恋愛SF『レディランサー アグライア編』6章-9
6章-9 ジュン
かなり上層でエレーベーターを降りた時、一瞬、センタービルの屋上庭園に出たのかと思ってしまった。小鳥の声がしたし、そよ風が背の高い竹林を揺らす、緑の空間だったから。
でもすぐに、数階分の高さを持つ屋内庭園だとわかった。周囲は、太い柱と透明な窓で囲まれている。窓の一部から、風を入れているようだ。
窓辺からは、繁華街の他の建物が、かなり下に見下ろせた。違法都市では、センタービルより背の高い建物はない。権力のありかを、わかりやすく示しているわけだ。
……いや、実際の権力者は、目立たない別の場所に隠れているのだろうけれど。所在を知られないことが、強さなのだ。
「お待ちしておりました、ジュンさま、ユージンさま」
黒髪を結った秘書風の女性が待っていて、きちんと一礼した。黄色系の皮膚に、切れ長の黒い目をして、真珠のイヤリングに紺のスーツという、堅い格好だ。どちらかというと寂しげな細面だが、長い前髪をカールさせて顔の両側に垂らしているから、上品な美女という印象に仕上がっている。
「わたくし、メリッサと申します。ジュンさまのお世話に付きますので、どうぞよろしく」
つまり、あたしの監視役か。〝さま〟付きで呼ばれるのは落ち着かないけれど、仕方ない。芝居の役柄のようなものだ。どうせ転落する時は、一瞬で地獄に落ちるのだろうし。
「そう、よろしく、メリッサ。こちらは、あたしの秘書のカトリーヌ・ソレルス。仲良く頼むね」
と偉そうに答えたら、彼女はなぜか、ひどく驚いたような顔をする。なぜだ。
「あたしが何かした?」
もしかして、威張ってはいけない場面だったのか。けれど、メリッサはすぐに微笑みを取り戻した。
「いえ……とんでもない。ジュンさまの秘書ですね。了解しました。どうぞ、こちらへ」
メリッサはあたしたちを、白い玉砂利の小道の奥にある、洒落た四阿に案内した。周囲には、赤やピンクや白の牡丹の花が咲きこぼれている。
紺の制服に白いエプロンを重ねたアンドロイド侍女が二体、お茶の支度をして待っていた。一人分ずつ、重たげな焼き物のお椀で、抹茶を立ててくれる。
あたしも抹茶は好きだけれど(エディがよく、抹茶ミルクを作ってくれた。抹茶アイスも大好き。もう二度と、エディの手料理は味わえないかもしれないけれど)、お茶だけでは満ち足りない。幸いなことに、美味しそうな和菓子が、大きな塗りの盆にたくさん盛ってある。
「これ、食べていい?」
とメリッサに尋ねたら、
「はあ。もちろんですけど」
と奇妙な顔をされた。何なのだ。
「食べさせるつもりでないなら、飾ってあるだけなの? それとも、毒入り?」
「いえ、そんなことは……」
黒髪の美女は困ったように、ユージンに救いを求める視線を投げた。ユージンはいつものサングラスの下で、かすかに笑ったようである。
「このお嬢さんは、誘拐されたくらいで、食欲が落ちたりしないんだ」
ああ、そういう意味。だって、いつ何時、事態が急変するかわからないんだから、食べられる時に食べておくのは、当然でしょ。まさか、この場で毒殺もないだろうし。
「はい、わかりました」
メリッサは納得したように苦笑し、あたしの取り皿に、お菓子を幾つか取ってくれた。
「どうぞ、ジュンさま」
「ありがとう。カティさんも食べなよ。下手したら、人生最後のお菓子かもしれないよ」
と言ったら、緊張していたカティさんも、少し笑顔になった。
「それじゃ、わたしも一つ」
そうそう、その調子。ずっとびくびくしていたら、身が保たない。あたしたちが美しいお菓子を二つ三つ食べ終えた頃、アンドロイド兵を連れた美女がやってきた。
とにかく、白い。それも、泡立てた生クリームのように、濃度のある白さ。
マーメイドラインの白いドレス、白い肌、薔薇色の唇、ふわふわのプラチナブロンド。耳には、シャンデリアのようなプラチナ細工のイヤリング。まるで、砂糖菓子のような美女だ。中身は毒入りだとしても、男なら、この外見だけで幻惑され、のぼせ上がるかもしれない。
それとも、恐ろしすぎて、そんなことは無理かな。
「メリュジーヌさま、ミス・ヤザキをお連れしました」
とユージンが席から立って、神妙に頭を下げる。あたしもつられて、席を立ってしまった。というか、隅に控えていた侍女たちを除き、テーブル周りの全員が立ったのだけれど。
「ご苦労さま、ユージン。ようこそ、ミス・ヤザキ。わたしがメリュジーヌです」
潤んだような灰色の眼をして、しっとりした甘い声で話す。あたしのがさつな態度とは、天と地の差だ。
「最高幹部会の中で話し合いがあって、わたしが、あなたに対する優先交渉権を得たのよ。ぜひ、うちの組織の力になってほしいわ」
美女はにこやかに言い、あたしに白い手を差し出した。爪と唇が、同じ系統の薔薇色に塗られている。きっと足の爪まで、完璧に手入れされているのだろう。身支度専門の侍女が、何人もいるに違いない。
「よろしく、と言うべきかどうか、わからないな」
あたしは警戒を隠さず言った。握手に応じるつもりもない。だって、こいつらは長年、親父の首に懸賞金をかけてきた敵ではないか。ほんのわずかな幸運がなかったら、親父はとうに死んでいたはずだ。
「ユージン、ちゃんと説明したんでしょうね」
美女は差し出した手を空しく下ろし、サングラス男に問う。
「もちろんです。《キュクロプス》の幹部待遇で迎えるから、この《アグライア》を拠点に、辺境の改革に乗り出せばいい、とね。ですが、なかなか信用してもらえなくて」
当たり前だ。あたしを信用させたかったら、この女がじかに、あたしを説得するべきだ。
『レディランサー アグライア編』6章-10に続く