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恋愛SF『星の降る島』5章 6章

5章 レアナ

 マークに理解してほしいとは思わない。彼にはわからなくていいの。

 でも、わたしは信じている。

 野蛮な旧人類を、この星から外へ出してはならない。この地上で起きてきた悲劇を、宇宙規模で繰り返させてはならないのよ。

 どれほど悪辣な大虐殺でも、未来永劫続く悲劇より、はるかにまし。

 遠い未来に、新人類の子孫たちが、そのことを理解してくれればそれでいい。この宇宙には、他にも多くの生命が存在しているのだから。

 わたしとレオネが残した新人類が、彼らと平和に共存してくれれば、それでわたしは報われる。

 たとえわたしが、残りの人生を、どれだけ孤独に過ごしたとしても。

6章 マーク

 しばらく、心が停止した。耳に聞こえたことは、頭では理解できるが、気持ちがついていかない。

 レアナが死んだ。

 どうか、何かの間違いであってくれ。

 それでも、レオネが意図的に嘘をついているとは思わなかった。こいつが俺に、そんなことで嘘をつく必要はない。対外的な工作ならともかく、俺はこいつの身内なのだ。レアナと共に、こいつの進歩を見守ってきた。

 落ち着け、落ち着け。レアナを救うのに、まだ間に合うのなら、俺が冷静にならなくては。

 こいつはどんなに賢く見えても、この世に誕生して、十年経つかどうか。ずるい人間に騙されて、レアナが死んだと信じ込んでいるだけかもしれない。まず、事態を把握しよう。

「何があったんだ。どうして、そんなことになった」

「長い話になります。座って下さい」

 俺はロボットに誘導され、ソファに座らされた。手に押し付けられたのは、氷が浮かぶ飲み物のグラスだった。

「ハイボールです。急ぐ必要はありません。ゆっくり話します。全て、もう終わってしまったことです」

「……俺が眠っているうちに? 何日も前に?」

「マーク、あなたは、あなたが思う以上に、長く眠っていたのです。あなたが現在の世界に適応できるよう、時間をかけて真実を話せと、レアナに命じられています」

 現在の世界とは、どういう意味だ。まるで俺が、浦島太郎になったかのようではないか。

「ずっと昏睡状態だったわけか? 交通事故のせいで? もしかして、俺は何年も植物状態だったのか?」

 しかし、目覚めた時にはすぐに動けた。筋肉も衰えていない。そんなに長く寝たきりだったとは、思えない。

「病的な眠りではありません。あなたは健康体のまま、冷凍睡眠のカプセルに入っていました。そして、何年もの時間を過ごしました」

 何だって。年単位の眠り!?

「レアナと共に、ハワイのコテージにいたことは、覚えているはずです。その最後の晩に、睡眠薬で眠らされ、そのまま冷凍されたのです」

 睡眠薬? レアナと海で泳ぎ、ドライブして、レストランで食事した、その後にか? 俺にとっては、ついこの間のことなのに。

「冷凍、睡眠と言ったのか?」

「そうです」

「しかしそれは、まだ動物実験の段階なんじゃないのか」

 惑星探査のために必要とされる、長期間の冷凍睡眠の技術は、まだ研究途上であり、動物実験でさえ数年が限界のはず。俺は記者としてあちこち取材して回っているし、レアナからも色々な話を聞いているから、最新の科学技術にはかなり詳しいと自負している。

「我々は、その技術を独自に研究していました。実用化する必要があったからです。その研究に目処がついたところで、作戦を実行しました」

「作戦?」

「ええ、レアナとわたしとで計画していた作戦です。我々はそれを、〝大浄化〟と呼んでいました」

 思わず顔をしかめた。きな臭い匂いがする。三流テロリストが使いそうな言葉だ。レアナめ。何か大きなことを隠していたな。俺に話したら、俺がすぐさま、全世界に向かってわめき立てるとでも?

 炭酸で割ったウイスキーを、少しずつ飲んだ。この程度では、酔うことはない。それよりも、喉がからからだ。

「レアナは俺を、人工冬眠の人体実験に使いたかったのか?」

「そうではありません。全ては、あなたを守るためです」

「俺を、守る?」

「はい。〝大浄化〟によって、長い年月、地上は致死性のウィルスで汚染されます。人類を死滅させるための、強力なウィルスです。対抗薬はありません。その汚染が収束するまで、あなたを安全に眠らせておく必要があったのです」

 いつの間にか、グラスが下に落ちていた。床に、氷混じりの冷たい池が広がる。だが、そんなことはどうでもいい。

 何を……何を言っているんだ、こいつは。

 人類を死滅させるウィルスだと!?

