古典リメイク『レッド・レンズマン』1章-3
1章-3 リック
レンズマンがレンズを授与されるのは、この銀河に生きる多くの種族の平和と繁栄のためだ。個人的な利益のために使うことなど、許されない。
だが、ウォーゼルの確信は揺らがない。
《とんでもない。クリスの優秀な遺伝子を後世に残させることは、銀河パトロール隊の神聖な義務の一つだ》
彼もまた独立レンズマンで、自分だけの考えで行動することを許されている。
《何といっても、きみたち人類は、パトロール隊を創設した種族なのだからな。これからも末永く、パトロール隊の発展に尽くしてもらわねばならない。そもそもわたしは、クリスに好意を持っていない男は選んでいない。わたしはただ、クリスに憧れながら、ためらっている男たちの背中を押し、出会いのきっかけを作っているだけだ》
《だから、それが余計なお節介だと言うんだよ》
もしもクリス姉さんが事実を知ったら、レンズマン嫌いがますます悪化してしまう。
『他人の頭の中を覗ける装置を、野放しに使わせておくなんて、とんでもないわ!!』
というのが姉さんの持論だ。一部のレンズマンが、善意からであれ、一般人に対して精神操作のような真似をしていると知ったら、ますます激高するだろう。
過去数世紀の働きによって、レンズマンがこれほど広く深く尊敬されていなかったら、姉さんは先頭に立って、レンズ廃絶を訴えているに違いない。
《それは違うぞ、リック。きみたちが繁殖活動に熱心ならば、わたしだって、こんな小細工をしなくとも済む。どうしてきみたち人類は、種族繁栄という、当然の義務から逃走しようとするのだ?》
《いや、逃げているわけでは……ただ、大事なことだから慎重に……》
《ソーンダイク博士……ベルの好意に対するきみの態度は、逃げと表現する他ないと思うが? きみも好意を持っているくせに、なぜそれを否定する?》
唸りたくなった。レンズマン同士で嘘はつけない。いや、格上のレンズマンが格下のレンズマンに心を隠すことは可能だが、ウォーゼル相手では到底無理だ。
《わかった。わかったよ。ぼくはベルが好きだ。大好きだ。しかし、だからこそ……》
たとえ結婚しても、すぐにベルを未亡人にしてしまうだろう。そうとわかっていて、好きだと認めるのは、無責任ではないか……
《それは敗北主義だぞ。長生きできる可能性もある。それにベルは、たとえ三日の結婚生活でも、ないよりましだと考えている》
ぼくの知らないうちに、ベルとウォーゼルは相互理解を深めているのだろうか。
《勘弁してくれ……とにかく、どうせなら、姉さんを先に何とかしてほしい》
《努力しているが、どうも人類は、選り好みが激しすぎるようだな》
《んむむ……できれば、一般人の男がいい気がする》
クリス姉さんは、もし恋愛や結婚をするとしても、パトロール隊の男は選ばないだろう。
祖父も父親もレンズマンで、働き盛りのうちに殉職した。おまけに、ただ一人の弟まで、レンズマンになってしまった。この上、夫まで生け贄に差し出したくはないだろう。
だが、ぼくにとっては、パトロール隊に入ることも、レンズマンを目指すことも、当然の選択だった。マクドゥガル家の男たちは、先祖代々、任務に命を捧げてきたのだから。
しかし、姉さんは女だ。姉さんこそ、パトロール隊なんか辞めて構わない。女は子供を産み、育てることで人類に貢献できる。
そう考えれば……女性がレンズを得られないことは、女性差別でも何でもない。生物学的な特性を考慮した結果にすぎないではないか。何も、署名集めやデモ行進までして、差別撤廃を訴えなくてもいいだろう。
《しかし、本当にいるのか、あの姉さんに憧れてくれる奇特な男なんて》
《たくさんいるとも。だが、気後れして迫れないだけだ。こちらで吟味して、何とかクリスに釣り合いそうな者を選び出してはいるのだが……》
その時、宇宙空間に断末魔の悲鳴が走った。
(やられる!!)
(もうだめだ!!)
肉声ではなく、魂の叫び。生者が暴力で命を断ち切られる時の、恐怖と絶望の叫びだ。
(お母さん……!!)
(いや、死にたくない!!)
