恋愛SF『ブルー・ギャラクシー 天使編』10章-3
10章-3 ミカエル
「わたしが自分自身に施した不老処置も、色々な実験の蓄積がなければ、成功しなかったわ。動物実験を経て、最終的には、志願者の老人たちを被験者にしたの。余命わずかとわかって、本人たちが、もう失うものはないと覚悟を決めたから」
それは、地球時代の終わり頃の話らしい。麗香さんは富裕な老人たちを計画に引き込み、彼らに新世界へのパスポートを約束したのだ。法律の及ばない遠い宇宙への移民。無制限の人体実験。永遠の繁栄。その時点では、あくまでも可能性の話に過ぎなかったが。
「その人たちは、どうなりました?」
黒髪の美女は、歩いてきた通路を戻りながら言う。
「改変遺伝子の組み込みが成功して、若返りが始まったわ。それから、わたしが次段階の被験者になったの。ただ、彼らは航行途中の事故で死んでしまったから、長期のデータは取れなかった」
本当に事故死だったのか、それとも、この人に始末されたのか。あれこれと口出ししてくるスポンサーは、ある時点で邪魔になっていたのではないか。麗香さんは、自分が支配できる者や、目的のために役立つ者だけを一族としたのだ。
「一番長いデータが取れているのは、わたし自身ね。辺境に落ち着いてからは、新しく生まれる子供たちに、それぞれ遺伝子強化を施していったわ。失敗して死んだ子もいたけれど、多くは生き延びて、わたしの研究に役立ってくれた」
自分自身を実験台にした人には、もはや禁忌も恐怖もないのだ。あるのはただ、無限の探究心のみ。
「言っておくけれど、ミカエル、誰にでも見せる場所ではないのよ」
地上に出る階段の手前で、気味悪いほど、優しい笑みで言われた。
「これまで、ほんの数えるほどの人間しか、ここには入れていないわ」
やはりだ。
「それじゃ、リリーさんたちは……」
「ええ。リリーもヴァイオレットも、研究施設のほんの一部を見ただけです。一族内でも、ほとんどの者には用のない場所だから」
ぼくは改めて、身を引き締めた。
「わかっています……余計なことは、一切しゃべりません」
特に、冷凍された何十体もの胎児の存在は、リリーさんには言わない方がいい。無駄に、優しい心を痛めるだけだ。
リリーさんのような『完璧な強化体』が誕生するまで、どれだけの命が闇に葬られたとしても、それをリリーさんが身に負って、苦しむことはない。既にいま、人々のために、進んで苦労を負っているのだから。
ぼくもまた、沢山の実験の果てに製造された命の一つだ。本当なら今頃は、跡形もなく処分されていたはず。ぼくを覚えていてくれる者も、惜しんでくれる者もいないまま。
ひんやりした地下世界を後にして、屋敷の地上部分に戻ると、ほっとして筋肉がゆるんだ。テラスから見渡す薔薇の庭園は、別世界のように穏やかだ。そよ風には、桃のような甘い香りが混じっている。
(地面の下に、あんな墓所があったなんて……)
これまでは地下を知らなかったから、二階に与えられた部屋で安眠できたのだ。今夜から、悪夢にうなされるかもしれない。もし、何か予想外の出来事あったら、ぼくもまた用済みになり、あの冷凍カプセルの群れに加えられてしまうかもしれないのだ。
ぶるっと身震いが出た。
不吉な想像は、しない方がいい。
そんなことにならないように、何でも学んで、強くなるのだ。この先、何がリリーさんの役に立つか、わからないのだから。
***
翌朝のことだった。白い薔薇の飾られた朝食のテーブルで、濃紺のワンピースを着た麗香さんが言ったのは。
「ミカエル、あなたはまだ、違法都市を知らないでしょう。勉強のために、行ってみましょうか」
その通り、ぼくは確かに辺境生まれだが、自分が創られた培養工場と、そこから移送された下級の研究基地しか知らないままだった。あとは逃亡の旅で、遺棄された古い基地に立ち寄ったくらい。
「嬉しいです。是非、見学したいです」
すると、荷物は何も要らないから、食事を終えたらすぐ出発すると言われた。急いで上着だけ取ってくると、屋敷の玄関に、アンドロイド兵士の運転する車が待っている。ぼくと麗香さんを乗せると、車は緑の中を走り出す。車が通れる道路は一本きり。薔薇色と灰色の石造りの屋敷は、すぐ緑の彼方に遠ざかる。
岩盤に穿たれた長い連絡トンネルをくぐり、小惑星の外周桟橋から船に乗せられた時は、てっきり、すぐ近くにある《ティルス》に行くのだと思っていた。それなら数時間で着くはずだし、麗香さんの一族が支配する都市なのだから、危険もそれほどないだろう。
けれど、船は途中で五、六隻の護衛艦に取り巻かれた。そしてこのまま、はるか離れた《アヴァロン》へ向かうというではないか。片道、一か月はかかる旅になる。
ぼくは不安を感じ、ゆったりラウンジに落ち着いている麗香さんに尋ねた。
