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恋愛SF『ミッドナイト・ブルー ハニー編』17章 18章 19章-1

17章 ショーティ

 マックスの好きなようにさせよ。

 それが、わたしの受けた指示だった。〝あの人〟が何を考えているのか、想像はできるが、当たっているかどうかはわからない。

 わたしはまだ、犬の感覚を捨てきれていないのだ。

 人間のことはかなり学んだが、そこから進化した超越体になると……手に負えない。

 自分自身、これからどう変貌していくのか、予測できない。

 それでも〝あの人〟が、人類社会の行く末を左右する存在であることは間違いない。わたしは彼女の有能な部下である限り、行動の自由を許される。

 この地位を失うつもりは、なかった。シヴァを守るためにも、自分自身のためにも。

 わたしには、もっと時間が必要だ。人類の未来を考える時間が。

 当面は、超越体として歩み始めたマックスが、どう変化していくか見守らなくてはならない。

 まさか、いきなり反逆は企むまいと思うが、彼もまた危険な存在だ。人間としては、天才級の頭脳の持ち主。おまけに、ハニーを奪われたことで、根深い怒りを抱いている。彼がシヴァやハニーを害するようなら、止めなくてはなるまい。

 わたしはまだ、愛する誰かを持っていたいのだ。それがなくなった時、自分の生に何の意味が残るのか、わからない。

 だが、〝あの人〟は何を狙っているのだろう? マックスが進化して、自分の便利な部下になることだけか? それとも、シヴァにぶつける刺激剤として、マックスを利用したいのか?

 かつて、茜やリアンヌを利用したように。

 〝彼女〟が紅泉こうせん探春たんしゅん、そしてシヴァを気に入っていることは、わたしにもわかる。自ら遺伝子設計し、手元で守り育てた子供たち。強い個性や信念を持つ者には、高い価値を認める人だ。

 だが、いつか、飼い続ける必要がなくなったと判断すれば、誰のことでも、あっさり始末するかもしれない。

 彼女が人類をどうしたいのか、それすらも謎だ。

 人類全体が進化して、彼女の後を追うことを望んでいるのか。あるいは、彼女を超えることを。

 それとも、彼女の考える進化の実験が済んだら、この宇宙から抹消してしまうのか。次の実験の邪魔にならないように。

 いずれは、この宇宙すら捨てて、新たな宇宙を創造したいのか。そのために、科学技術を高めていきたいのか。

 彼女がただ一人の神となりたいのか、あるいは、他にも神の仲間を欲しているのか、それによって、わたしの進路も違ってくる。

 彼女を理解するためにも、わたしはまだまだ、進化の実験を続行しなくてはならないだろう。

18章 マックス

 自分が、無数に存在する。

 同時に、多重に。

 この船にも、あの船にも、向こうの採掘基地にも、こちらの小惑星工場にも。

 船や基地は超空間通信でつながれ、毎秒、膨大な情報の交換を行っている。どこかで何か異変があれば、ただちに警告が発せられる。重要な情報は、すぐさま全体に共有される。

 この通信網の総体が、新たなマックスだ。

 違法都市にはアンドロイド兵士を配置しているから、そこからも無数の報告が上がってくる。些末な情報は下部システムで処理され、重み付けによって選別された情報が中枢へ送られる。

 まだ、発狂はしていない。

 閉所恐怖や空間恐怖に囚われてもいない。

 ようやく、超越体としての在り方に慣れてきたところだ。

 船のセンサーを通して、船体に当たる微粒子や電磁波を、小雨のように感じている。他船の存在や彼らの相互通信を、好きなレベルで検知できる。

 遠くから響いてくる潮騒のようなものだ。あらゆる強度、あらゆる波長の波が重なり合った交響曲。

 聞き取ろうとすれば、望む通信を傍受できる。〝連合〟が設置している中継ポッドにも侵入し、干渉できる。今はまだ、内容の改変まではしていないが。

 市民社会のネットワークに入り込み、市民を管理する行政のシステムにも侵入できた。民間企業にも、研究機関にも侵入できた。必要に応じて市民たちを操り、利用できるだろう。

 船内に意識を向ければ、転換炉の熱放射や、空気と水の循環を感じることができる。無数のロボットたちの位置と、仕事ぶりを確認できる。搭載している兵器の管理状況も、物資の備蓄量もわかる。普段は下部システムに任せておけば、それで問題ない。

 また、外界から心の一部を切り離して、好きな仮想空間に閉じ籠もることもできる。アラビアンナイトの王宮でも、切り立つ山脈の尾根の上でも、大洋の中の小島でも、好きな背景の中でくつろぐことができる。外界に何かあった時は、警告で即座に引き戻されるようにしておけばいい。

