SF小説『ボトルペット』1章 2章
「山の向こうには、戦争などない。きみはずっと、騙されていたのだよ」
1章 スーリヤ
目が覚めたら、泉の岸辺に裸で倒れていた。
湿った土の上には、男たちの足跡が重なり合って残っている。馬や駱駝が水を飲んだ足跡もわかる。
でも、オアシスにはもう誰もいない。ただ、椰子の葉が風にそよぎ、真昼の太陽が、砂地に濃い木々の影を落としているだけ。
男たちにさんざん殴られ、犯され、嘲笑されたのに、躰には何も傷がない。褐色の皮膚はなめらかで、骨も折れていないし、痣や痛みも残っていない。
夢だったのだろうかと、いつも疑う。
でも、夢ならなぜ、あんなに痛く、恐ろしいだろうか。なぜ繰り返し、あんな夢を見なければならないのか。
あいつらはいつも騒がしく、残忍だ。わたしをさんざん痛めつけると、また隊商を組んで、砂漠の向こうに消えていく。わたしはまるで、オアシスの付属物のように、ここに置き去りにされたまま。
どうせまた、何日かすれば、奴らが戻ってくる。
泉に浸って躰を洗い、収穫して籠に入れてあるナツメヤシをかじった。服は男たちに破られたはずなのに、元の通りになっていて、灌木の茂みにひっかかっている。それを着ようが着まいが、誰も見ていないのだから、どうでもいいけれど。
涼しい木陰に座っていると、空から大きな鳥が舞い降りてきて、泉から小魚をくわえ上げていく。
太陽はゆっくり傾いて、空が紅色に染まり、わずかな雲の向こうで一番星が輝きだす。やがて、降るような星空に変わり、座って見ているうちに、星座が空を巡っていく。
することのないわたしは、岩の間の、草を編んだ小屋に潜って眠る。眠ればまた、いつも通りの朝が来る。
このオアシスで生きるようになってから、何年になるのか。
わたしの他には小動物しかいない、砂漠の中の緑の点。
ここから出ようとして、砂漠を歩きだしたことはあるけれど、まっすぐオアシスから遠ざかったつもりでも、いつの間にか戻ってきてしまう。
そもそも自分が、どうやってここに来たのかもわからない。幼い頃のことも、覚えていない。
この砂漠の向こうに、どんな世界があるのか。ここに来る以前、どこでどんな暮らしをしていたのか。親はいたのか。いたはずだ。でなければ、わたしが生まれるはずはない。でも、何も思い出せない……
ううん。
思い出せないのではなくて、最初から、何もないみたい。わたしだけ、突然に、この世に放り出されたように。
そもそも、世界なんて、本当にあるのだろうか。
わたしだけ、このオアシスに取り残されて、世界そのものは、とっくに消え去っているのではないだろうか。あの男たちは、滅びた者たちの亡霊なのではないだろうか。
2章 リュス
山の向こうでは、戦争が続いている。爆弾が落ちて、家が焼かれる。村人も逃げたり殺されたりして、どんどん少なくなっているという。父さんが兵隊に取られて死んだ後、母さんはぼくを連れて、こっそりと険しい山を越えてきた。
この霧の谷にいれば、役人に見つかることはないという。たまにしか日の射さない、深い谷間の森の中。
「おまえのような男の子は、見つかったら、兵隊に取られてしまうのよ」
だから、戦争が終わるまで、ぼくとここに隠れているのだと。そう説明してくれた母さんも、病気で死んだ。
ぼくは一人で、隠れ暮らしている。少しばかりの畑を耕して、山羊の世話をして。
でも、たまに、おじさんが来てくれる。父さんの友達だったという、親切なおじさんだ。おじさんは馬に乗って山を越え、缶詰や、筆記用具や、本を持ってきてくれる。
おじさんは医者だから、山の向こうの病院で、兵隊の治療をしているという。たまに休暇をとって、人に知られないよう用心しながら、ぼくの様子を見に来てくれる。
「そうだとも。戦争は、まだ続いているよ。ひどいものだ。だから、おまえは隠れていないといけない。わたしがまた来るまで、いい子にしているんだよ」
おじさんからもらった本で、外の世界のことを勉強した。生まれた村のことは、もうよく覚えていない。でも、あの山を越えればそこには村があり、町があり、国境があるはずだ。その国境線を、外国の軍隊が幾度も超えてきたという。
怖かったが、本当はこっそり、山に登ろうとしたことがある。山の岩陰から、生まれた村が見えるのではないかと思って。
でも、いつも霧が流れてきて、方向がわからなくなる。迷って歩き回るうちに、自分の小屋の前に戻っている。何度試してみても、この谷から出ていくことができない。ぼくは、途方もなく方向音痴なのだろうか?
でも、いつかは、また挑戦する……いつかは。もっと強く、大きな男になった時には、きっと。
『ボトルペット』3章に続く