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物に人の名前をつける欧米のカルチャーを考える

僕は日本で博士号を得た後、現在はフィンランドで生物学を研究しています。

最近の気づき、それは
ものを見分ける際、アジア圏では番号を振り、欧米圏では愛称を付ける傾向があること。

日欧問わず、生物系の研究室にはサンプルや試薬を保存するための冷蔵庫や冷凍庫が沢山あります。

日本の多くの研究室では、それぞれの冷蔵庫に通し番号が付けられています。
例) 冷蔵庫 ○○部屋-1, 冷凍庫 A など

中国人や韓国人の留学生に聞いたところ、日本と同じく彼らも出身国では数字で装置を識別しているそうです。

フィンランドで研究を始めてびっくりしたことの1つが、冷蔵庫のラベリングが英数字ではなく具体的な人名であることでした。僕の研究室の場合、実際に使われているフィンランド人の人名によって各冷蔵庫/冷凍庫が識別されています。
例) Aaro (アーロ), Jenni (イェンニ), Tommi (トンミ)など

こちらで生活をしているうちに、物に人名を付けて識別するのはどうやら研究室の冷蔵庫だけではないということに気づき始めました。今回は、そんなちょっとした気づきをシェアします。

まずは物に人名を付ける具体例を挙げてみます。そして、なぜこのような違いが生まれるのか考えます。


例①: 物に代名詞"She"を使う

英語において、物に対する代名詞は「It」が一般的です。ただ、車や船舶などの物に愛着を込めて「She」という場合があります。

以下、例文です。
A: How do you like your car?
あんたの車、どんな感じ?
B: She rides like a dream.
おれの愛車の乗り心地は最高だよ。

こういった表現のように、愛着がある物を人に見立てることは欧米圏によくあることなのでしょう。

ワールドシリーズ第一戦にて、ドジャースのフリーマンがサヨナラ満塁ホームランを放った時、実況が「SHE IS GONE!!!」と叫んでいました。スタンドに突き刺さるホームランボールも、英語圏の人の手にかかれば「SHE」。何だか感覚が違いますよね。

例②: 機械に人名を付けがち

冷蔵庫や車の他にも、機械や装置に人名を付けるパターンは割とあります。

例として適切かは分かりませんが、ワンピースという漫画でゴールドロジャーが乗っていた帆船は「オーロジャクソン号」。由来は不明ですが、何かしらの人名をもじってそう。

僕が勤務するヘルシンキ大学の図書館に設置された3Dプリンターにも人名が付けられていました。

大学の図書館にある3Dプリンター。古代ローマの偉人にあやかってSCIPIO (スキピオ)とMAXIMUS (マクシムス)と名付けられている。

例③: 自然現象にまで人名を付けがち

アメリカに到来するハリケーンには人名が付けられていますよね。2005年に発生したハリケーン・カトリーナなどが有名でしょう。

フィンランドにも、いわゆる爆弾低気圧のようなものが時たまやってきます。それらにも人名が名付けられているようなのです。

ちょうど今週、フィンランド南部を暴風雪が襲いました。この時初めて知ったのですが、北欧の嵐にも公式には人名がついているようです。今回のは「Jari (ヤリ、男性の名前)」でした。

日本では台風は通し番号で呼ばれますよね。最近アジアでも統一名が導入されましたが、人名は避けられているようです。ついこないだ発生した台風25号も、公式名は「ウサギ」。

もし「台風 和子」やら「台風 典之」みたいな感じで来られたらかなり違和感ありません??
(和子さん、典之さん、すみません…)

「自分」と「もの」のちょうどよい位置関係

なぜヨーロッパでは人名が色々なものにつけられているのか?研究室の同僚に尋ねたところ、以下のような回答が。

「愛着がわいて覚えやすいからだと思う。番号で管理する方法は、多くのアジア人が数学を得意なことを証明しているようで面白い。」

僕からしたら単純に通し番号を付けるほうが覚えやすいのですが。それと、実際の人名だと特定の誰かを指しているような気がして、なんとなく落ち着かないんですよね。

もしかすると、アジアとヨーロッパで人名 (=固有名詞) の捉え方に違いがあるのかなと思いました。

ヨーロッパ流に「もの」に人名を付ける意味合いとして、一般名詞をあえて固有名詞で"標識"することで、「自分」と「対象物としてのもの」の位置関係を明確にする働きがあるのかなと思いました。そうすることで生まれる唯一感が愛着となって感じられるのだろうと。

このような位置関係を明確にする働きは、愛着のような肯定的な感情と同時に、嫌悪感のような否定的な感情を生むこともあり得ます。アジア圏のような自己と他者をあまり区別したがらない文化圏では、ヨーロッパ流の「自分」と「対象物」の位置関係を明確にすることがかえって違和感があるのかなと感じます。また、人名を付けて可愛がる行為というのは、魂が宿るとされる物や自然現象に対する敬意を損なうような気もします。その点、数字やアルファベットといった記号であれば、「対象物」の曖昧さを保ちつつ"標識"でき都合がよいのでは。アジア圏で「もの」に人名を付ける文化があまりないのはそういった理由なのかなと思いました。

冷蔵庫の話からだいぶスケールが大きくなりました。皆さんは自己と他者をどう捉えていますか?物に人名を付けることについてどう感じますか?

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