 まだ数は少ないが、人間そっくりの有機体アンドロイドも用意した。人間のふりをして動きたい時は、その人工脳に意識の一部を入れることもできる。

 そう、拡大は容易いとわかった。意識を担う〝担体たんたい〟は、いくらでも増やすことができる。

 難しいのは、縮小の方だ。イレーヌも、そう言っていた。

 自分の意識を広げてしまえば、それを縮めることには、強い恐怖や抵抗を伴う。

 また、拡大した自分を維持するには、膨大な手間が必要になる。だから、拡大を急ぐなと。

 ああ、心得ているとも。

 いったん人間型の端末に意識を入れたら、ぼくは――ぼくのごく一部であるにしても――そこに縛り付けられてしまう。それが破壊されたら、ぼくの一部が死ぬことになる。

 今はまだ、船より小さい入れ物に入り込むつもりはない。人間の肉体は、あまりにももろくて、はかない。

〈あなたは進歩が速いわ、マックス〉

 イレーヌとは、不定期に交信を続けている。というより、向こうがぼくを監視している。今はまだイレーヌの方が、ぼくよりはるかに大きい。どのくらい大きいのか、把握できないほど。

〈お褒めの言葉、どうもありがとう〉

〈皮肉ではないのよ。生徒の進歩は、教師の喜びだわ〉

〈ぼくも、皮肉ではないよ。きみには感謝している〉

 イレーヌは、ぼくが求めれば、助言を与えてくれる。だが、彼女が、ぼくの進む方向を決めるわけではない。新米の超越体がどう変貌し、どのように進化していくか、見守るのが彼女の役目。

 他に何体も、見守っている相手がいるらしい。いや、何十体かもしれない。ぼくが望ましくない方向に向かえば、警告して引き戻すか、それとも抹殺するか、ということになる。

 いずれはこの監視網から抜け出さなくてはならないが、当面は無理だ。イレーヌだけでも巨大な存在なのに、その背後には、もっと高度な超越体が控えている。

 イレーヌを自分の手先として使役している、本物の怪物だ。

 そいつが超越体になって、たとえば百年が経過しているとすれば、今はどれだけの能力を手にしていることか、想像もつかない。

 超越体の一日は、人類の一年、いや百年にも匹敵するだろう。

 イレーヌが全面的に従う相手なら、もはや、神と呼ぶべき存在かもしれない。

 そいつの存在は、この銀河の外にも広がっているに違いない。おそらく、あらゆる方向に探査船団を飛ばし、自分の勢力圏を広げている。ぼくだったら、きっとそうするだろうから。

 それでも、いつかは、その怪物と対峙するだろう。自分の生存、自分の自由のために。

 だが、その前にするべきことがたくさんある。自分の存在基盤を強化することと……ハニーを取り戻すこと。

 超越化しても、男であるという本質は変わらない。男としてのぼくは、愛する女を必要とする。

 そのことに、自分で安堵していた。ぼくはまだ、人間の感覚を強く残している。愛、不安、恐れ。

 もしかしたら、超越化した途端、解脱してしまって、人間世界のことに興味を失うかもしれないという危惧もあったから。

〈ハニー本人は、もうあなたを過去の存在にしているわよ〉

 イレーヌはそういう意見だが、ハニーはこいつに拉致されて、洗脳されたようなものだ。イレーヌのお気に入りである、シヴァという男を愛するようにと。

 ならば、ぼくの元で、その洗脳を解いてやればいい。とりあえず、ぼく自身がハニーの元へ行く。何らかの形で。それならば止めないと、イレーヌは言う。

〈あなたの気の済むように、やってみたら。やってみて駄目なら、納得できるでしょう〉

 やってみるとも。ハニーさえ取り戻せば、怪物に支配されたこの銀河など捨てて、はるか彼方に旅立っても構わないのだから。

 もちろん、怪物は拡大を続け、遠方の銀河にも広がるだろう。だが、時間が稼げればいい。ぼくが進化するための時間が。ぼくはもう、人間の限界に囚われないのだから。

19章-1 ハニー

 船から車で降り、違法都市《アヴァロン》の市街地に入った。

 推定人口、三百万人。わたしには、久しぶりの大都会だ。緑地に浮かぶ島の連なりのような、ピラミッド型のビル群。広い道路を流れる、たくさんの車。上空を低く飛ぶのは、都市管理のためのエアロダイン。

 繁華街には、人とアンドロイド兵士の群れが行き交う。新しい商品を宣伝する、きらびやかな店の飾り窓。ビルの壁面に流れる、広告映像。樹海を見下ろすテラスで食事をしたり、談笑したりする人の多さ。