「目覚めたまま、何十年も地下で暮らすような我慢は、あなたにはとてもできないとわかっていましたから。人類が滅亡すれば、ウィルスも十年ほどで、自然に無力化されます。現在はもう、地上に出ても安全です」

 何十年の地下生活? 俺が何十年も眠っていた?

 唖然としているうちに、掃除ロボットが寄ってきて、俺の足元の池を拭く。レオネが立って、次のグラスを持ってくる。ようやく、言葉が出た。

「待てよ。何の話をしてる。SF映画か。ウィルスを撒いて、人類を死滅させたってのか」

 怖いじゃないか。人間でないレオネが、大真面目にそんなことを語るのは。ぼんやり聞いていたら、信じてしまいそうになる。

 しかし、銀色のロボットは淡々と言う。

「現実です。あなたは二百年に近い歳月、冷凍のまま眠って過ごしていたのです」

 二百年!?

「その間に、レアナは生きて活動し、九十八歳で老衰死しました」

 老衰死!?

「全て、レアナの計画通りです。わたしはレアナの遺言に従って、あなたを覚醒させました。地上にはもう、あなたの知る旧人類は生きていません。地上で暮らしているのは、〝大浄化〟の後に我々が育てた新人類のみです」

 ***

 俺は最初、レオネの言うことを信じなかった。突飛すぎる。旧人類絶滅なんて。それを、レアナとこいつが企み、実行したなんて。

 それをまともに信じるよりは、こいつが芝居をしていると思う方が自然だった。俺はきっと、何らかの心理実験に使われているに違いない。俺を孤立させておき、でたらめを吹き込んで、俺が信じるかどうかを調べる実験。

 他人を使ったら問題が生じるから、レアナは俺を実験台に選んだんだ。俺なら、後で自分が謝れば済むと思って。なんてひどい女だ。信じられない。だが、許す。きみが生きていてくれて、

『マーク、ごめんなさいね』

 と、ご機嫌取りの笑顔で謝ってくれるなら。

 老婆になって死んでしまったなんて、あるわけがない。

 俺は大抵のことには耐えられる男だと、自分で思っているが、レアナを失うことだけは別だ。レアナを知る以前には何人もの女と付き合ったが、全てはレアナに出会うための準備だったと思っている。レアナだけは……特別なんだ。

「二百年も眠ったなんて、とても信じられないね」

 俺があえて冷淡に言うと、レオネは辛抱強く説明する。

「最初の段階では、五年の冬眠が予定されていました。当初は、安全が確保できるのは、その程度の期間だけだったからです。しかし、その五年の間に、わたしが研究を続け、更に長期化させる技術を開発しました。幾度か短い中断を経て、あなたの意識がないまま、肉体を新たな冷凍システムに移し替えました。その間、細胞に損傷のないよう、万全の配慮を払いました」

 信じられないというより、信じたくない。俺が眠っている間に、二百年近い年月が経過したなんて。嘘に決まってる。悪質な嘘だ。

「それじゃ、証拠を見せろよ、証拠を」

 すると、レオネは律儀に答える。

「もちろん、後で地上を案内します。ですが、その前に、予備知識を持っておいて欲しいのです。今日は一日、ここであなたの質問に答えます。何なりと尋ねて下さい」

 背筋を悪寒が走った。誰が見たいか、証拠なんて。レアナがもう、彼女の人生を生ききってしまったなんて。

 それではもう、地上には、俺の知る者は、誰も生きていないということではないか。兄貴夫婦も、甥っ子も姪っ子も、友人たちも、同僚たちも、みんな。

 だが、レオネは淡々と説明していく。レアナが考えた、人類抹殺計画のことを。

「人類が、この科学時代になっても戦争や搾取を止められず、互いに争っている状態を、レアナは深く憂慮していました。真に平和な社会を築くにはどうしたらよいか、考え抜いた結果、一つの結論に達したのです。ほとんど全ての争いは、男の闘争心が元凶になっていると」

 おいおい。俺も男だぞ。

 その闘争心があるから、仕事ができるんだろ?

「それは大昔、人類が無力な裸の猿だった頃には必要な資質でしたが、現代では、無用という以上に害悪になっています。天敵のいない人類は、闘争心を互いに向けるしかないからです。この世から男という種族がいなくなれば、争いのない文明が築けるとレアナは考えました」

 やめてくれよ。レアナは、そんなに過激なフェミニストだったのか!?

