたりしない。
女優のように、常に周囲の視線を意識して振る舞う。ワイングラスを持つ時は、指の美しさを見せびらかすように。紅茶のカップを受け皿に戻す時も、そっと優しく置く。
歩く時は、優雅に腰を揺らして進む。軽いスカートが、風に翻る感覚を楽しむ。イヤリングが揺れることも、計算に入れて動く。
頭で理解しても、簡単に習得できることではなかった。男としては当然だった動作が、全てそぐわなくなる。歩き方、しゃべり方、腕の使い方。
小手先の技術ではない。
在り方そのもの、発想そのものが違ってくる。
自分を抹殺し、ばらばらにし、砕けた破片を組み上げていくような過酷な作業。組んだと思えばひびが入り、瓦解してはやり直し。
仮想空間で、何度も高速シミュレーションを繰り返した。実時間では一日でも、仮想空間では数週間分の訓練を積むことができる。
立ち方、座り方、笑い方。
舞踊のように動きを抑制し、静かに、なめらかに。たとえ咳やくしゃみをすることがあっても、遠慮がちに。
まるで神経戦だ。苛立ちが昂じて、全てを投げ出したくなる。
だが、中途であきらめてなるものか。この自分に、できないことなどない。これまで、常に勝ち残ってきたではないか。少なくとも、人類同士の戦いでは。
自分の端体の動きを自分で見て、徹底的に修正した。
より優雅に。より美しく。
誰からも、生まれながらの女に見えるように。
有能で教養の深い女性に見えなければ、ハニーの課す採用試験に受かるはずがない。
何とかシミュレーションを終了すると、ぼくは意識の一部をバイオロイドのボディに入れた。身長百六十八センチ、白い肌に緑の瞳、ほどよくグラマーで、しなやかな肢体の赤毛の美女だ。
意識の一部とはいっても、これまでのマックスの知識と経験のエッセンスは……すなわち、人格の本質は備えている。
それから、マックス本体との連結を切った。これでもう、超越体としての能力は使えない。たった一つの肉体に宿った、もろい命だ。何か事故にでも遭えば、ひとたまりもない。この任務が完了するまで、マックス本体と連絡を取ることもない。
まるで、天上世界から下界へ突き落とされたようなもの。
さすがに不安を覚えたが、耐えるしかない。この自分が死んでも、マックス本体は生き続けるのだから。
それにしても、だ。
いったん超越体としての自由を経験すると、人間の肉体というものは、単なる檻だとわかってしまう。目は二つしかない。自分の背中は見えない。手は二本しかない。何日か眠らなければ、意識が混濁する。食べ物が足りなければ、たちまち活力を失う。
高度な知性がこんな惨めな檻に閉じ込められるとは、何という不条理か。
だから、もし、本当に人間であることを捨て去り、ハニーへのこだわりも消し去るのなら、こんな檻に入ることはない。記憶装置と超空間ネットだけでいい。
そうすれば、好きな仮想空間で暮らし、人間世界とは間接的に接触するだけで済む。怪我をすることもないし、空腹や渇きを感じることもない。眠る必要もない。
だが、ぼくはまだ、人間であることをあきらめていない。ぼくを実験材料にしたい連中の手で、強制的に超越化させられたが、ぼくの意識は依然として〝男〟であり、生きていくのに〝女〟を……魂の伴侶を必要とする。
いかに便利で快適でも、自分一人しかいない世界に、何の意味があるだろう?
たとえば、今のぼくなら、自分の記憶領域の中にハニーの仮想人格を作り、そのハニーと共に仮想空間で過ごすこともできる。誰からも邪魔されず、永遠に幸せに。
だが、それはマスターベーションのようなものだ。真の人間関係とはいえない。親密な関係を欲するという点が、ぼくの弱点だとしてもだ。
いつか自分が、人類社会にもハニーとの関係にも、何の未練もなくなったら、超越体としては進化なのかもしれないが、それは、マックスという個性の死でもあるだろう。
その先にどんな人生が続くのか知らないが、今のぼくに、その道は黄泉路のように思える。
完全な孤立と充足。
自分の魂一つが全世界。
終わりはないが、変化もない地獄。
ぼくはまだ、煩悩まみれでいい。ハニーを取り戻してこそ、男として先に進めるのだ。
ただ、未来のいつか、ハニーが自分も超越体になることを望んだら、その時はどうするか。自分は、ハニーが自分の掌に納まる限りにおいてしか、ハニーを愛せないのではないか。
いや、それは、その時にまた考えよう。きっと何か、道はある。二人で神になれるような、新しい宇宙を創るとか。
今のハニーは、すっかり洗脳されてしまっている。シヴァを見るだけで、顔が喜びに輝くのだ。心底から嬉しそうに、あいつの腕に飛び込んでいく。あいつの胸に、顔をすりつける。
こんな様子では、ぼくが助けに来たことすら、打ち明けられない。ぼくの正体をささやいたが最後、ハニーは悲鳴をあげて飛び退き、シヴァやショーティに助けを求めるだろう。
今は、耐えるしかない。黙ってひたすら、部下に徹するのだ。部下として信頼されれば、いつか隙が生じる。たとえ、何年かかろうとも。
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』22章に続く
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