 頭がくらくらした。こんなにたくさんの人間が、一つの天体に暮らしているなんて。どの方向を見ても、人がいる。

「わたしったら、すっかり田舎者になっているわ」

 大型トレーラー内のラウンジでそう言うと、向かいに座るシヴァは笑う。

「それなら、俺なんか原始人だ」

 押し込められていた小惑星では、ほとんど素手で、獣や魚を獲っていたものね。

「そういうの、好きよ。女は、野性的な男性に弱いの」

 わたしが笑って言うと、シヴァもまんざらでもなさそうな顔をする。他人から見れば無表情に思えるかもしれないけれど、わたしは彼の微妙な表情を、かなり見分けられるようになっていた。

 照れた顔、嬉しい顔、困った顔。

 感情をあまり表に出すまいとしているのは、たぶん、

(男は威厳を持たなくては)

 と思って育ったせいだろう。

(感情を見せたら、付け込まれる)

 とも思っていたのだろう。自分で無表情を保とうと、長く努力してきたらしい。

 それでもわたしは、眉の動きや、口許の力の入れ具合で、彼の心の動きがわかる。根底で、常にわたしを気遣い、守ろうとしてくれることも。

 人工の季節は夏で、降り注ぐ光が強かった。道路沿いの緑地や、歩道脇の花壇には、大輪のダリアや向日葵、百合やグラジオラスが乱れ咲いている。石垣に這う朝顔の群れも見える。

 車は幾つかの大型ピラミッドを通り過ぎ、一等地にそびえるセンタービルに近づいた。

 センタービルは他のビルと区別をつけるため、急角度でそびえる岩山のようなデザインになっている。びっしりと緑を配した、灰色の岩山だ。たくさんのバルコニーを飾る緑の植え込み、赤や白のつる薔薇、壁に這う蔦。

 低層階のレストランや会議室は誰でも利用できるけれど、中層から上へは、選ばれた者しか昇れない。車は進入路を下り、VIP専用の地下駐車場に入った。ここならば、シヴァが車から降りても、第三者に目撃される心配はない。

 彼は着古した革のジャケットに、膝の薄くなったズボン、暗色のサングラスという、いつもの格好だった。いったんはわたしの勧めた服を着るようになっていたのに、また逆戻りだ。たぶん、大物に会うからめかしこんでいる、とは思われたくないのだろう。

 わたしは一応、きちんとした薄紫のドレススーツを着ていた。ここで、わたしたちを待っている誰か――〝連合〟の最高幹部会の誰か――がいるらしいので。

 周囲には、警護のアンドロイド兵士を立てている。その中に混じっている大型犬は、もし目撃者がいても、普通の警備犬としか思われないだろう。

 わたしたちが乗った専用エレベーターは、低層と中層のオフィス階やホテル階を通り過ぎ、一般人を寄せ付けない特別階で停止した。マックスと暮らしていた頃は、別世界だった領域だ。

 わたしは緊張していたけれど、物馴れたシヴァとショーティがいてくれるので、怖さは薄い。

 太い尻尾を巻き上げたショーティが、呑気な様子で先に立ち、わたしとシヴァを豪華なサロンに導いた。神殿のような太い柱、たくさんの花と緑の植え込み、点在するソファ席。飲み物を出すカウンターには、制服を着たアンドロイドの召使いがいる。

 あたりを見回していると、奥の席から声がかかった。

「ご苦労さま、ショーティ」

 それは、濃紺のシックなツーピースを着た、短く整えた金髪の、すらりとした長身の美女だった。青い目に合わせた、青い宝石のイヤリング。存在するだけで、あたりを払う威厳がある。

 それからもう一人、真っ白なレースのドレスに、ふんわりカールさせたショートカットのプラチナブロンドの美女が、ソファ席から立ち上がった。こちらはまるで、甘いクリームで作った人形のよう。ただし、灰色の瞳には、冷徹な意志の光がある。

 壁際に控えているアンドロイド兵たちは、二種類の制服を着ているから、それぞれの護衛らしい。わたしにもシヴァにも、ここで暴れる予定などないけれど。

「ようこそ、ハニー。わたしはリュクス、こちらはメリュジーヌ」

 と金髪美女が落ち着いた声で言う。

 顔は公開していないけれど、名前は有名だった。六大組織から二人ずつ代表が出てきて構成する、最高幹部会の十二名のうち、ただ二人だけの女性メンバーだ。辺境はまだ、圧倒的に男の世界。

(本物かしら。影武者かしら)

 どちらにしても、稀有な出来事のはずだ。これだけの大物が、わたしなんかのために姿を現すなんて。


   『ミッドナイト・ブルー ハニー編』19章-2に続く

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