恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』5章-2
5章-2 シヴァ
俺はリナに胸を貸したまま、彼女が泣き止むのを辛抱強く待ち、肩をさすってなだめた。
「とにかく、子供たちの居場所はわかってるんだろう。俺の故郷にいるなら、心配することはない。〝リリス〟が保護してくれる」
リナは香水の匂いがするハンカチを握りしめ、しゃくり上げながら言う。
「だけど、ひどいわ。何の権利があって、人の子供を誘拐するの。あんまりよ」
奇妙な言い分だと思った。他人を食い物にしてきた違法組織の幹部が、自分の権利だけは主張するのか。
だが、思い返せばリナ自身、子供の頃に市民社会から誘拐されてきて、違法組織に取り込まれた被害者である。生き残るためには、違法組織に適合するしかなかったのだ。俺には責められない。なるべく公平に聞こえるように言った。
「とにかく、俺にはまだ、事情がよく分かっていないんだ。説明してくれ」
子供の名前すら、いま聞いたばかりなのだから。
***
一時間ほどかけて、リナの話を聞いた。途中で泣いたり、怒ったり、俺との思い出話に飛んだりするので、話が何度も行きつ戻りつしたが。
現在、息子のアスマンは《ティルス》で研究者として暮らしていて、妹の梨莉花は彼の元へ何度も遊びに行き、行くとなかなか帰ってこないという。
「あんまりだわ。息子ばかりか、娘まで取り込んだのよ。〝リリス〟は」
しかし、それは彼らの選択だろう。アスマンも梨莉花も、違法組織より〝正義の味方〟を信頼したのだ。
豪快で野放図に見える紅泉だって、これまでの年月、楽に過ごしてきたわけではない。犠牲者を出し、戦いに疲れ、市民たちから責められ、何度も『もうやめようか』と悩んだことを、俺は知っている。
だが、結局は〝正義の味方〟に立ち戻った。
無駄な戦いなどではない。
最初は違法強化体を信用しなかった市民たちも、やがて〝リリス〟が本物であることを認めた。紅泉の粘り勝ちだ。それを支えた探春の功績でもある。今では多くの若者が〝リリス〟に憧れ、軍に入ったり、司法局員になったりしているではないか。
俺の子供たちも……まだ子供と認めるのには抵抗があるが……紅泉の影響を受けたのだろう。それは、おそらく、いいことだ。将来的に、どんな結果になるかは別として。
「最高幹部会は、まだ〝リリス〟に価値を認めている」
と俺は話した。だからこそ、二代目のグリフィンが、陰から彼女たちを守っているのだろう。どんな野郎なのか、俺は知らないままでいるのだが。
「正義の側で戦うのも、悪くはないだろう。いざとなったら、おまえが陰から守ってやればいい。俺も気を付けて見ているから」
しかし、リナの不満はそこではないらしい。
「わたしはいやよ!! 他の女が、あの子たちにあれこれ命令するなんて!!」
なんだ。つまり、嫉妬か。
「おいおい、子離れしたらどうだ」
と笑ってしまったら、怒りの矛先は俺に向いてきた。
「他人事だと思って、笑い話にしないで!! いいえ、そうよね、やっぱり他人なんだわ!! あなたは〝リリス〟やジョルファさまばかりを大事にして、わたしのことなんか、ろくに見てくれなかった!! だから、子供を作ったのに!! せっかく育てたわたしの息子まで〝リリス〟がさらっていくなんて、あんまりだわ!! このままでは、梨莉花まで取られてしまう!! 彼女たちは、何でも持っているじゃない!! どうしてわたしから、唯一の支えを取り上げるの!!」
まったく、女というやつは。どうして勝手に煮詰まって、勝手に怒るんだ。泣きたいのはこっちだ。知らないうちに、子供なんか作られて。
再び泣かれるのは覚悟の上で、俺は冷たく言った。
「ヒスはやめろ。おまえだってもう、小娘じゃないはずだろう。わかっていないなら言うが、子供はおまえの持ち物じゃない。一時的に扶養を託されただけで、本来は天からの預かり物だ」
俺がこんな偉そうなことを言うなんて、ショーティの奴が、鼻先で笑っているだろうがな。奴は知らん顔して、ハニーの足元にいるはずだ。
「アスマンはとっくに一人前なんだし、梨莉花だって、もう十三歳なら、少しは自由に行動させていい年齢だ」
ちゃんと勉強しているなら、兄の元に入り浸りになっても、問題あるまい。
「まだ早いわ。せめて十八までは、わたしの元にいるべきだわ」
だから、俺にしがみついてごねるな。まるで、別れた夫婦の再会みたいだろうが。
「二人が〝正義の味方〟に憧れるなら、仕方ない」
「だから困るのよ。わたしは違法組織の幹部なのに!!」
つい、笑いたくなってしまう。この性格で、どうやって部下たちをまとめているのだか。
まあ、背後にリザードが控えているからだろうな。不思議なことは、なぜリザードがこいつを引き立てているかだ。リナには自分を裏切る意志も能力もないから、か?
