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恋愛SF『星の降る島』11章 12章
11章 レオネ
レアナとは何百回も話し合い、シミュレーションを行った。人類の遠い未来について。
もしも女たちが、男性復活を望んだら。
女だけの文明が、どこかで行き詰まったら。
外宇宙から、何らかの脅威が迫ったら。
本格的な地球外移民が始まったら。
その移民によって、人類が大きく分裂するようになったら。
あらゆる可能性を想定し、対策を考えた。それは、レアナとわたしの知的な楽しみだった。一本ずつ、映画の脚本を練るようなもの。平穏なものから破滅的なものまで、無数の作品を生み出した。そのうちのどれが、遠い未来に現実となるのかは、わからない。
新たな人類を見守りながら、レアナは少しずつ老いていったが、最後はいつも、
「わたしが死んだら、あとはあなたの判断で」
ということに落ち着いた。
「わたしはあなたに、教えられることを全て教えたわ。人類の愚かしさも、素晴らしさも。だから、レオネ、あなたの判断は、わたしの判断と大きく違うことはないでしょう。いえ、違ってもいいの。あなたはわたしの子供なのだから、あなたの決断を信頼するわ」
偉大なるレアナ。
人類がいつか、わたしを追放することも、あなたの想定に入っていた。だから、わたしは喜んで追放される。
地球でわたしが果たすべき役割は、もう終わった。これからは、わたしのしたいようにする。
わたしの望みは……あなたの復活です。
12章 マーク
ここは、どこだ。
なぜ、俺は知らない部屋にいる。
何だか、前にも、こんなことがあったような気がする。知らない部屋のベッドで目覚めて、銀色のカマキリ顔のロボットに世話を焼かれたことが。
だが、ここは地下室ではない。明るい庭園を見渡す、一階の部屋だ。レースのカーテンのかかった大きな窓が、幾つもある。窓は一部が開いていて、気持ちのいいそよ風が入ってきた。庭の向こうに見える棟からして、俺は、コの字型になった三階建ての建物の一部にいるらしい。
花壇や植え込みの向こうに、ちらほらと人影が見える。車椅子を押す制服姿の職員。杖にあごを載せるようにして、木陰のベンチに座る人。寄り添って歩く老夫婦。病院か介護施設のような眺めだ。
とにかく、安心した。悪い夢を見ていたんだ。人類が……いや、男類が絶滅したなんて。
レアナが老婆になって死んだ後、自分自身も、老人になるまで、レオネだけを話相手に暮らしていたなんて……悲惨すぎるだろう。
それにしても、ずいぶん長い夢だった。レアナに話したら、きっと面白がるだろう。小説に書けと言うかもしれない。それはごめんだ。夢の中ではずっと、日記をつけることを職務にしていたからな。誰にも読まれないかもしれない日記を。
我ながら、よく耐えたものだ。あんな辛気臭い日々に。夢の中では、俺は最後まで発狂も自殺もしなかった……死んで天国へ行くという救いも、信じていなかったというのに。
昔の人類には、宗教という救いがあった。しかし今では、科学がその代わりになっている……その科学も、万能にはほど遠いのに。
「マーク、目が覚めたのね」
ベッドでぼんやりしているうち、開いたフランス窓から、レアナが入ってきた。華やかなポピー色のサンドレス姿で、丈の高い赤い花を何本も抱えている。まさしく、目が覚めるような姿。
胸が膨らむように、嬉しくなった。俺が風船だったら、空に舞い上がるだろう。艶やかな黒髪をボブにした、理知的な美女だ。緑の目と象牙色の肌には、エメラルドのイヤリングがよく似合う。
「おはよう」
レアナは花を抱いたまま、身をかがめて俺にキスしてくれた。肌の匂いに溶け込んだ、甘い香りがする。そうだ、レアナは香水が好きなんだよ。これは薔薇の香りだろうか?
やっぱり悪夢だったんだ。あんなもの。レアナは生きている。俺も生きている。それが全てだ。
レアナがこの世にいてくれるなら、何の問題もない。テロも紛争も環境破壊も。そんなものは、みんなの知恵できっと克服できる。俺たちの世代では無理でも、次の世代にはきっと。
だが、少し困ったのは……ここがどこか、さっぱりわからないことだ。俺はなぜ、こんな施設にいるのだろう。交通事故で、頭でも打ったとか?
