恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』30章
30章 シヴァ
しばらくは、平穏な日々だった。カーラが石を投じるまでは。
ハニーが午後のひととき、各部署の幹部級の女たちを集め、お茶とおしゃべりの集まりを主催していた時だ。
こういう時間に、色々な提案が出される。新しいイベント、新しい商品。誰かがちょっとした思いつきを投げ、それが会話の中で雪だるまのように転がって、大きな事業になったりする。
湖の上にクルーザーを出して、花火見物がてらの夕涼みパーティを開くとか。森の中でキャンプをして焚火とバーベキュー、あるいは鍋料理を楽しむとか。
「子供がいたら、ねえ。そういう行事を喜ぶでしょうね。大人だけでも、楽しいことは楽しいけど」
女たちの一人がふと漏らすと、それはすぐに波紋を広げた。
「市民社会との違いは、そこよね。風景に、子供がいないんだもの」
「いるとしたら、バイオロイドの小姓だけ。制服を着せられて、兵士に見張られて」
何人かの女が、悲しげに同意する。
「寂しいけど、仕方ないわ。子供を育てられる世界じゃないんだもの」
「娼館一つとっても、子供に説明できないしね」
辺境では、とても手の届かない贅沢品――それが、人間の子供なのだ。金さえ出せば、不老の技術も身体強化の技術も、奴隷としてのバイオロイドも買えるが、本物の子供は育成に時間がかかる。いや……何より、育てる情熱が必要なのだ。無法の世界の中で、いかに健全な精神を育てられるか。
それを思うと、俺の故郷の一族は、偉かったのかもしれない。俺のようなひねくれた少年でも、大人になるまで見捨てずに育ててくれた。俺が勝手に悲観して、家出してしまっただけで。
今では、紅泉が可愛がっていたダイナが成長して、新たな総帥になり、シレールを夫にして(堅苦しい彼が二人も妻を持つとは、驚きだが)自分たちの子供たちを育てている。戻れない故郷ではあるが、ショーティが時折り、情報をもたらしてくれるのだ。
「ねえ、こういうのはどうかしら……辺境にも、子供を欲しいと思う女は、潜在的にかなりいるでしょう。ただ、安心して子育てできる環境が得られないだけ。だから、それを商品にするんです」
カーラがそう言った時、最奥の部屋でモニター画面越しに聞いていた俺は、首をひねった。
――子育て環境を売る!?
組織中枢でも、俺の存在を知る女は、ハニーとルーンとカーラ三人だけだから、こういう集まりに顔は出せない。カーラは前々から構想を練っていたかのように、流暢に言う。
「少なくとも五年か十年、長期滞在できる、子育て村のようなものを作ったらどうかしら。母と子が、そこでゆったり暮らせるような場所。そこから先は、寄宿学校で子供を預かれば、女たちは安心して仕事に復帰できます。その寄宿学校も、わたしたちで作って運営すればいいのよ」
――驚いた。おまえは本物の女ではないくせに、何を言う。それとも、女ではないから発想できたのか?