「じゃあ、正義が勝つことを祈るんだな。それなら、めでたしめでたしだろう」
「遺伝子操作も不老不死も禁じられる世界なんて、ごめんだわ!! しわくちゃのお婆さんになるなんて、絶対いや!!」
その台詞は、いかにも女らしくていい。正直で可愛いではないか。
俺だって、ハニーには、今のままの美しい姿でいてほしい。といっても、ハニーが白髪の老女になったら、それはそれで、いい風情のような気がするが。
ハニーなら、最上級の老女になることは間違いない。その時は、俺も枯れた老人になっていれば、釣り合いがいい。実際には、自分がいつまで若い姿でいられるか不明だが。
俺たちはまだ、強化体としてどれだけ生きられるか、実験中のようなものだ。俺たちを設計した最長老は、自分を進化させつつ、俺たちのことも監視しているに違いない。そして、その知見を次の世代に生かそうとしているのだろう。
「……だったら、市民社会が人為的進化を認めるように、働きかければいい。法律は、暴力なしで変えられるんだ。中央と辺境の垣根が低くなるだけで、世界はだいぶましになる」
「何よ、あなたなんか、どっちつかずのコウモリのくせに!!」
拳固で肩をばしばし叩かれては、苦笑するしかない。
「そうだな。狭間でうろうろしているだけだ。ろくでもない」
それでも、訴えを聞き、背中を撫でているうちに、リナは少しずつ落ち着きを取り戻していった。ようやく俺から身を離すと、ハンカチで顔をこすりながら、やや照れたように言う。
「わたし、あなたに会ったら、うんと冷たく振る舞うつもりだったの。こんなにいい女になったのよって、見せつけてやるつもりだった。あなたが、わたしを相手にしてくれなかったこと、後悔するように」
助かった。今の言葉、ハニーはきちんと聞いてくれただろうな。
俺としてはやはり、リナを背負わなくて済んで助かった、という気がしている。何かある都度、わあわあ泣かれ、辻褄の合わない愚痴をぶつけられたら、かなわない。
リナを好む男もいるだろうが、俺はやはりハニーのように、理知的で包容力のある女がいい。
改めて、ショーティの慧眼に感謝する気になった。よくぞハニーを選んで、他の男から取り上げた上、俺の元へ送り込んでくれたものだ。
そしてまた、ハニーが俺を認め、愛してくれるようになった。これは途方もない奇跡だ。
リナは潤んだ黒い目で俺を見上げ、何か悔しいことを認めるような様子で言う。
「なのに、あなたがあんまり変わらないから……わたしまで、つい、気持ちが過去に戻ってしまって」
「俺は変わってないか?」
つまり、進歩も老成もしていないんだな。これでも、少しはましになったつもりでいたのに。
すると、リナは照れ笑いのような顔になる。
「相変わらずハンサムで、かっこいいわ。わたしが夢中になった時のままね。いえ、やっぱり変わってる。昔だったら、こんなに気長に慰めてくれなかったわ。やっぱり、一緒にいる女性がいいのね」
う?
「あなたはその点、女性を選ぶセンスがいいわ。ジョルファさまは……やはり立派な方だった」
アマゾネス軍団を率いていたジョルファ。本名はリアンヌ。俺が夢中になって、うっかり妊娠させてしまった。普通人と強化体の間では、自然な妊娠や出産は無理だったのに。子供は結局、助からなかったと聞く。紅泉たちが救おうとしてくれたが、無理だったのだ。それでも、紅泉がリアンヌをいたわってくれたことで、俺も救われた。やはりあいつは、たいした奴だ。
「あの時のわたしでは、とても勝負にならなかった。それが、ようやく後から納得できるようになったの」
そうなのか?
