あたたかい涙
泣くときはいつも1人が多かった気がします。悲しいときも、悔しいときも、淋しいときも。
思春期になった頃から「泣く」という行為が、少し苦手でした。
心がすごく震えているはずなのに、泣いてしまうと自分の感情が、そこからコントロール出来なくなる気がして、怖かったのだと思います。
自分で自分の気持ちのバランスが取れないことが不安だったのですね。
自己肯定感は高くないはずなのに、心の底にとても負けず嫌いな面があり、悔し涙をよく流していたと思います
いつの日か幼い次女の手をひいて、長女の幼稚園バスのお迎えを待っているときがありました。
いざバスが来て長女を見送ったとき、バスの大きな窓に、ふと自分の姿が映ったのです。
化粧っ気もなく、髪も肌も乾燥し切って、着ている服もかまわず、生活に疲れ果てているような女性でした。
少し前には、每日オシャレをして仕事へ出掛け、キラキラ輝いていた自分がいたのに・・・
若いからこその無い物ねだりへの、欲が出たのかも知れません。
覚悟をして子供たちを産み育てているはずでしたが、孤軍奮闘の日々、眠れない休めない育児と家事に追われる每日は、私から心の余裕を奪いました。
そしてその時、私の涙は未来への気持ちの切り替えと共に流れていきました。
「今1番大切なこと」を再確認し、とても静かな、とても強い、決心の涙だったと記憶しています。
また初めて、人目もかまわず大声で泣いたのは、父を亡くした瞬間でした。
自分が、あんなに大声で感情を表に出すとは思いもよらず、自分の「〜ねばならない考え」の領域を、自分の感情が越えていった瞬間だったと今は思います。
そしてそんなことを繰り返しながら、還暦を過ぎた頃から、少しずつ涙の質が変化して来ました。
よく歳を重ねると涙もろくなると言いますが、それは日々実感し、度々心が揺れる涙が多くなりました。
まだ花鳥風月を達観しての涙はこぼれませんが、小さい子や、小さい動物を見て、うるうると目頭があつくなるのは、日々のこととなりました。
しかしながら人の癖は頑固なもので涙が流れるのは、自分が開放された1人の時が多いです。
「泣くこと」は私にとって、とてもハードルの高い感情表現です。
加えてHSPの人には、他の人に起きた事に対して、感情移入をすこぶる強くしてしまう傾向があります。
その結果の涙は、自分をコントロール不能にしてしまう不安を常にセットとして来ました。
「ゲラゲラ笑う」のもよいが「クスクス笑い」を長く続けるほうが好きで・・・
「わんわん泣く」よりも「自分で拭えるくらいの涙」を好む・・・
何につけても臆病ではありますが、少しずつ自分の感情も解き放し「あたたかい涙」をゆるっと感じていけたらと思います。
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