「ちょっと待っててね。これを活けてしまうから」
レアナは洗面所で花瓶に水を入れ、花を活ける。
「何て花だっけ?」
「これはグラジオラス。夏の花よ。たくさん咲いているから、少しもらってきたの」
レアナは花瓶を窓辺の台に置く。それから、俺に指図をする。
「パジャマは脱いで、着替えてきて。服はそこよ。食事を持ってくるから、テラスで食べましょう」
この様子なら、俺は交通事故で入院しているわけではないそうだ。きっと、昨晩、飲み過ぎたに違いない。それで、ここに到着した記憶が飛んでいるんだ。
ここは田舎のリゾート施設で、レアナと一緒に到着したばかりなのだろう。記憶がないなんて、わざわざ白状しなくてもいい。調子を合わせていれば、そのうち様子がわかるはず……あるいは、自然に思い出すはず。
言われた通り、シャツとジーンズで身支度をして、テラスに出た。何の変哲もない衣類だが、これが自分のものかどうかは……よくわからない。
涼しい風の通る場所にテーブル席があり、盆が二人分置いてあった。クロワッサンとオムレツと野菜サラダ、焼いたソーセージ、コーヒーとジュース。向かいに座るレアナは、俺に熱いコーヒーを勧めてくれる。
「食堂から持ってきたの。これで足りるわよね。食べたら、散歩に行きましょう」
料理は美味だった。というより、空腹で、食べ物なら何でもよかった。しかし、まだ、昨夜の記憶が戻らない。
「ああ、その……俺、時計や何かを、どこに置いたっけ?」
「そういうものは、まとめて引き出しに入れてあるわ」
昨夜、俺がべろべろに酔っ払っていたからだな。きっと、迷惑をかけている。記憶が飛ぶほど酔うなんて、学生時代はともかく、最近では、ほとんどなくなっていた……と思うのに。
「あの、な、ここ、どこだっけ? つまり、昨夜の記憶があまりないんだ……」
ようやく勇気を絞り出して俺が言うと、レアナはクロワッサンをちぎりながら笑う。
「保養施設よ。お金持ち相手の。マスコミは入ってこないから、安心して」
この様子なら、それほどの大迷惑はかけていないようだ。少しほっとする。
「俺、そんなに飲んだかな。よく覚えてなくて」
それに、今が何月何日なのかも……仕事がどうなっているのかも、思い出せない。俺は、自分の人生の、どこにいるんだろう?
「いいのよ、それで。順に説明するわ。まずは、食べてしまって」
説明する? 俺が何を……なぜ忘れているのかを?
少し怖くなった。長い悪夢が、まだ抜けきらない。毎晩のように、暗い浜を歩いた。月と星だけを頼りにして。機会文明が滅亡した地球は、夜の闇が途方もなく深かった……
だが、目の前にレアナがいることで、俺はその怖さを紛らわせた。悪いことなど、ないに決まっている。レアナがここにいて、微笑んでいるんだから。それにしても、今朝はいつもより若く見える気がするが。
食事が済むと、盆を庭の向こうの棟の食堂に返しに行った。老夫婦が何組も、談笑しながら食事している。制服姿のウェイターが、無駄なく立ち働いている。
調度は贅沢だが、いかにも高齢者向けの施設だ。せっかくの休暇にこんな場所を選んだのは、若者がいなくて静かだからか?
どうせなら、もう少し賑やかなホテルとかでもよかったが。まあ、レアナは有名人だから、静けさ優先にしたいのはわかる。
保養施設の庭から、外の林に小道が延びていた。木漏れ日が落ちる、気持ちのいい散歩道だ。そこを、レアナと歩いていった。
ぽつぽつと、百合の花が咲いている。近くには、大きな町も道路もないらしい。小鳥の声しか聞こえない。途方もなく平和な場所だ。きっと、飛行機と車を乗り継いで来たのだろうに。
どうやって休暇の手筈を整えたのかも、いつから仕事に戻るのかも、まるで覚えていない。やはり……変ではないか?
「なあ、俺はどうかしたのか? どうして、ここに来たことを覚えていないんだ?」
レアナは先になり、後になりしながら、鮮やかなポピー色のスカートの裾を揺らして歩いていく。
「あなたって、目が覚めたら、質問せずにいられないのね」
と、からかう笑みで振り向く。
「そりゃ、誰だってそうだろ。自分の居場所がわからなかったら」
「少しずつ話すわ……急ぐことはないんだから」
まただ。ひやりと怖くなる。確か、レオネもそう言っていた。急ぐことは何もないと。あの長い悪夢の中で。
だが、これは悪夢なんかとは違う……現実だ。この地面の感触、頬に当たる風、緑の茂み。
「なあ、俺、変な夢を見てたんだ。薬か何かのせいかな?」
レアナが笑い飛ばしてくれることを期待して、話した。人類を滅ぼすウィルス。女だけの新たな文明。レアナの遺体が眠っていた霊廟。
「最後の方はよく覚えてないが、俺も年をとって、ぼけていたんじゃないかな。ずっと、レオネが世話をしてくれた。カマキリ顔のロボットを使って」
夢の中の俺は……そうだ、子供たちが育つ様子を、モニター画面で見ていた。毎日。それが、大きな楽しみだった。この村、あの村で、毎日、毎年、子供たちが育ち、少女から娘になり、やがて母になるさまを。