女たちはしばらく唖然とし、それから熱狂した。
「それ、いいわね!!」
「絶対、需要があるわ!!」
「それだったら、わたしだって子供が欲しいもの!!」
「ハニーさま、事業計画を作りましょう!!」
女たちは、辺境にまともな男が少ないことについては、もうあきらめをつけている。だが、この興奮を見れば、子供が欲しい本能には、それぞれ苦しめられていたらしい。
精子なら買える。自分好みの、優秀な精子を人工的に作ることもできる。足りなかったのは、そこから先だ。大組織に所属している女ならともかく、中小組織では、子育てに配慮するような余裕はない。大組織の中がどうなっているのかは、俺もよく知らないが。
「ちょっと待って。それはかなり……影響が大きいわ」
ハニーは慎重にブレーキをかけた。それはそうだ。もし、辺境の女たちがそれぞれ二人、三人と子供を育てていったら、今後数十年で、母親の愛情を受けた若者たちが、何十万人も誕生することになる。いや、何百万人かもしれない。
それだけの数がいれば、辺境の文化が激変するだろう。
同じ学校で育ったマザコンの若者たちが互いに連携し、力をつけたら、あちこちの組織を作り変えていくことになるのではないか。おそらくは、母親たちの望む通りに。
それはつまり、辺境が市民社会のように平和になるということだが、逆に言えば、ルール破りが許されない、自由度の少ない社会になるということだ。おそらく、娼館は真っ先に廃止される。人体実験も許されなくなる。危険な兵器の研究や製造も許されない。新たな試みには、かなりの制限が課せられるだろう。
いま辺境を支配している連中は、そんなことを望んではいないはずだ。ありとあらゆる試みが自由だからこそ、進歩も速いのだから。〝連合〟はきっと、女たちの子育てを危険視する。下手をしたら、《ヴィーナス・タウン》が潰される。
「そんなことが可能かどうか、少し考えさせて。たぶん、最高幹部会に相談することになるわ」
ハニーはそう言い、女たちを解散させた。俺も、無理な望みだろうと思う。〝何でもあり〟の無法地帯を維持するためには、辺境が男中心の世界である方がいい。男は馬鹿で、地位や権力をちらつかせれば、いくらでも操れるからだ。
最高幹部会がリアンヌをお払い箱にしたのも、アマゾネス軍団に力を持たせておきたくなかったからだろう。子供を抱えた女は真剣で、良識的で、しかも女同士が団結しやすい。だからこそ、市民社会は女たちの望むように進化してきた。
だが、辺境は男たちの欲望が優先される世界。
今は最高幹部会が《ヴィーナス・タウン》を後援しているとはいえ、それはあくまでも、少数派の女たちを快適に過ごさせるためだ。市民社会から、もう少し女を呼び込みたいとしても、女を辺境の多数派にしようとは思うまい。
それともいつか、その変革を認める時が来るのだろうか。そのいつかとは、ハニーとその周囲の女たちがもたらすのだろうか。
***
ハニーは早速、自分の庇護者である二人の大幹部、リュクスとメリュジーヌに面会を申し込んだ。二人とも、最高幹部会の重鎮だ。過去、ハニーが商売上の大きな決断をする時には、必ずこの二人に相談してきている。
二人からは、じかに会うとの返答が来た。それは、この提案を重大なものと受け止めた証拠だ。
一週間後、《アヴァロン》のセンタービルの一室で開かれた会合には、俺とショーティも参加した。ハニーを一人で、危険かもしれない場に送り出せない。リュクスたちが何か決断したら、ショーティにも止められないだろうと、承知してはいるが。
ただし、ソファ席で女幹部たちと相対しているのは、薄紫のドレス姿のハニー一人で、俺とショーティは片隅の席に追いやられている。あくまでも、ハニーの添え物という扱いだ。
「あなたの提案は、確かに有望だわ」
背の高い金髪の女が、口を開いた。青い目に合わせた青いドレスを着て、どこか、故郷の一族の前総帥を思わせる威厳がある。
「子育ての支援……できるものなら、その計画を進めてほしいところよ。けれど、わたしたちの予定表では……それは、別の改革者にさせたいの」
ハニーはわずかに眉を曇らせたが、静かに尋ねた。
「もう、その方から、計画が提出されているのですか?」
リュクスの斜め横にいる、ふわふわのプラチナブロンドの女が、ゆったり答えた。
「いいえ、そちらはまだ、準備段階に過ぎないの。うまくいくかどうかは、未知数よ。人材の育成には、不確定要素が多いのでね」
硬質な美貌のリュクスに比べ、こちらは妖艶タイプだ。白いドレスに薔薇色のストールを巻いて、華麗な姿だが、どちらの女にしても、恐ろしすぎて男を萎えさせる。
「けれど、あなたの《ヴィーナス・タウン》とそちらの子育て村、この二つは別の流れにしておきたいの。どちらかが失敗しても、どちらかは生き残るようにね」
彼女たちなりに、保険をかけている、というわけか。
「わたしたちも、辺境がこのままでいいとは思っていないわ。年月はかかるけれど、いずれは辺境にも、市民社会の良識が浸透するでしょう」
おい。良識を重んじているとは知らなかったぞ。俺を裸で檻に入れ、相棒の命を盾に脅迫してきたのは、おまえたちじゃなかったか?
