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恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』2章-2

2章-2 ミカエル

 周囲の市民たちが足を止め、怪訝そうに振り返るのが目の隅でわかる。自分でも、自分の大胆さに呆れてしまう。

(何をやっているんだ、ミカエル)

 〝市民社会のお情け〟で生かされている、半病人のバイオロイドのくせに。

 しかし、外聞を構っている余裕など、ぼくにはない。

「桜の名所をご案内します。それに、フランス料理でも日本料理でも、お好きな店にお連れします。宝石でもドレスでも、欲しいものを贈ります。どうか、今日一日、貴女の時間をぼくに下さい。ぼくの貯金、全て使い切って構いませんから!!」

 さすがの女神も、呆れて言葉を失っている。叱り飛ばされるか、それとも笑い飛ばされるかだ。

『大人の女を口説くなんて、十年早いわよ』

 と言われるのではないか。

 そうしたら、ぼくにはその十年がないのだと、言うしかない。同時に、普通の人間の子供ではなく、司法局の保護下にあるバイオロイドなのだと、白状しなければならないけれど。

 だが、なぜだか、女神は凍りついていた。ほとんど、呆然自失のように見える。そんな無防備さは、この人には似つかわしくない。

 その間に、ぼくは立ち直った。どうせ死ぬのなら、何が怖いだろう?

「ぼくは、ミカエルと申します。貴女は、この街の方ですか。それとも、ご旅行でこの星に? これから、何かご用がおありですか? ぼくなら、明日でも、明後日でも、いつでも、貴女のご都合に合わせます!! 貴女が他の星に行くなら、ぼくも追いかけますから!!」

 しまった、言い過ぎだ。これじゃ、ストーカーそのものだ。気味悪く思われるに決まっている。だけど、他にどうすれば。

 そこで、ようやく我に返ったように、女神は動きを取り戻した。

「ちょっと、こっちへ来て」

「え」

 ぼくは長身の美女に手を引かれ(大きくて力強く、温かい手だ!!)、近くの雑居ビルに連れ込まれた。いったん動くとなったら、迷いのない人だ。彼女は何軒もの店を素通りして、地下への階段をずんずん降りていく。

「あの、どこへ……」

「いいから」

 商品倉庫や従業員用の控え室を通り過ぎ、『関係者以外立ち入り禁止』の非常扉まで来た。この先は、都市のライフライン用の地下トンネルのはず。さすがに、司法局の護衛チームから制止がかかるかもしれない。

 だが、彼女が何らかの操作をすると、ロックが解除されて厚い扉が開いた。もしかして、この首都の公務員か警察関係者なのかもしれない。それならば、ぼくの護衛たちも、一緒に行動して構わないと判断してくれるだろうか。

 ぼくたちは地下トンネルに入り、扉を閉めて互いに向き合った。といっても、彼女がぼくを見下ろす形だ。同じ高さで向き合うには、ぼくがあと三十センチ成長しなければならない。今はまだ、女の子に間違えられるくらいの、か細い子供に過ぎないから。

 トンネルは真っ暗だが、人を感知した部分だけ照明が点いた。大小の配管が壁に添い、分岐しては暗闇に消えている。

「ええと、あたしはリリー……リリーというの。よろしくね」

 生真面目とも呼べそうな、改まった態度で言われた。自己紹介をするのに、わざわざ地下まで降りるというのは不思議だが、何か人目を避けたい理由があるのだろう。

「……そうですか。ぴったりのお名前ですね。よろしく、リリーさん」

 まさに、真夏の野山の百合だ。それも、ほっそりした白百合ではなく、オレンジ色の斑点を散らした豪華な山百合。濃密な、甘い香水とも合っている。

 すると、リリーさんはサングラスを外し、ぼくを見下ろしてきた。夏の海のような、濃いサファイア色の瞳だ。そこに飛び込んで、溺れてしまいたいような海。

 顔立ちは高貴なまでに整っているけれど、冷たい印象はない。全身から、太陽のような生気を発散しているせいだ。抱きついたら、さぞ温かいに違いない。まさか、そんな真似をする機会は、ないだろうけど。

「ミカエル……ミカエルと言ったわね」

「はい」

 この名前は、ぼくと同シリーズのバイオロイドたちに割り振られた記号にすぎない。ウリエル、ガブリエル、ラファエル、アサエル、タミエル、サリエル、タブリス、ナナエル、ラミエル……