「あのう、そこは、最高幹部会のお膝元ですよね?」
〝連合〟の中核を成す六大組織――その最高幹部十二名が定期的に集まり、会合を開く場所として知られている。
会合が開かれる都市は他にもあるが、六大組織の系列に連なる有力組織は全て、《アヴァロン》に拠点を置いているという。上級の組織の隙間を狙って、野心的な中小組織も活動している。つまり、辺境でも指折りの大都市。
「そんな所へ行って、危険はないのですか? 麗香さんの一族は、〝連合〟から警戒されているのでしょう?」
歴史の古い組織であるにもかかわらず、〝連合〟に参加しようとしないからだ。そういう頑固な有力組織は、他には、数えるほどしかないと聞いている。
けれど、麗香さんはいつも通り、優雅に微笑むだけだ。
「危険はあるわ、常に。だからといって引き籠もっていたら、時流に遅れて、ますます危険が増してしまうでしょう?」
そういう考えか。さすがは、リリーさんの師匠。
「ミカエル、あなたはね、なるべく多くの場所を見ておくべきなのよ。そして、辺境で生き延びる勘を養っておくの。それがいずれ、リリーの役に立つことになるわ。《アヴァロン》に着くまでにも、途中の違法都市を見せてあげます」
「わかりました。よろしくお願いします」
教えられることは、何でも吸収しよう。リリーさんのために、この人から学ぶことがたくさんある。昔の賢人が言ったように、『明日死ぬ覚悟で今日を楽しみ、永遠に生きる覚悟で学び続ける』のだ。
***
船旅の間も、毎朝の投薬は続いていた。三日に一度は、色々な検査も受けている。治療の方針についても、説明を受けていた。麗香さんはぼくの遺伝子解析を進めていて、最適な改変をシミュレーションしてくれている。
もはや、全てを任せて安心していた。ぼくなんかより、はるかに高度な知識と技能を持っている人だと納得したから。
麗香さんは、他にも色々なことを教えてくれた。各組織の力関係や、有力な幹部たちの個人情報。違法都市の成立過程や特色。船や武器に関する、最新の研究情報。
艦隊戦の戦闘シミュレーションもさせてくれた。基地攻略の基本も教えてくれた。まるで、軍の士官学校にいるようなものだ。
「あなたは理解が早いから、教えるのは楽だわ」
と言われたので、少しはほっとする。途中で麗香さんに見捨てられたら、ぼくには行き場がない。
ただし、戦闘の実技訓練はほとんどなかった。課せられたのは、装甲服を着ての行動訓練と、小型艇の操縦くらいのものだ。あとは、船内のジムで健康を保つ程度の運動をしていればいい、と言われた。
「あなたには、参謀役が務まればいいの。実際の戦闘は、他の人間に任せておけばいいのよ」
まあ、将来はともかく、今のこの細腕では、重い銃を振り回すこともできないから、それでいいのだろう。
旅の間、リリーさんとの連絡は一切とれなかった。リリーさんとヴァイオレットさんは、既に司法局の任務に就いているようなので、こちらからの連絡は邪魔になる。また、こちらの存在や行動を〝連合〟側に知られるのも困る。
かろうじて、リリーさんが使うダミー組織経由で、メッセージを届けられただけ。返答はないので、そのメッセージが、本当に届いたかどうかもわからない。
「あの子たちは、あの子たちにできることをしているわ。だからミカエル、あなたはあなたにできることをしておくのよ」
と麗香さんは言う。
「はい、わかっています」
一族の最長老がわざわざ、ぼくのためにこれだけの時間を割いてくれているのだから、文句などつけられるわけがない。
麗香さん自身は、ぼくに教える時間の他は、ぼくの治療方針を検討したり、プールで泳いだり(豪華客船並みの贅沢だ)、紅茶を飲みながら趣味の読書をしたりして、静かに過ごしていた。
毎日、落ち着いた色彩の丈長のワンピースを着て、耳には真珠のイヤリングを下げ、優雅な貴婦人というたたずまい。
時には、ぼくと一緒に厨房に立ち、ケーキの焼き方や、肉の調理法、サラダの作り方などを教えてくれる。リリーさんの好きな料理は、ぼくも作れるようになっておきたい。
わさびソースを添えたビーフステーキ、海老のにんにく炒め、ベーコンとブロッコリーとトマトのパスタ、海鮮ピラフ、豚肉の中華炒め、煮込みハンバーグ、塊肉を使ったポトフ。
ヴァイオレットさんは料理が得意だというから、ぼくも、遜色ないような腕前になりたい。あの人をライバルと思っているわけではないが……いや、思っているのかな。
少なくとも……恋敵ではある。
ヴァイオレットさんがリリーさんに対して抱いている気持ちは、単なる友情や、家族愛だけではないだろう。
違法都市で育ったヴァイオレットさんには、他に、心を寄せる相手がいなかったのだ。リリーさんがまた、そこらの男より行動的で頼もしかったわけだし。
それにしても、麗香さんは不思議な人だ。