「そのためには、多方面からの影響が必要だわ。ハニー、あなたがいかに優秀でも、あなたの影響だけでは弱いのよ。あちこちで、別々の改革が始まる方がいいの。いつか、その流れが合流する時までね」
ハニーは考え、確認する。
「改革の役割分担をせよ、ということですか。いずれ誰かがしてくれることなら、わたしはそれを待てますが……お目当ての人物が失敗したら、次はわたしに機会を下さいますか?」
今度はリュクスが答えた。
「その時は、また相談しましょう。わたしたちは、あなたを〝こちら側〟の人材だと考えています。今日はちょうどいい機会だから、腹を割った話をしようと思うの。辺境の現状について、そして未来についてね」
ハニーはけげんな顔をした。
「わたしはシヴァやショーティに守られてきただけで、自分自身には何の力もありません。未来の話なら、彼らも一緒に」
そして、心配げに俺たちの方を窺う。妖女たちは、笑って軽く手を振った。
「彼らは、あなたのおまけよ。《ヴィーナス・タウン》は、あなたの事業だわ。あなたが推進してきたのだし、部下たちは、あなたを信頼して従っているのだから」
その通りだ。ハニーは紅泉や探春と比較しても、遜色ないほど素晴らしい女だと思う。戦士ではないが、理想を持ち、人を率いる力がある。そう、指導者なのだ。
「今はあなた自身が、辺境の重要人物なのよ。だから、わたしたちに近い立場でものを考えてほしいの」
ハニーは戸惑ったようだ。しかし、ここはリュクスたちの言うことが正しい。《ヴィーナス・タウン》はもはや、ただのファッション・ビルではない。辺境の女たちの灯台のような存在になっている。ハニーが何か発信すれば、ただちに全宇宙に広まるだろう。
俺に問いかける視線を投げてきたハニーに、黙って頷き返した。俺は番犬でいい。それは、名誉ある立場だと思っている。
それを見て取り、リュクスが説明を続けた。
「わたしたちはこれまで、大組織の実態を外部に隠してきたわ。意図的に、慎重にね」
確かにそうだ。俺だってグリフィン時代、中小組織の内情なら詳しかったが、六大組織に関しては、わずかな知識しか得られなかった。
「辺境の人口約三十億のうち、およそ半分が六つの大組織に所属しているけれど、どこも自分たちの拠点星域を厳重に確保しているから、部外者がそこに侵入することはない。交流があるとしても同格の大組織同士のことだから、外部に内実が知られることは、ほとんどなかったのよ」
俺はかなり、興味をそそられていた。いったい、どんな実態を隠してきたというのだ。
市民社会の映画や小説では、大組織は常に邪悪な独裁帝国として描かれてきた。バイオロイドを奴隷として使い捨て、人間たちには過酷な競争を強いて、負けた者は洗脳されたり、処分されたりする。
だが、実際にその通りであるなら、特に隠す必要もないはずだ。もしも、そうではないというのなら?
「大組織は、停滞しているの」
――ああ!?
