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素敵な余白

仕事がお休みにもかかわらず、今朝は早くに目が覚めました。

「今日は家事が終わったら、何をしようか」
主人は仕事なので、Gwでも「1人行動」が多い日が続きました。

何をしても良い自分の時間
何をしなくても良い、自分の時間

「楽しみなさいね」
主人の言葉に、最初はアレヤコレヤ
「出掛ける先」を決めていたけれど
「何も予定を入れない贅沢」も、それはそれで居心地は良く
忙しい→働き者→充実→大人・・・
→で本当に等しく繋がれているかな?

春の清々しい晴天の日に、理屈っぽい思考は似合わないと言うことで
今日は1日、ゆるーく家事をして
買い物をして、散歩をして
「ゆとりのある日」としました。

ただ、どんなにゆるい1日でも
ワンコと、少しばかりのベランダの花たちは
毎日のお世話が、最優先で必要となります。

娘たちが小さい頃からの、我が家のルールは
「その時、一番弱い立場を労ること」
なので、日々同居しているワンコだったり
体調の悪い家族だったり
なかなか私には、順番は巡って来なかったけれど
そうした約束事をして、過ごして来ました。

もしかしたら「昭和のお母さんアルアル」かも知れないけれど
どんな時でも「自分」を我慢してしまうクセ。
誰かのリクエストの前では
自分の「それ」はあっけなく手放してしまうクセ。

多分「平和に暮らすこと」を最優先していたのかも知れません。

でも最近は、少しずつ自分が変化していることに気づきます。

「休みなさいよ」
「楽しみなさいよ」
そんな家族の言葉は、その頃も有り難かったし、嬉しかったけれど

「家事、育児、介護」って
誰かが代わって動いてくれて、初めて休めるもの・・・と考えていたから
「声がけだけではね・・・」と、感じていた時期もありました。

だんだん年齢を重ねていって
「もしかしたら、もう自分を通しても、大差ない頃だぞ」と感じ
「使う言葉と、タイミング」それさえ間違わなければ
「自分のNOと、YES」は、伝えていけると思えました。

かといって、今の暮らしが大きく変わるという事はないのです。
そのくらい細かな単位の「生活の節々」な事だからです。

ただ細やかな選択の自由さは、案外思うより広がりを持ち
「自分が選んだ空白」は
生活の中で、こよなく私に「満ち足りる気持ち」をくれました。

自分の目の前にある事々に、感謝する心さえ忘れなければ
納得のいく選択を、細々としていっても傲慢にはならず
生活に溶け込むように
流れるように
夫婦間での「意思」も、かみ合って行くような気がします。


今日は普段にもまして、解り難い記事になってしまいました。
自分の選んだ「何もしない時間」は
「何も生み出さない時間」となっても
自分の思考は、大切にかなっているよ・・・という事でしょうか。

とりとめのない文章を書きながら、1日が過ぎて行きます。

これまで色々な事が有ったけれど
過ぎてしまえば、時薬が痛みを薄れさせてくれます。
そんな儚く、でも愛しい日々です。

そんな今までが、集約されたような感覚で
1日を過ごしていました。
今日は私の誕生日なので、産んで育ててくれた両親に感謝をする日です。
このささやかな暮らしと共に。



ギャラリーからお借りしたのは
とても素敵な「ふうちゃん」さんの作品です🎐ありがとうございました







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