叫びの凝った暴風のようなものが、ぼくの存在にぶつかって通り過ぎた。雪崩の直撃を受けたようなものだ。倒れそうになり、壁に背をつけて、息を整えるのにしばらくかかる。
何度経験しても、やはり死の寸前の叫びはこたえた。一緒に死の淵をのぞいてしまい、下手をすると、もろともに暗黒の奈落へ引き込まれそうになる。
レンズマンは死を恐れないと言われているが、それもまた、代々受け継がれてきた嘘だ。
怖い。あの奈落に落ちるのは怖い。
だが、戦わずに逃げても、いつか死に追いつかれる時が来る。
ぼくはぎゅっと目を閉じて、死の衝撃をやりすごした。重なり合う叫びはすぐに薄れ、宇宙の闇に消えていく。彼らはもう、この世にはいない。あらゆる夢も希望も、共に消え失せた。
もちろん、悲鳴を感じたのはレンズを帯びているぼくとウォーゼルだけで、船の計器類にはまだ何の反応もない。ぼくはウォーゼルとの精神接触を保ったまま、司令室に駆け戻った。
この先、ぼくが戦闘で死んでも、最後の瞬間まで、ウォーゼルが見守っていてくれる。それは、レンズマンになって一番嬉しかったことかもしれない。
「艦長、転針してくれ!! 海賊船だ!! 座標はこれから確定する!!」
獲物を発見した瞬間から、戦闘指揮権はぼくに移る。
「了解、転針します。総員、戦闘準備配置!! 次の命令を待て!!」
ブリタニア号は最高速の無慣性推進で、襲撃現場に急行した。その間にも、次の断末魔が響く。
(畜生、海賊ども!!)
(何だって奴らの船、パトロール艦より強いんだよ!!)
(救援はまだなのか!!)
ようやく到着した現場では、たった二隻の海賊船が、六隻ものパトロール艦を圧倒していた。一隻目と二隻目のパトロール艦は既に大破し、三隻目、四隻目がやられかけている。火力と機動力に、それだけの差があるのだ。戦いをあきらめて逃走しようとした残り二隻は(ぼくが艦長の心に、そう命じたからだ)、かろうじて近くの小惑星に隠れている。
おかげで、こちらがただ一隻で駆け付けても、応戦の構えをとった海賊船は片方だけだった。
「今に見てろ!!」
こちらの士官が、思わずつぶやく。もう一隻の海賊船は、獲物である四隻の大型商船から〝お宝〟を吸い上げるのに忙しい。牽引ビームで四隻同時に押さえ込み、下っ端戦闘員たちがそれぞれの商船に乗り込んでいる。
現代の海賊にとっては、物資よりも人員こそが〝お宝〟だ。捕獲した人間は、洗脳して働かせることができる。そうでもしなければ、海賊の構成員はなかなか増えない。培養した奴隷人間だけでは、構成員の知的水準や意欲水準が低下していく。組織を拡大していくには、新しい人員が必要なのだ。
商船に知覚力を向けると、何十もの映像が同時に見えた。乗り込んで来た海賊に抵抗して、射殺される乗員。逃げようとして、麻痺銃で捕獲される乗員。倉庫に立てこもる乗員。救命艇に逃げ込む乗員。
海賊を誘い出す囮にするため、わざと出航を許可した輸送船団の一つだった。卑劣と言われれば、その通り。一応の護衛艦隊は付けたものの、最新鋭の装備を持つ海賊船に対しては、おそらく無力だとわかっていた。それでも、何かしなければ、海賊の被害は永遠に続く。
「こちらは銀河パトロール隊だ!! 略奪行為をやめろ!! 人質を解放し、武装解除して降伏せよ!! 降伏すれば、命は保証する!!」
まずは型通り警告した。もちろん、向こうはせせら笑っている。その侮蔑はレンズを通して、はっきり読み取れた。この新しいパトロール艦も、簡単に吹き飛ばせると思っている。
だが、ブリタニア号が強い牽引ビームを投射すると、海賊たちの心に不安がきざした。
(こいつ、俺たちとまともにやり合う気か)
(何か策があるらしいな)
(新型艦らしい……特殊装備があるのかも)
だが、彼らは勝利に馴れていた。パトロール艦なぞ玉砕するしか能がない、と思い直した。
(俺たちは六隻、あっという間に片付けたんだからな)
そして、彼らが自分たちの防御スクリーンを過信し、回避行動をとらないうち、こちらの牽引ビームの内側を、強力な純粋エネルギーの塊が進み始めた。高度の圧縮が必要なため、連続して撃てるのは二回まで。その後は、数時間のエネルギー蓄積が必要になる。