「長年、辺境に君臨してきたおかげで、安心しきって、たるんでいるのよ」
とリュクス。メリュジーヌも言う。
「確かに、我々には資源も技術もあるわ。でも、大きな飛躍はもう生まれないでしょう。不自由のない生活からは、覇気というものが失われるからよ」
意外な言葉を聞いた。大組織は図体ばかり大きくて、役立たずになっているというのか。
俺の故郷の一族は、六大組織に準じる規模の老舗組織だと思うが、堅実で勤勉だった。そこから類推しても、巨大組織は、それを上回る厳しさで運営されているのだろうと思っていたのに。
だが、リュクスもメリュジーヌも、苦い真実を認める顔だ。
「それは近いうち、あなた自身の目で見てもらいます。辺境の未来は、たるんだ大組織ではなく、先鋭的な中小組織にかかっているのよ」
「地位を築いた組織は、いずれ硬直化したり、怠惰になったりしていくものなの。それは、どう工夫しても止められなかった。人は成功すると、そこに安住してしまうの。だから常に、清新な人材が必要なのよ。あなたのようにね」
ハニーはやや、戸惑った様子だ。自分が辺境でどれだけ重要な存在になっているか、おそらく、本人が一番わかっていない。
「あなたに期待をかけてはいるけれど、改革は、少しずつ進めるしかないの。まだ多くの男たちは、男の優位を疑っていない。そして、それを失うつもりもない」
ああ、そうだろうよ。従順なバイオロイドたちに支えられて、毎日、楽しく暮らしているのだろうからな。
「だからあなたたちは、彼らが、たかが女の洋服屋、と思っているうちに、少しずつ根を張るしかないの。いま、商売として子育て環境を提供することは、やりすぎになるわ。もう少し、待ってちょうだい」
「はい、それはわかりました……」
ハニーは用心深い態度でいたが、次の言葉で驚いて顔を上げた。
「ただし、あなたが部下の女たちに、そのような福利厚生を提供することは止めません。あくまでも、組織内の制度に留め、外部に宣伝しないのならばね」
「……ありがとうございます!!」
ハニーは顔を輝かせたし、俺もほっとした。それだけでも、組織内の士気が違ってくるだろう。伴侶が得られなくても、子供がいれば、それだけで幸せになれる女は多い。
そもそも、女を何十年も満足させられる男など、どれほどいるか。女は、女同士の連帯を頼った方が、はるかに安心確実だろう。
「本当はね、わたしたちも、それを願っているのよ。女たちが、辺境で自由に子供を育てられたら、大きな地殻変動が起きるわ。ただ、わたしたちは二人しかいないの。他の十人の大幹部は、男なのよ」
とリュクスは無念をにじませて言う。この女たちが、人間らしい態度を見せるとは驚きだ。これが演技なのか、それとも、これまでの冷血ぶりが演技だったのか。
「辺境の男たちは、女を自由にさせたくないの。それをしたら、市民社会と同じことになるからよ」
とメリュジーヌ。
「弱い男は、自分が女に選ばれないことに耐えられない。強い男は数が少ないから、多数の弱い男たちの怨念を無視できない」
それはわかる。俺にハニーを奪われたマックスも、その恨みを昇華させるまで、どれだけかかったことか。
「でも、それは時間の問題に過ぎないわ。何度潰しても、女たちは革命を起こすから」
それは、リアンヌのことか。その前にも、同じようなことがあったのか。今はハニーで、次はまた誰かが立つというのか。
「その革命を、期待なさっているのですか」
とハニー。
「ええ、そうよ。わたしたちは、あなたを見つけて守ってきた。他にも何人か、期待をかけている女たちがいるわ。こっそりと手を差し伸べて、助けたり守ったりしているのよ」
「それでは、〝リリス〟の他にも、ということですね……?」
「もちろんよ。次世代のスター候補は、何十人も用意しなければならない。そのうちの誰が成功するか、やってみなければわからない」
「だから、あなたはもう少し辛抱してちょうだいね。いずれ、改革の流れが大河になるまで」
年長の女たちの言葉で、ハニーはだいぶ明るい顔になった。
「他にも戦う女がたくさんいるのなら、心強いですわ」
「その女を支える男もね」
メリュジーヌの皮肉な笑みに、俺は口許を引き締めた。俺のように、喜んで女の番犬を務める男か。そちらの方が、よほど稀有ではないかと思えるが。
『ミッドナイト・ブルー ハニー編』31章に続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?