「あの方があなたと引き離されたことは残念だったけれど、でも、市民社会で幸せに暮らしておいでのようだから、それはそれで良かったのよね。あなたはまた、素晴らしい女性を見付けたようだし」
俺はやや、驚いていた。リナもやはり、小娘ではなくなっているらしい。
隣室でハニーが聞いていることを推測して、心にもないお世辞を言っているわけではないだろう。
「わたし、アスマンを宝物にして、一生懸命、あなたのように育てたつもりだったの。無口で無愛想で、でも男らしくて優しい子に。あの子があなたそっくりになっていくので、とても嬉しかった。毎日、毎日、楽しかったわ。でも、やっぱりあなたとは違うのね。あなたと会ったら、それがよくわかったわ。肉体的にそっくりでも、中身は別人。それでいいのね」
リナが納得してくれたのなら、それで話は解決だ。
「だいたい、あなただったら、母親に呼び戻されて、のこのこ帰るなんて真似、するわけないものね。少なくともアスマンは、たまには会いに来てくれるから」
わかってるじゃないか。
「梨莉花だって、わたしの言うことなんか聞かないの、当たり前なんだわ。あの子、お兄ちゃんが大好きなのよ。リザードにも、言われたの。子供が思う通りに育つことなんか、期待するなって」
俺には母親はいなかったが、育ての親の最長老には、ある時期から強い反発を感じるようになった。一族の勢力圏に閉じ込められ、あれは禁止これも禁止と指図されて、窒息しそうな気がしたのだ。今になってみれば、偉大な人物だったとは思うのだが……
「子供たちには、リザードが父親代わりだったのか」
「彼は、とてもよくしてくれたわ。おかげで、安心して子育てできたの。あなたからも、お礼を言ってちょうだいね」
ますます、離婚した元夫婦みたいになってきた。ハニー、もうそろそろ助けてくれ。ショーティは引っ込んだまま、出てこないし。
そこへ、ようやくハニーが登場した。背後に、お茶のワゴンを押すアンドロイド侍女を従えて。
「ミス・リナ、わたくしのビルへようこそ。経営者のハニーと申します。こちらで、お顔を直されてはいかがですか。その間に、お茶を淹れます。蜂蜜入りのハーブティでよろしいかしら」
プラチナブロンドをゆるく結い上げたハニーの美貌と、グレイがかった紫紺のスーツが似合う落ち着いた佇まいを見て、リナは改めて対抗心を燃やしたようだ。
ハニーのことは無論、前から知っていただろう。リナも《ヴィーナス・タウン》の顧客の一人だろうからな。
近頃では、辺境でそれなりの地位にある女は、ほとんど顧客になっている。リナが主に出入りしていたのは、この《アヴァロン》の本店ではなく、支店の方だろうから、ハニーとじかに会ってはいないかもしれないが。
「ありがとう。少し時間をいただきます」
リナは背筋を伸ばして気取った声で言い、バッグを持って、いったん化粧室に消えた。ハニーは俺に悪戯な視線を向けて、
「おモテになること」
と柔らかく言う。
「勘弁してくれ。俺は無実だ」
「わかっています。あなたが彼女を弄んで捨てたなんて、思っていないわ」
「そうか」
それならいい。ハニーさえ理解してくれれば。
「でも、あなたって、立っているだけで女を引き寄せるのよ」
くすりと笑われた。
「ああ?」
「自分では自覚がないらしいけれど、強烈に男性的で魅力的だから、あなたを間近で見た女が恋に落ちるのは、仕方のないことなの。罪作りな人なのよね」
そんなことを言われたら、どんな顔をしていいのかわからない。
「俺には、おまえだけいればいいんだ」
「それも本気で言っているから、困るのよねえ」
と、くすくす笑う。とにかく、よかった。ハニーは俺を怒っていない。
リナは顔を洗って口紅を塗り直したようで、すまして戻ってきた。
「お待たせして、すみません」
いかにも出来る女のような態度で、勧められた席に腰を落ち着ける。女二人は向き合う位置に座り、俺はその横手に座った。ハニーもリナもにこやかに挨拶を交わし、穏やかに世間話をする。まるで、市民社会の付き合いのように。
ただし、リナが微笑んで、
「お幸せですわね。辺境一の男性を捕まえられて」
と言った時には、俺は内心で縮み上がってしまった。ハニーに喧嘩を売るつもりじゃないだろうな。だが、ハニーは平静に受ける。
「ええ、とても幸運だと思います。おかげさまで、楽しく暮らしていますわ。ただ、今日はびっくりしました。この人に子供がいるなんて、知りませんでしたから……」
俺はとても口を出せない。リナもゆったり微笑んで言う。
「わたしだって、知らせるつもりはありませんでした。シヴァに横取りされては大変ですから、ずっと隠していましたの」
俺が横取り? まさか。誰が欲しいものか、俺そっくりの生意気な小僧など。
娘と聞くと、ちょっと不思議な気はするが。まさか、紅泉のような、大柄で凶悪な娘ではあるまいな。
「でも、息子さんが《ティルス》にいるなら、心配はないでしょう。シヴァの故郷ですもの」
俺は絶縁したきりだが。