ぼくに見えない部分で、一族に指示を下したり、部下に命令を与えたりしているのだろうけれど、忙しい様子は見えないし、船内には、灰色の皮膚をしたアンドロイド兵士とアンドロイド侍女以外、誰もいなかった。人間の部下が周囲にいなくて、用は足りるのだろうか。
麗香さんの本当の仕事ぶりは、ぼくには何もわからない。護衛として随行している他の艦内には、人間の乗員がいるのかどうかもわからない。尋ねたけれど、気にしなくていいと言われただけ。
たぶん、ぼくのような新参者には教えられないことが、たくさんあるのだろう。
(いつか、あれもこれも、わかるようになるのかな)
ぼくがもっと賢くなり、役に立つようになったら、あれこれと手伝うことができるかもしれない。早く、そういう日が来ればいい。みそっかすのままでいるのは、落ち着かないから。
***
幾つかの違法都市に立ち寄り、護衛付きで街を歩いたり、ドライブしたりした。都市ごとの運営方針の違いもわかった。都市を所有する組織によって、管理が厳しかったり、野放図で猥雑だったりする。
猥雑が悪いわけではなく、むしろ活気があって、違法都市としては望ましいのかもしれない。
そうして密度の濃い船旅をした後、ぼくたちは違法都市《アヴァロン》に到着した。多くの艦船が標識灯や信号灯を光らせながら出入りしているので、小惑星近辺の眺めは壮観である。
長い連絡トンネルを車で抜けると、巨大な回転体の内側に出た。小惑星の岩盤に守られた広大な都市空間の中に、三百万人を超す人間とバイオロイドが暮らしているという。
護衛や雑役のためのアンドロイドは、その十倍はいるはずだから、動く人影は三千万になるだろう。それでも、土地面積が広大なので、全体としては森閑として感じられる。大型ビルが連なる複数の繁華街も、遠くからは、大海に散った小島のようだ。
車で走る一G居住区は、見渡す限り、緑の丘陵地帯だった。物理的な制約があるので、山や海は作れない。森と野原、川と湖の繰り返し。
ただし、緑地のあちこちに建物が散っている。ピラミッド型のビル、ドーム型の施設、古城のような建物。それぞれが一つの町のように大きいが、敷地面積が広いから、遠目には小さな点にしか見えない。
季節は、地球本星の北半球に合わせた早春だった。風はまだ冷たく、道路脇の緑地には水仙や梅が咲いている。
そういえば、麗香さん愛用の香水は梅花香だ。甘いけれど、しんと冷たく冴えた香りは、この人の高貴な雰囲気に相応しい。リリーさんには濃厚な百合の香りが、ヴァイオレットさんには可憐な菫の香りが似合っていたように。
「ここが、一番の繁華街よ」
と案内された区域では、八十万人近い人々が暮らすという。ピンク色の砂岩風の外壁で統一された美しいビル群が特徴で、ローズシティと呼ばれるくらい、たくさんの薔薇が植えられていた。
広場、公園、大通り、ビルの屋上庭園。
あらゆる場所に白やピンク、オレンジや黄色、赤や紫、薄青の薔薇が植えられている。四季それぞれ、異なる品種の花が咲き続けるとか。
もちろん、変装なしでは上陸できないが(ぼくの顔と名前は、〝リリス〟に関わる死亡者として、広く報道されてしまった)、ワイン色のドレスを着て、ヴェール付きの帽子をかぶった麗香さんは、簡単に言う。
「ミカエル、あなたはバイオロイドとして標準的な容姿だから、わたしの小姓のふりをしていれば、誰も注目しないわ。髪の色だけ変えておけば、大丈夫よ」
確かにぼくの顔は、個性に乏しい人形顔。違法都市の市街では、少しも珍しくない小姓タイプだ。
それで、船旅の間に、髪だけを金色に染めていた。その上で、いかにも小姓らしい紺のスーツを着た。襟元には、青いビロードのリボンタイ。
リリーさんとヴァイオレットさんも整形嫌いのため、しばしば、髪だけ染め変えて行動するそうだ。女性の場合は、化粧や髪型でだいぶ印象が変わるから、それで済むのだろう。
リリーさんのあの顔が、本当の顔でよかったと思う。あの高貴な美貌が、リリーさんの性格を一番よく表していると思うから。
麗香さんとぼくは、中型の武装トレーラーに乗っていた。前後に小型の護衛車両が付いているが、お供はアンドロイド兵士の部隊だけ。
麗香さんは平然としているが、こちらはいささか不安である。何かあったら、ぼくの判断でこの人を守れるだろうか。アンドロイドというのは、適切な命令なしでは役に立たないと、リリーさんから聞いている。
もちろん、麗香さんは辺境の大ベテランだし、あちこちに私有艦隊や、一族の者たちを配置しているから、困ったことは起きないと思っているのだろうけれど。
『ブルー・ギャラクシー 天使編』10章-4に続く
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