恋愛SF『レディランサー アグライア編』8章-6
8章-6 ジュン
辺境で暮らす何十億もの人間たちの頂点に立つからには、デュークやダレイオス、リュクス、メリュジーヌという最高幹部たちは、人間らしい情緒など、最小限まで切り捨てているのだろうと思っていた。そうでなければ、何十万という違法組織は、統率しきれないはずだ。都合の悪い人間は洗脳したり、人工脳に取り替えて人形化したりする、とも聞いている。
でも、その中の一人が、こうしてのんびり、差し向かいであたしと話をしているのだ。あたかも、普通の女性であるかのように。
それとも、これは超越体の操る端末であって、本体は、各地で同時に無数の人形を操っているのだろうか。人間であるあたしを油断させるために、人間のふりをしてみせているだけ? いつかあたしが、その真相に到達することがあるのだろうか?
「そういうわけで、あなたが《タリス》でどんな経験をしたかも、おおよそわかっているわ」
メリュジーヌの言葉に、ぎょっとして身を引いてしまった。
まさか。
エディとの間でだけしか、口に出さなかった秘密さえも!?
「中小組織の動向は、だいたい正確に、上の組織に掴まれているものよ。そのための〝系列〟だもの。シドはアイリスに乗っ取られ、彼の組織は、以来、密かに勢力を拡大している」
うわ。本当に知っているんだ。どうしよう。
ていうか、もう、慌てても意味がない。ある意味、気楽になったと言えるかも。
「アイリスに取り込まれた者たちには、それぞれ追跡が付いているわ。今はまだ数万人規模だから、追跡できる。必要があれば、抹殺もできる。ただし、これは重要な進化の実験だから、まだしばらく、様子を見守るつもりよ。彼女たちも、拡大のペースを落としていることだしね……数が増えれば、秘密の保持も困難になると、納得したのでしょう」
そうか。もう限界だと思えば、いつでも、全てのアイリスを抹殺できる態勢でいるわけだ。アイリスたちに、それがわかっているといいのだけれど。
「あなたの相棒のエディにアイリスの細胞が入っていることも、知っているわ。いまのところ、大きな異変はないようだけれど」
あたしはしばし、言葉を失っていた。エディもまた、監視対象なのだ。最高幹部会、侮れない。さすが、数百年の間、辺境の宇宙を牛耳ってきただけのことはある。
「ドナ・カイテルの時も、ティエンの時も、アイリスが助けてくれたんでしょう?」
もう、隠すことなど何もなさそうだ。
「知ってて、見ていたわけ……?」
「グリフィンが、あなたの成長を望んでいたのでね。いずれ、あなたが彼に会うこともあるでしょう」
とりあえず、グリフィンというのは、特定の人物らしい、と思った。そして〝連合〟の中枢人物たちは、巨大な群体であるアイリスのことさえ、まだ本当の脅威とは思っていないということだ。
では、あたしが想像もできないような実験体が、もっとたくさん、あちこちで解き放たれているのかもしれない。それならば、いずれはそういう実験体の一つが、人類を滅ぼす可能性もある。
この人たちは、それを防げるつもりでいるのか。それとも、自分たちも変貌して生き延びていくから、進化を拒絶する旧人類など、どうなっても構わないのか。
市民社会は、呑気すぎる。こうして辺境から振り返って見たら、その呑気さに眩暈がするくらいだ。
市民社会は、大洋の真ん中の小島のようなもの。周囲の海には、怪物がうようよしている。島の奥にさえ、怪物の触手が伸びている。それに絡め取られ、海に引きずり込まれる者もいる。それなのに、大多数の市民は自分たちこそ〝正当な人類〟だと自惚れて、安心して野原で遊び、海岸を歩いているのだ。
メリュジーヌは、ゆったりカクテルを味わっている。
「辺境を支配するとは、そういうことよ。わたしたちは、小さな組織の内情まで調べているわ。油断はしていない。どこでどんな発明や発見があるか、把握しようとしている。有望な人材がいれば、成長を見守ったり、引き抜いたりする。それが、わたしたちの大きな仕事なのよ。それを怠れば、滅びるのはこちらなのだから」
そうか、そういうものなんだ。すると……あたしも……色々なことを、考え直す必要がある。
たとえば……〝連合〟の支配は、当分の間、このまま続く可能性が高いということだ。数百年か、あるいは数千年か。惑星連邦軍が違法組織を根絶させるなんて、まるっきり夢物語に過ぎない。
それならば、〝連合〟の外にいて無駄にあがくよりも、中に入って出世した方がいい、という考え方もありうる。それが……一般市民からは、『悪の帝国に取り込まれた』と見えるだけであっても。
かつて、母がたどった困難な道を、あたしは逆方向に動いているのだ。もしかしたら、これは、母が違法組織から逃亡した時に、決まっていた道筋なのかもしれない。
「アイリス一族は、人類の進化の、有益な分岐であるのかもしれない。もうしばらく、見守るだけの価値はある……」
そこで、白い美女はくすりと笑う。
「そう思っていて、実は、向こうに裏をかかれているだけ、なのかもしれない。その意味でも、あなたは、向こうとの橋渡し役になりうるわけよ。もしもの時は、交渉役をお願いするわ」
なるほど、それもあるのか。でも、この様子だと、アイリスたちの方が不利な気はするけどな。
『レディランサー アグライア編』8章-7に続く