「貴女も幸運な方ですわ。リザードという後ろ盾を得られて、子供を育てられたのですもの」
「ええ、そうですね……これまでは、夢中で子育てしてきました。わたしはシヴァに女として選んでもらえなかったけれど、それは仕方ないことですものね。彼の子供を育てるなら手助けすると、リザードが言ってくれましたから」
くそ、リザードめ。それもまた、持ち駒を増やす戦略だ。
リナはハニーをじっと見て、隠れた欠点や弱点を探ろうとしているかのようだった。しかし、ハニーは端然として隙がない。リナはそっと息を吐く。
「本当は、聞きたかったんですの。貴女がどうやって、この人に愛されるようになったのか。でも、もう、わかったような気がします。貴女はきっと、この人を包んであげられるんですね」
ハニーはにっこりした。これまで、何千人という部下を育ててきた貫禄だ。
「この人は頑固で不器用で、その上、お人好しなので、誰かが支えてあげないといけないんです。その役を与えられて、とても嬉しいと思っています」
……そうなのか? この自分がお人好しとは……不思議な言われようだ。俺はいまだに、ハニーがどうして俺を愛してくれるのか、よくわからないでいる。たぶん、最初の男であるマックスがあまりにも冷徹だったために、相対的に、俺が良く見えているのだろう、とは思うが。
「貴女の息子さんとお嬢さんは、きっと《ティルス》で、立派に働いていくと思いますわ。わたしたちも、楽しみにしていますから」
***
リナが護衛を連れて引き上げると、俺はがっくりしてしまい、見送った地下駐車場で、ハニーに後ろから抱きついた。形としては俺が抱いているのだが、実質は、ハニーにすがっている。
「艦隊戦をする方が、ましだった……」
すると、面白がるように笑われる。
「あなたより、彼女の方がずっと怖かったと思うわ。ここはあなたの領土だし、あなたが怒るかもしれなかったんだもの」
「いや、おまえの領土だ。それに、なんで俺が怒るんだ」
「勝手に遺伝子を使われた被害者でしょ?」
「だが、みんなして、俺が鈍いのが悪いって責めただろうが!!」
「そうよ。恋をされてもわからない、あなたが鈍いの。本当に、女心の通じない人なんだから」
「そういう時は、はっきり言ってくれないと困る」
「言われたって困るでしょ。あなたは一度に、一人の女しか愛せないんだから。ジョルファという人は、本当に偉い人だったのね」
「ああ……久しぶりに、彼女のことを思い出した」
リザードの下で、有能な女たちを取りまとめていた指揮官。男優位の辺境で、女の地位を高めようとして、努力していた。きっと、紅泉と話が合ったはずだ。もし、記憶を持ったままで会えていたら。
「だからこそ、〝連合〟としては、いずれ切り捨てなければならない人材だったんだ」
ジョルファは――つまりリアンヌは――配下に女闘士を集め、男の論理を断罪し、内側から〝連合〟を変えようとしていた。それが、〝連合〟には脅威になっていたのだ。
実質は、今のハニーも同じことをしようとしているのだが。リアンヌはハニーのように穏健な態度ではなく、もっと力ずくの印象を与えていた。それが、男たちの反発を招いていたのは事実。
それで最高幹部会の連中は、〝リリス〟に追われた俺の身代わりとしてリアンヌを利用することに決め、うまく辺境から追い払ったのだ。
リアンヌが命まで取られなくて、本当によかった。俺のことを忘れても、市民社会で幸せな母になってくれたのだから、それでいい。今では孫が何人もいて、立派なお祖母さんだ。
「可哀想に。辛かったわね。だからわたしに会った時、もう誰も愛さないと決めて、ぐれていたんでしょ」
「……そんなに、ぐれてたか?」
「山賊みたいだったわよ。もう、手の付けようがないと思ったわ。あなたがまともに口をきいてくれるようになるまで、何週間かかったかしら?」
そういえば、そうだったかもしれない。グリフィン役を降ろされ、無人星系の小惑星に幽閉され、することがなくて、荒れ狂っていた。ハニーが連れてこられるまで。
「悪かった。俺も怖かったんだ」
「ええ、そうでしょ。あなたは女が怖いのよね。でも、それを認められるだけ、まだましよ」
よかった。ハニーは俺を見捨てず、愛してくれている。
ただし、ハニーは笑顔のまま、ぎゅうと俺の耳たぶをつねってきた。爪が、爪が痛い。血が出てるんじゃないか?
「それはそうと、あなた、あの人を、一時間以上も抱いて慰めていたのよ。優しすぎるわ。そんなだから、うまく利用されるのよ」
やっぱり怒ってるじゃないか。最後にハニーは、恐ろしい言葉を残して仕事に戻っていった。
「あなたが抱いて慰めてあげたから、あの人、満足して引き上げたのよ。もしかしたら、あなたの遺伝子を使って、次の子供を作るかもしれないわね。あなた、知らないうちに、一ダースくらい子供ができるわよ」
『ブルー・ギャラクシー ジュニア編』6章に続く
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