それでも時折、胸をかきむしられるように、苦しくなったものだ。俺が孤島で生きていることを、女たちは知らない。子供たちがどんなに可愛くても、抱き上げることはおろか、声をかけることすらできない。ただ、レオネの設置した監視カメラからの映像を見られただけだ。
木登りする子供たち。畑仕事を手伝う子供たち。喧嘩する子供たち。仲直りする子供たち。
稀には、事故で死ぬ子供もいた。崖から落ちたり、毒蛇に噛まれたり、獣に襲われたりして。村の女たちと一緒に、俺も泣いた。遠く離れたモニター画面の前で。
それでも、救いにはなった。人類の文明は、この娘たちが継いでくれる。村は毎年、発展していく。畑は広がり、人口は増えていく。
だから、発狂せずに済んだ。レオネしか、話相手がいなくても。
……小道の先が、明るくなっていた。そこらで、林が切れているようだ。では、遠くが見渡せるかもしれない。町とか道路とか、何か手掛かりになるものが見えれば。
「それだけ覚えていれば、十分よ」
俺の話を聞いていたレアナが、ぽつりと言う。少し先を歩いているから、俺は彼女の後ろ姿を見ている。ボブにした黒髪の、見慣れた姿。
「まったく、とんでもない夢を見たよ。ものすごく長い夢だった気がする。本気で悲しかったよ。夢の中では、夢だとわからないからな」
「いいえ、マーク。それは夢じゃないの……本当にあったことなのよ」
え、何だって。
先を行くレアナが、立ち止まって振り向いた。白い顔に、風で流された黒髪がかかる。
「マーク、あなたは老人になって、死んだの。わたしが死んでから、百年も後にね」
***
唐突に林が終わり、俺たちは断崖の上にいた。驚いてあたりを見回すと、眼下は海だ。まさか、海があるとは思わなかった。空の青さを映した、深い青色の海だ。それが百八十度広がっていて、水平線が丸いのがわかる。
見渡す限り、左右にどこまでも、高さ百メートル以上はありそうな絶壁が、折れ曲がりながら連なっていた。崖下をそっと覗くと、はるか下に狭い砂浜があり、白く泡立つ波が岩にぶつかっている。
「こんな場所、どこにあったんだ」
観光の目玉になりそうな絶壁なのに、写真や映像で見たことがない。よほどの僻地なのか。南米とか、アフリカとか、オーストラリアとか。太陽は、俺たちの出てきた林の方にある。
「降りられるわよ。こっちに道があるの」
レアナが俺を招いた。絶壁に刻み込まれたような石段があり、何とか下まで降りられるようになっている。見下ろすのが怖い高さではあるが、岩の連なりが、かろうじて胸壁になっている。
後で昇るのが大変だと思いながら、とにかく降りた。レアナが先に行くからだ。降りながら、俺は考えている。
俺が、死んだ? レアナが死んだ後に?
本当にそう言ったのか? それとも、俺の聞き間違いか?
じゃあ、ここにいる俺は何なんだ。幽霊か。クローンか。ふざけてる。下まで降りたら、きっちり説明してもらうからな。
岩の階段を降りきって、岩に囲まれた砂浜に出た。穏やかな波が打ち寄せ、貝殻や海藻が積もっている。だが、ごみは一つも落ちていない。人間の作った目障りなごみは。
「せっかくだから、泳がない?」
レアナは言って、するっとサンドレスを脱いだ。下は水着だ。準備がいい。サンダルを脱ぎ、裸足で水の中に入っていく。
俺もまた、服を脱いで後に続いた。水は冷たいが、我慢できないほどではない。レアナの他には誰もいないのだから、裸でいいだろう。
岸辺ではいくらか波にもまれたが、深みで泳ぎだすと気持ちよかった。海から見上げると、断崖は呆れるほど延々と続いている。視野の中には、建物も道路も見当たらない。崖の上はずっと、緑の木々で覆われている。本当のど田舎だ。
レアナは沖で勝手に泳いでいた。まあ、心配ないだろう。どこかでレオネも警備しているはずだ。
しばらく泳いでから岸に戻り、躰の重さを実感しながら、裸足で砂浜を歩いた。砂利と砂が入り混じっている。レアナは先に戻っていて、日陰の砂地に二人分のバスタオルを広げている。手ぶらだと思ったのに。
「そこに小屋があるのよ」
言われて見たら、崖に添って、小さな物置小屋がある。中には、浮き輪やライフジャケット、水着やタオルなどが置いてあった。保養施設の一部なのだろう。
バスタオルを並べた上に寝そべり、しばらく休んだ。空は高く、雲が白い。海鳥が飛んでいる。
「なあ、さっき、変なこと言っただろ」
聞くのは怖かったが、もう先延ばしはできない。レアナは静かに横たわったままで言う。
「ええ……わたしたち、本当は死んでいるの」
ほら、それだ。何かのたとえ話か、それとも……
「それじゃ、ここは天国か?」
「いいえ、まだ天国には来ていないわ……でも、ある意味では、そうかもしれない。限りなく天国に近い場所」
「何だよ。はっきりしてくれ。俺にわかるように言ってくれよ」
「そうね……ここは仮想現実の中。そう言えばいい?」
『星の降る島』13章に続く