優しい雨音
先日、思い立って「クロゼットに眠る服たち」を
リサイクルショップへ持って行きました
それらは、その都度「ピン!」と来て
「良い物と出会ったぞ!」と言う気持ちで購入した記憶があります
当時、とても好きだったお店の物で
生地の分量が多く、可愛らしい雰囲気があり
色合いやデザインが、とてもナチュラルに思えました
確かに家事をするには、少しシンプルさが足りません
快活に動くには、まとわり付く感じが邪魔になります
その頃は都内に住んでいて
休みには地方に遊びに行くと言う、行動パターンが多く
実際、そんな外出の時に着るつもりで購入したのでした
でも色々な事情で、暮らしのリズムは変化します
地方に遊びに行く事も無くなり
「お出掛け」と言う行動パターンが減り
思考も服も、ゆとりのある状態から離れて行きました
暮らしが変化すれば、必要とされる服も、変わって来るような気がします
加えて勤め先も変わったので、着ていけない事情も出て来ました
それでも7.8年、私はその服たちを、処分出来ずにいました
「またいつか着る日が来るかも!」と
心待ちにしていた訳ではないのですが
自分たちの暮らしの中で
確実に「ひとつの章が終わった感」を味わっていた頃なので
戻りたくは無いけれど、少し切ない懐かしさがあって、手放せずにいました
衣替えの度に、何度か処分を考えていましたが
1年前の引越しの時でさえも、処分出来ずにいました
それが何故今だったのか、あまりにも「出掛けるついで感、満載」なので
自分でも驚いています
私の中で何かが終わり、また別のシーズンが始まったのは
もっと前のはずなのに
私の感情や意識が、一粒の揺れも無く
何かに決別できるタイミングが
「今」だったのでしょうか
それは、あまりにも簡単に
あまりにも、呆気なく訪れました
そして最近の私は、敢えて以前のように
「1人の時間」に執着する事が、とても減っていました
以前の様に、人の表情や声や言葉に
執拗に振り回されない自分が、顔を出し始めました
それでも多分、気にし過ぎな部分は残っていますが
過敏に反応してしまっても
以前より早く感情を、手放している自分と時おり会えます
なのでダメージは受けても
「復活までに必要な時間」が、少なくなったのだと思います
ダメージが大きい時も「必ず手放せるはず」と
少し自分を信じる事が、出来るようになって来ました
それは年齢のせいなのか
ただ感性が鈍くなったのかは、解りませんが
少しでも執着が減り、生きやすくなるのは嬉しいと感じます
服が、今必要な人の手に渡って行くように
私の、小さくても厄介だった「引っ掛かり」が
遠い過去へ収まった事に感謝です
「人生に起きる事は、全て必然」と唱えられていても
弱虫な私は「何で自分の身に起きるのだろう」と、感じてしまい
「魂を磨くチャンス」だなんて、考えられなくて
落ち込むばかりでした
少しずつ、自分の生きる力を、自分で認められて来て
それが認められると、より何かに感謝出来るようになって来て
つまずきは有るけれど、歩いて行く方向は間違ってはいないんだな…と
遅ればせながら、少しずつ思える様になって来ました
それは余りにも突然に、自然に、やって来て
私に手放す機会をもたらして
結果、私の心を軽くしてくれました
それは、秋の長雨のせいでしょうか
しとしと降る優しい雨は、知らぬ間に
私の「要らないこだわり」までも、流してくれた気がします
寒い冬がやって来る前に
暮らし向きはシンプルに
人への想いは、心厚く・・・
小さな気づきと、豊かな感性
しなやかに毎日を生きたいと、願うばかりです
ギャラリーからお借りしたのは
素敵な「hoho」さんの作品です🍎ありがとうございました