 古い一体が処分されたら、新しい一体にその名が回される。愛着のある名ではないが、この人の唇に発音されると、とても美しく聞こえるから不思議だ。

「きみ、川原から、あたしを尾けてきたわね」

「あ、はい。ごめんなさい」

 身が縮んでしまう。この人には、素人の尾行なんて丸見えなのだろう。どうやって言い訳すればいいのか、わからない。

「とても、とても素晴らしい投げ技だったので……きっと、何年も修行なさったんでしょうね」

 するとリリーさんは、何かに打ちのめされたような顔をした。ぼくが何か、悪いことを言っただろうか。誉めたつもりだったのに。

「あの、失礼なことをしたとは、わかっています。知らない女性の後を尾けるなんて。でも、どうしてもお願いしたいんです。貴女の時間、一時間でも二時間でもいいから、ぼくに分けてくれませんか。ぼくにとっては、それが、途方もなく大切な……」

 思い出になる、と言いたかった。最後に病院のベッドの上で、繰り返し胸に甦らせるような。

 ただ、病気の子供、と同情されるのは、違う気がした。小さくても、半人前でも、男だから。

 少なくとも、この人の前では、男でありたい。妙なものだ。さっきは、女の子の前で強がる青年たちを馬鹿にしたというのに。

「……大切な経験になる、と思いますので。リリーさんのご希望は、何でも叶えます。ぼくの貯金の範囲内で、ですが。何か、欲しいものはありませんか。宝石とか、ドレスとか? 遊園地の貸し切りとか、クルーザーに乗って花火見物とか、手配さえ間に合えば、色々できるかもしれません」

 科学技術局では、末端の研究員としての給与をもらっている。難民用の再教育施設を出た後、司法局に紹介してもらった仕事だ。贅沢などしないから、ほとんど貯金になっている。

 市民社会では、普通に暮らしている限り、費用はあまりかからないのだ。安全確保のために出費を要する辺境とは、そこが違う。ぼくの財産でも、一日だけなら、かなり豪華なデートができるだろう。

 けれどリリーさんは、何か困っているように見えた。ぼくを傷つけたくないから、うまい断りの言葉を探しているのか。

 確かに、十年後ならともかく、今の自分がこの人に相手にされるとは、自分でも思えない。それでも、ぼくには多分、あと一年か二年の自由しか残っていないから。命があっても知能が低下していては、何もできないだろう。

「それじゃ、それじゃあね……」

 ついにリリーさんは、覚悟を決めたように微笑んだ。

「車を借りて、ドライブに行かない? それで、桜の名所巡りをするの」

 ぼくが驚愕したからだろう。リリーさんは、余裕を取り戻したように宣言した。

「あたしの願いを、何でも聞いてくれるんでしょ。それじゃ、夜まで付き合ってちょうだい。あたし、今はバカンス中だから」

   ***

 一緒に脱出してきた仲間二人を失ってから、ぼくはずっと一人だった。ウリエルは一年半前、組織の追っ手に狙撃されたし、ガブリエルは八か月前、脳腫瘍で死んだから。

 そうすると、一般の職員たちは迂闊な慰めの言葉も言えなくなり、ぼくとは距離を置くようになる。精々、朝夕の挨拶をするくらい。

 同じ体質であるぼくも、遠からず同じ病で死ぬ。それは、朝になって太陽が昇るのと同じくらい確実なこと。既にもう、小さな腫瘍は幾つか手術で取り除いた。しかし、きりがない。腫瘍は次々に発生する。

 せっかく、自由の身になったはずだったのに。

 再教育を受け、市民社会の常識を覚えて、限定付きとはいえ、市民権を手に入れたのに。

 ぼくの心の半分は、熱い怒りで占められている。残りの半分は、冷ややかな絶望に浸されている。毎日、その境目をよろめき歩いている。

 いよいよとなったら、一人で黙って自殺をするか。

 それとも、細菌兵器でも撒いて、この惑星上の全人類を道連れにするか?

 その気になれば、たぶんできる。今、科学技術局の支局にいて、有機物の分析や合成の基礎実験をしているから。適当な致死性細菌かウィルスを合成して、空気中に放出すればいい。

 日常の行動を管理システムに見張られていても、それを出し抜くことは、たぶん可能だ。違法組織の監視網に比べたら、はるかにゆるい監視だから。

 実際、組織の基地を脱出する時に、ぼくたち三人でそれを実行した。

 殺人ウィルスの散布。

 サンプルは手近にあった。ぼくらがいた《ルーガル》の研究基地では、アンドロイド兵士やバイオロイドの製造の他、ウィルス兵器や細菌兵器も扱っていたから。

 人間の科学者や技術者たちは、面倒な雑用を、ぼくたちバイオロイドの助手に任せていた。基礎データの積み上げ、実験動物の世話、用済みになった実験体の始末、機材の点検や薬品の補充。