 そりゃあ確かに、政界や財界を仕切っている阿呆な男たちに対して、怒りの毒舌を吐いていたのは確かだが。その毒舌を聞いて、なだめていたのは俺だろう。きみだって、俺の胸に顔をこすりつけて、満足そうにしていたじゃないか。

 ……ああ、だからといって、きみの奥底まで知っていたわけじゃないが……

 心の半分では、レオネの話を信じ始めていた。だが、残り半分では、まだ認めたくなかった。そんな話、あまりにも極端すぎる。レアナは冷静な女のはず。

「だからって、人類を丸ごと滅ぼしてどうする!! それこそ、大殺戮だろうが!! 子供を躾けるのに、その子供を叩き殺してしまうような話だろ!!」

 この時点で俺はまだ、残りの半分くらい、これが芝居の脚本だと思っていた。そういうストーリーを聞かせて俺が信じるか、どう反応するか、レアナが実験したがっているだけだと。

 だったら、論理的な反撃をするのが俺の役割だろうと考えた。俺が芝居に付き合わないと、実験が終わらないのだ。レオネはやはり、筋道立てて説明してくる。

「この〝大浄化〟によって死ぬ人数は、わずか百億足らずにすぎません」

 わずか百億、ときた。

「しかし、人類の文明が今後数億年、数十億年にわたって続くとし、その中で無数の戦争や殺戮が起きるとすれば、未来の被害者数は膨大な数になります。それだけの被害を未然に防げるのだとすれば、現在の百億弱の損害は些少なものとなります」

 些少!! 全人類の虐殺が!!

「そりゃ、無限に比べれば百億だろうと千億だろうと、小さな数かもしれないけどな。科学がもっと進歩して、生活が豊になれば、人間は無駄な争いなんかしなくなるだろ?」

「そういう可能性もあります。ですが、男が女を巡って争うことは終わらないでしょう」

 はあ?

「女には、より優れた男を望む本能があります。ですから、平均値以下の男たちは、女たちに選ばれないという怨嗟をためていくことになります。その恨みや怒りは、何らかの犯罪や争いとして発散されることになるでしょう。男がいる限り、争いは尽きないのです」

「じゃあ、女にモテない男には、女性型アンドロイドでもあてがえばいい。人工知能がもっと進歩すれば、全ての男に、便利で可愛いアンドロイドが行き渡るだろ」

「それは、心を持たないアンドロイドですか? それとも、心を持つアンドロイド?」

 俺は少し詰まった。そういう映画を、確か見たことがある。人工知能が進化して心を持つようになってしまったら、人間を捨てて、どこかへ去ってしまうのだ。

「それは……心を持つ者に、好きでもない男の奴隷になれとは言えないから……やっぱり、心を持たない人形で……」

「人形をあてがわれて、満足する男ばかりでしょうか」

 俺に聞くなよ。俺にはレアナがいる。だから、そんな男の気持ちはわからない。想像したくもない。女に相手にされない人生なんて。

「本物の女に選ばれないなら、人形で我慢するより仕方ないだろうが!! それが厭なら、悟りを開いて坊主になればいいんだ!!」

「マーク、あなたは自分が平均以上の男であるから、女に相手にされない男の絶望を理解できないのです」

「理解できなくて、幸いだよ」

 そんな惨めな人生、考えたくもない。他の男が妻子連れで楽しそうに歩いていくのを、横目で眺めるだけなんて。

「逃げた妻や恋人を追いかけて殺す男が、世の中にどれだけいるか、知っているはずです。彼らに、生きた女をあきらめて、ダッチワイフで我慢しろと言えるのですか。彼らは、生きた女を確保できない限り、自分は人生の敗残者だと思ってしまうのですよ」

「それは……」

 逃げた女を追いかけて殺してしまう男が、毎日のように発生しているのは確かだ。俺だって、もしもレアナに捨てられたら、自分がどれだけ落ち込むか、自棄になるか、自分でもわからない。本気で考えることすら、恐ろしい。

 だが……実際、そうやって自棄になる男は……確かに、これからも、絶えることはないだろう。かつてのように、女に人権を認めず、奴隷扱いする世界に戻らない限り。

「他人を支配することによって自分の優位を確認したいのが、男の本能です。その本能の持ち主をのさばらせておく限り、地球に平和はありません」

 断言しやがったな。

「おいレオネ、おまえは機械のくせに、分かったようなこと言うじゃないか!!」

「わたしは人間ではありませんが、機械でもありません。ボディは機械ですが、心を持つ知性です。あなたもよく知る通り、優れた人間の科学者によって教育を受けました。わたの知識や推論は、かなりの程度正しいはずです。わたしの言うことが間違っているのなら、論理的に指摘して下さい」

 くそ。理屈では、こいつに勝てそうにない。

「じゃあとにかく、レアナは現在の人類を滅ぼすのが、未来の人類のためだと考えたんだな」

 しばらくは、こいつの話に乗ってやろう。この心理実験が終わらないと、レアナは出てきてくれないのだろうから。

 そうだとも、こんなものはレアナの仕組んだ芝居だ。自分の論理にどんな穴があるか、俺に発見させたいのだ。まさか本当に、そんなことをやらかしてしまったなんて……あるわけがない。そんな悪夢のようなこと。

   『星の降る島』7章に続く

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