恋愛SF『レディランサー アグライア編』8章-1
8章-1 ジュン
あたしはセンタービル内の、特別階の客室にいた。部外者は立ち入りできない、警備厳重な上層階の一角である。
書斎と居間と食堂と寝室が揃った、豪華な続き部屋だ。あちこちに新鮮な花が飾られ、制服を着たアンドロイド侍女が何体も控えていた。その食堂の大テーブルに料理を並べて、夕食にかかっているところ。
ユージンとカティさんも同席していた。あたしの第二秘書になった黒髪の美女、メリッサもいる。本当は第一秘書の予定だったのだけれど、あたしが先に、カティさんを秘書に採用してしまったから、
『わたくしは、第二で結構です』
ということになったわけ。道理で、妙な顔をしていたわけだ。
もちろん、カティさんは違法組織の内部事情など何も知らないから、実質、メリュジーヌにあたしの補佐を命じられたメリッサが、首席秘書ということになる。
つまり、あたしの監視役。もしかしたら、あたしを抹殺する役も務めるかもしれない。
ユージンは自分の組織を運営する傍ら、あたしの相談役を務めてくれるそうだ。まったく、あれよあれよという間に、大変なことになってしまって。
あたしは撮影用の真っ赤なドレススーツを脱ぎ、慣れない宝石類を外し、もっと落ち着く、白シャツとオリーブ色のスパッツに着替えていた。これからは、人前に出る時はばっちり着飾れと、メリュジーヌに言われている。あたしは都市の広告塔になるのだから、
『ほら、ジュン・ヤザキだぜ』
と、すぐにわかる格好でいなければならないというのだ。
『素材がいいから、飾り甲斐があります』
とメリッサは喜んでいる。メリュジーヌ自身、いつも華麗なドレス姿でいるのは、『職務の一つ』なのだそうだ。
『女の場合、見た目の華麗さで相手を圧倒するのも、勝負のうちなのよ』
と言われた。あたしの場合、下手に着飾ると、ピエロになってしまう気がするんですけど。
というより、それ以前に、中身が問題だ。人に畏怖されるような中身を持っていなければ、ただのお飾りで終わってしまう。
「明日から早速、勉強しなきゃ。都市経営って、何をすればいいのか、わからないもん」
生ハムとハーブとラディッシュのサラダを食べながら、思いつくままにしゃべった。輸送船の業務なら、一通りわかるんだけど。
「まずは、現場の視察かな。メリッサ、手配してよね。ここに拠点を置いてる組織のことも、調べなきゃ。何かリストがあるんでしょ?」
するとユージンは、第三者の冷淡さで言う。
「焦る必要はない。誰が総督になろうと、各部署は、いつも通りの日常業務を続けている。きみが焦ってあれこれ命じると、現場が混乱するだけだ。まずは三か月、勉強期間のつもりでいればいい」
うーん、そんな悠長な態度でいいのかな。だって、こうしている今も、繁華街のビルでは、バイオロイドの女たちが娼婦として働かされているはず。
もし、総督の権限でそういう商売をやめさせられるなら、一日でも早い方がいい。
けれどユージンは、あたしを暴走させないために、傍にいるらしい。ビーフステーキの皿を前に、パンをちぎりながら、淡々と言う。
「辺境はもう何百年も、何でもありの無法地帯として続いてきたんだ。きみが青臭い理想主義で何とかしようとしても、巨大な慣性を持つ流れは、すぐには変えられない。焦ると、きみが潮流に流されて、消滅してしまうぞ。まずはどっしり構えて、岩になれ」
そんなことを言われても。人の上に立つなんて、どうしていいか、わからないのだもの。しかも、あたし自身が法律だなんて。
……ああもう、《エオス》が恋しい。あそこではジェイクやルークやエイジたちが、あたしを子供扱いしてくれた。何をするべきか、何をしたらいけないか、指図してくれた。まずいことをしたら、頭をごつんとやって叱ってくれた。
それって、何て有り難いことだったんだろう。
それにまた、親父やバシムが背景で、どっしり構えていてくれたから、あたしは好きに跳ね回ったり、文句をつけたり、愚痴を言ったりすることができた。まだまだ、そうして甘えていられると思っていたのに。まさか、いきなり、こんな地位に据えられてしまうなんて。
(エディ、助けて)
(ジェイク、傍に来て)
(バシム、どうしたらいいの)
と、つい思ってしまう自分を、自分で叱りつける。
(とんでもないよ。みんなを、違法都市に呼ぼうなんて)
みんなは親父の側にいて、《エオス》を飛ばすのが仕事だ。親父が賞金首でなくなっても、辺境航路では何が起こるかわからないのだから。
悩みながらも、出された料理は平らげた。一流のシェフがいるのだろう、前菜からデザートまで、たっぷり堪能できた。それでも、いずれは、エディの手料理が恋しくなるだろうけれど。
食後のハーブティを味わいながら、メリッサの説明に耳を傾ける。
「毎朝、わたくしがお迎えに上がります。ジュンさまは朝食の間に、一日の予定を確認なさって下さい。わからないことは何でも、わたくしにお尋ねを。もちろん、カティさんもね」
「ええ、そうさせてもらいます」
と謙虚な赤毛の美女。それでいい。カティさんも、メリッサからあれこれ、秘書の業務を学べるだろう。
中央に戻れば、カティさんは誘拐犯として逮捕されてしまう。事情を汲んでもらえるとしても(まだ、好きな人の子供が欲しかった、としか聞いていないが)、もしかしたら子供と共に、この《アグライア》で暮らす方がましかもしれないのだ。
「明日は、デザイナーとスタイリストを呼んであります。午前中、衣装のお仕立てをなさって下さい。基本的な衣類は揃えてありますが、人前に出る時のドレスやスーツ類については、ジュンさまも、ご自分のお好みをおっしゃって下さいな。午後の予定は、昼食時に決めて下さればよいでしょう」
メリッサは、新しい職務に張り切っている様子だ。彼女にとって、総督の秘書というのは昇進であるらしい。それは結構。とりあえず、今夜のところは、ぐっすり眠るとするか。心配はまた明日、起きてからにしよう。
『レディランサー アグライア編』8章-2に続く