恋愛SF『レディランサー アグライア編』3章-1
3章-1 アレン
その通話が来た時、ぼくはオフィスで書類仕事をしていた。小組織とはいえ、人員が百名を超すと、それなりに雑務が溜まる。
「やあ、失礼……きみがアレン・ジェンセンか」
それまで風景映像を映していた通話画面に、何の前触れもなく、見知らぬ人物が現れた。
褐色のサングラス、地味なダークスーツの痩せ型の男。
それは、驚くべき出来事だった。この人物は、ぼくの本名を突き止めている。そして、警備室や秘書室を通さない直接通話をしてきた。よほどの組織力、技術力がなければできないことだ。
「どなたです?」
と尋ねたが、内心では、いよいよ来たか、と思っていた。
〝連合〟への勧誘に違いない。
その時はおとなしく受諾しようと、アンヌ・マリーと話していた。多額の上納金を課せられるとしても、辺境ではやむを得ない必要経費だ。他組織との提携もしやすくなる。
市民社会での税金のようなものだ。税金と違って、課税基準も使途も公開されないだけである。ごねたり、抵抗したりすれば、組織は取り上げられ、ぼくとアンヌ・マリーは洗脳されるか、処刑されるか。
「初めてお目にかかる。わたしはユージンという。《クーガ》という組織の代表者だ」
サングラスのせいで、目の表情はわからない。褐色の髪に、こけた頬、色艶の悪い肌。物憂げな、というよりは、陰鬱なたたずまい。その組織名は知らないが、ユージンという名前は、何か記憶にひっかかる。間違いなく、用心深く対応しなければならない相手だ。
「で、ご用は何です、ミスター・ユージン」
「ユージンで結構。そちらの組織の代表者は、アンヌ・マリーという赤毛の女性だと聞いている。そこは、彼女のオフィスだろう?」
彼女も辺境では別の名を名乗っているのに、ちゃんと本名を知っているのだ。とぼけても無駄、という警告だろう。いざとなれば、故郷の家族や学生時代の友人を人質に取ることもできるのだと。
ぼくたちは確かに市民社会を捨てたが、それでも、家族や友人を拉致されたり、殺されたりしたいとは思わない。
「彼女は水泳中です。日課なので。ご用は、片腕のぼくが伺いましょう」
すると向こうは、薄い唇にわずかな笑みを浮かべた。
「では、きみに話そう。わたしは今、最高幹部会の命令で動いている」
あっと思った。あのユージンか。
最高幹部会の代理人。
辺境全体でも数十名しかいない、トップエリートの一人だ。何かの事件にからんで、噂を聞いたことがある。そう思って見直せば、いかにも油断のなさそうな人物に見えた。しかし、こんな小組織に何の用で。
「きみに相談したいのは、カトリーヌ・ソレルスのことだ」
いきなり、心臓を鷲掴みにされた。
カティ。
なぜ、彼女の名前が、こんな男の口から出る。
全身が氷漬けにされたようで、身動きもできない。
「……どういうことです」
平静なふりをしようとしたが、おそらく、顔色が変わっていたことだろう。ぼくの心は半分、カティのものなのだ。別れて十五年経っていても、まだ。
「なるほど。まだ未練があるか。では、彼女を保護するつもりはあるな?」
脅迫されているのだと思った。つまり向こうは、カティを人質にとっているのだと。
「要求は、何です」
声が震えた。どんな無理難題を押し付けられるのか。
だが、ユージンは穏やかに言う。
「早とちりはやめたまえ。彼女とは、これから合流する予定なのでね。きみたちも、合流してこないかという提案だ」
合流? 何を言っている? カティは市民社会にいて、ちゃんと普通に暮らしている。航行管制局の仕事を、ずっと続けて。
「わかりやすく話そう。彼女はきみに捨てられた後も、ずっと、きみ一人を思い続けてきた。しかし、今はもう、つのる寂しさに耐えられない」
何だって。
何だって。
「そこで、我々の誘いに乗って、辺境に出てくることにした。わたしは彼女に約束したのだ。一つ仕事を果たしてくれれば、アレン・ジェンセンの精子を提供すると。きみには、そのために、我々と合流してほしいのだよ」
***
「アンヌ・マリー!!」
ぼくが岸に立って呼ぶと、彼女はゆったりと泳いできた。熱帯や亜熱帯の植物を茂らせた温室区域にある、エメラルド色の広いプールである。裸で泳ぐのが、彼女のお気に入りだ。波紋が広がる水面の下に、すんなり伸びた白い手足が見える。
「なあに? あなたもいらっしゃいよ」
アンヌ・マリーはぼくの方に水をはねかけ、笑って誘う。しかし、今日はそれどころではない。
「すぐに上がってくれ。出航するんだ。《アグライア》に行く。カティがそこに来るんだよ!!」
「え、何ですって!?」
整えた赤茶色の眉が、険悪に跳ね上がる。今もまだ、双子の姉の名前は、彼女の神経を張り詰めさせるのだ。
「説明は途中でする。さあ」
ぼくはアンヌ・マリーの手を引いて水から引き上げ、バスローブでくるんだ。そして、三十分後には小惑星基地を離れていた。
急いだので、用意できたのはほんの五隻の小艦隊だが、道中の安全はユージンが保証してくれた。自分と合流するまで、他組織がきみたちに手出しをすることはないと。
「馬鹿馬鹿しい。あなたの精子だなんて。まったく迷惑な女だわ」
白い肌を引き立てる深緑のドレスを着たアンヌ・マリーは、近づいただけで火傷しそうなくらい、不機嫌だった。ソバージュにしたボブの髪に湿り気を残したまま、ソファで脚を組み、熱いココアを飲んでいる。
「子供なんか、他の男の精子で作ればいいじゃないの。男なんか、そこらをいくらでも歩いてるんだから」
しかし、元々、ぼくとカティは恋人同士だったのだ。アンヌ・マリーに割り込まれるまでは。いや、あれは、引き裂かれたと言ってもいい。カティの傷もまだ、癒えていなかったのだ。どうか幸せであってくれと、祈っていたのに。
「まあ、いいでしょう。この際だから、捕まえて冷凍保存にしてやるわ。これ以上、迷惑かけられたくないもの」
さすがにぼくも、迷惑をかけたのはどちらだ、と言いたくなる。
「アンヌ・マリー!!」
ぼくが咎める口調で言うと、鼻と頬に薄いそばかすを散らした華やかな赤毛の美女は、つんとしてそっぽを向いた。
「いいわよ、わかったわよ。どうせあなたは、やっぱりカティを選ぶんでしょ。邪魔なのは、わたしの方なのね。いっそ、わたしを冷凍にしたら?」
その台詞が途中で涙声になるから、ぼくは勝てない。アンヌ・マリーの肩を抱き、額にキスして慰めた。
「こうして、きみと一緒に暮らしているじゃないか」
『レディランサー アグライア編』3章-2に続く