このQ砲が失敗したら、ぼくらの最後だ。それがそのまま、銀河文明の最後になるかもしれない。
ぼくらは全員息を詰め、祈りを込めて見守っていた。ストローのように長い力場の通路をたどって、エネルギーの塊がのろのろと進んでいく。さすがに海賊たちも危険を感じ、船を動かして逃げようとしているが、今はこちらの牽引ビームが勝っている。だが、それもかろうじてというところ。
ついにエネルギーの塊が届くと、海賊船の防御スクリーンが一瞬、まばゆく燃え立った。そして、あっけなく消滅した。シャボン玉が、ぱちんと割れるように。
次の瞬間、残ったエネルギーが海賊船の本体にぶつかった。物質など、超高温のエネルギー塊の前では、ひとたまりもない。海賊船はほとんど瞬時に蒸発し、わずかな残骸だけが細かい破片となって飛散した。
海賊たちも、拉致された商船の乗員たちも、苦痛を感じる暇すらなかった。それは、死に面した彼らの心の叫びが、ぼくに届かなかったことからわかる。彼らはただ、何かまずい、という感じを抱いていただけだ。最後の瞬間に、この世から消し飛ぶまで。
ブリタニア号は、成功したのだ。ベルの率いる技術陣は、この一点だけかもしれないが、ボスコーンの技術を超えてくれた。
「やったあ!!」
「いけるぞ!!」
司令室に歓声が上がった。ぼくも思わず、全身の緊張が溶けそうになる。犠牲者は出た。しかし、これで、戦局ががらりと変わるだろう。今度は、こちらが狩る立場になれるのだ。
もう一隻の海賊船は仰天し、商船を確保していた牽引ビームを切ると、ただちに逃走にかかった。弱い相手には喧嘩を売るが、強い相手からは逃げるのだ。
しかし、逃がすつもりはなかった。今の段階で、Q砲の存在を知る海賊を基地に帰還させるわけにはいかない。仲間と通信させるわけにもいかない。人質を取り返す可能性は、既に捨てていた。残るエネルギーでは、あと一回しか撃てないのだ。
ブリタニア号の武器は速度とQ砲、それだけである。他の重装備は全て捨て、その二つに特化したのは、ぼくの考えだ。これが正しかったかどうか、今わかる。全速で追いすがり、海賊船を捕え、牽引ビームで固定した。海賊たちが慌てふためくのが、知覚力で見える。
「切り離せ!!」
「無理です!! パワーが違う!!」
実際は、こちらにそれほどの余力があったわけではない。この二回目のQ砲の発射、それで片がつかなければ、また泥仕合になる。
海賊たちの姿をレンズで観察したら、ほとんどが人類だった。温血の異種族も混じっているが、主力は彼らではない。人類は、この銀河系の有力種族の一つなのだ。善い事であれ悪い事であれ、大きな出来事には人類が関与する確率が高い。
牽引ビームの作るチューブの中を、高密度のエネルギー塊が進行していく間、
(降伏しないでくれるといいな)
と考えていた。今更、降伏されても、攻撃は中止できないからだ。発射したエネルギーは標的にぶつけないと、始末に困る。牽引ビームを消したら、エネルギー弾ははた迷惑な流れ弾として、宇宙空間を延々飛び続けることになるだろう。何かにぶつかり、大損害を与えるまで。
「やめてええっ!!」
「駄目だああっ!!」
悲鳴は、後方に残してきた四隻の商船で上がっていた。既に何十人かの乗員たちが、獲物として海賊船内に運び込まれているのだ。
だが、彼らの奪回と海賊退治を同時にはできない。この商船団の生き残りたちも、パトロール隊の基地へ同行させ、しかるべき時まで、情報封鎖のために軟禁することになる。
二隻目の海賊船も、あっさり防御スクリーンを破られて消滅した。内部に海賊たちと、不運な捕虜たちを収めたまま。
彼らの死の絶叫は――一隻目の海賊船の最後から、自分たちの運命を理解していたからだ――ぼくとウォーゼルだけしか聞いていない。ウォーゼルもまた、やむを得ない犠牲として、この殺戮を認めている。
「よし、後始末を頼む、クレイグ艦長」
「了解、グレー・レンズマン。各小隊、商船の奪回に向かえ!!」
残った敵は、商船内に取り残された下っ端ばかり。バスカーク軍曹が率いるこちらの戦闘部隊が出動すると、軒並み降伏した。帰るべき母船がなくては、他にどうしようもない。下っ端とはいえ、尋問すれば、多少の収穫はあるだろう。