 定められた安全基準や、警備上の規則はあったけれど、長い年月のうちにそれがなし崩しになっていたから、隙はあった。ぼくたちは保管庫から盗み出したウィルスをこっそり培養し、数日かけて、基地内の居住区に撒いて回った。自分たち三人だけ、前もってワクチンを接種しておいて。

 凄まじい効果だった。

 うまくいくとは、自分たちでも信じていなかったのに。

 夜中、異変を知らせる警報が鳴り響いた。あちこちの非常隔壁が閉まり、空気の強制排気や消毒剤噴霧が行われ、狼狽する人間たちの叫びが行き交った。一人、また一人とうずくまり、吐き気や下痢に苦しみだす。

 死ぬことのないアンドロイド兵士たちが、発病した人間たちを抱いて運んだ。けれど、医療室でも、医師たちが倒れていた。医療カプセルも、すぐに足りなくなった。誰も、ウィルスの蔓延を止められなかった。症状が出た時には、もう手遅れなのだ。

 ぼくらは、何も知らないバイオロイドたちに混じって、怯え、うろたえるふりをした。やがて、人間より強健なバイオロイドたちも倒れ、身を折って苦しみだした。

 止まらない嘔吐。血便。粘膜からの出血。

 朝になった頃には、基地中が地獄絵図になっていた。半数はまだ、汚物まみれでもがき苦しんでいたが、半数は、既に動かなくなっている。息のある人間たちも、もはや、機械の兵士に命令を下せるような状態ではない。

 基地の統合管理システムは、非常事態であることを上級基地に通報し、指示を仰いだ。上級基地の幹部たちは、他組織の攻撃と思ったのだろう。基地内の空気のサンプルや、死人の細胞のサンプルを取った後、死体を溶解槽に入れ、全ての空気を抜いて徹底消毒しろと命じたらしい。

 アンドロイド兵士たちが、片端から死体を貨物車両に積み込み、処理室へ運んでいく。瀕死の者たちも、構わず車に放り込んでいく。調査隊は、既に上級基地を出て、こちらへ向かっているだろう。到着は一日後か、二日後か。

 ぼくたち三人は混乱に乗じ、廃棄処分を待っていた老朽艦に潜り込んだ。ぼくたちの技術で基地からの制御を切断できるのは、その船だけだったから。

 もちろん、船で勝手に基地から離れれば、即座に管理システムに怪しまれ、攻撃される。それは想定済みだった。母艦そのものは、追ってきた無人艦のミサイルで爆破されたが、ぼくたちは直前に小型艇で母艦を離れ、手近の小惑星に隠れていた。

 ちっぽけな小型艇でも超空間転移はできるし、贅沢を言わなければ、半年や一年、命をつなぐこともできる。そして、半年もの時間をかけて慎重に遠回りし、ついに、市民社会が存在する中央星域に逃げ込んだ……

 難民として司法局に匿ってもらった時は、これで自由になったと信じた。

 組織からの刺客さえかわせれば(誰が惨劇の犯人なのか、いつかは明らかになるはずだった。当然、追っ手は来る。だが、司法局も対策は講じる)、市民社会の片隅でひっそり、穏やかに暮らせると。

 知らなかったのだ。

 ぼくたちの遺伝子に欠陥があり、生存期間の五年が過ぎる頃には、脳腫瘍が多発するようになるとは。

 それでも、組織はぼくたちを許さなかった。市民を誘惑して刺客に仕立て、ウリエルを狙撃させた。彼は脳が吹き飛んで、即死だった。狙撃した方も逃亡しきれず、逮捕されたから、《ルーガル》の仕業と判明したのだ。

 それから司法局の警備が厳重になり、幾度か場所も移されたが、組織の側はしつこかった。逃亡者を許しておいては、他組織に対しても、内部の人員に対しても、示しがつかないからだ。ぼくも一度、街中で狙撃され、危ういところで助かった。

 そうこうするうち、ガブリエルが発病した。遺伝子治療以外に、方法がないこともわかった。

 ぼくとガブリエルは、治療法を研究させてくれと、何度も申請した。何年も研究助手として働いてきた自分たちには、その能力がある。

 しかし、申請はその都度、却下された。惑星連邦政府は、人間に対する遺伝子操作を許さない。遺伝病の治療でさえ、ほとんどの場合、薬品治療で対応する。

 正規の市民ですら、遺伝子操作による延命は許されないのだ。まして、違法に製造されたバイオロイドのために、どうして法を曲げられるだろうか。

 だからぼくらは、残りの日々を、死病と共に暮らすしかなかったのだ。辺境でなら、たぶん、治療法が買えると知りながら。

   『ブルー・ギャラクシー 天使編』3章に続く

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