戦闘の後始末が一段落すると、ぼくは商船の一隻に出向き、集まった乗員たちに謝罪した。
「救援が遅くなって、申し訳ありませんでした。現在のところ、海賊船と対抗できる船は、試験的に造られた我々の船一隻だけなのです」
商船員たちの間に怒りと反発が渦巻いているのは、レンズを使わなくてもわかる。海賊船内に連行された同僚たちは、海賊船と共に蒸発してしまったからだ。
ぼくらは、彼らの命を優先しなかった。海賊船の破壊、それが最優先の使命だったから。
「ふざけないでよっ!!」
それまで、毛布にくるまって熱いココアを飲んでいた女性船乗りが、ぼくにそのココアのカップを投げつけてきた。カップはぼくの肩に当たり、茶色い液体が胸を流れ落ちる。
「パトロール隊は、わざとわたしたちを出航させたんだわ!! こうなるとわかってて!! わたしたちは、海賊船を釣る餌だったんでしょ!!」
ご明察。
周囲の同僚たちが、ぼくに詰め寄る彼女を止めようとしてくれたが、内心では、同じ憤怒を抱えているのがわかる。彼女の怒りの叫びは止まらない。
「何が正義の味方よ!! 一般人まで殺しておいて!! 自分が手柄さえ立てればいいんでしょ!! メイベルには子供がいたのに!! カイはまだ新婚だったわ!! ヒロシは孫の仕事を手伝うからって、この航行で引退のはずだったのよ!! 民間人を守れないなら、どうして出航を許可したりするのよ!!」
一緒に来ていたブリタニア号の士官が、ぼくにハンドタオルを差し出してくれたので、それで胸を拭いながら答えた。
「出港時に、危険はあるとお断りしてあるはずです。それでも出航の許可を求めてきたのは、そちらの会社でしょう。パトロール隊としては、できるだけのことはしています」
公式見解としては、そう言うしかない。
「何よ、その言い方!! 形だけ詫びれば、それで済むと思ってるの!! 人殺し!!」
これ以上、ぼくに言葉はない。英雄の実態なんて、こんなものだ。
「新たな護衛艦隊が来ますので、我々はこれで失礼します」
と頭を下げ、ぼくはブリタニア号に戻った。護衛艦隊は、Q砲の威力を見た者たちを全員、パトロール隊の基地に軟禁するために来るのだ。必要とあらば半年でも、一年でも。
その間に、技術陣が兵器工廠を指揮して、実戦投入用の船を大量に製造する。大規模な海賊狩りは、全ての星区で一斉に始めるのだ。
我々は、本格攻勢の前の予備実験として、次の海賊船狩りに向かう。
今度は、一撃で相手を消滅させるのではなく、半壊に留めるように、砲撃の位置を工夫するとしよう。海賊船の機能が残った状態で手に入れないと、彼らの技術を分析できないし、上級基地の所在も掴めない。
「レンズマン、着替えていらしたら?」
気の毒そうな顔でブリタニア号の士官たちに言われたが、こういうことには慣れている。事件が被害者を出さず解決されることなど、滅多にないのだ。
「ああ、いま着替えるよ。それから、何か食べることにする」
ずっと心を同調させていたウォーゼルが、ぼくを慰労してくれた。
《ご苦労だったな、リック。海賊船の技術情報が手に入ったら、すぐに大攻勢をかけられる》
《ああ。次は必ず、うまく生け捕りにするよ》
《ゆっくり眠れ。こちらは警戒を続けるから》
《ありがとう。それじゃ、また》
ココアでべっとり濡れた服。このざまをべルに見られていないことが、ぼくの救いだ。
べルに幸せな家庭を与えることは、他の誰かがしてくれればいい。ぼくは、任務のためなら何人でも殺せる男なのだから。もしかしたらべルでさえ、任務のためには犠牲にするかもしれないだろう。
それにボスコーンは、いずれQ砲に耐えられる新造艦を繰り出してくるに違いない。そうしたらこちらは、それを超える兵器を製造するしかない。その繰り返しだ。
奴らを根絶やしにすることができればいいが……この世に本当の平和が訪れることなど、永遠にないのではないか。
『悪とは、人間の自由意志から生じる』
昔の宗教書に、そう書いてある。それならば、正義だけが存在する世界など、ありはしないのだ。善も悪も、共に、生き残るための方策にすぎないのだろうから。
『レッド・レンズマン』2章に続く
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