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思考の学校オンライン入学
入学をどうしようかと散々迷っていたのですが、独学ではどうにもうまくいかないので、これは真面目に取り組むか、と入学しました。
はい、宮増侑嬉先生の「思考の学校オンライン」です。
人間力大學で当時大石洋子(現:宮増侑嬉)先生のことを知り、人間力大學の講座をきき、YouTubeを観て、公開講座も受け、先日は100円講座も受けたのですが、他人の事例を聞いたり、オンラインで繋がりながら実際にワークをすると、ひとりで勉強するのとは全然深さが違うのです。
あの「場」が何かするのでしょうか。
自分でもよくわからないのですが、これはひとりでやるより効率的だということがわかったので、入学を決めました。
で、入学式動画があったので、観ているのですが、侑嬉先生が一言。
「ひとって自分のことが一番わからないんだよね」
あう。
それは他の場面でよく知ってる。
先日太極拳の昇段審査があって、審査前に練習もしてくださったので、本部の偉い先生方に見てもらえる機会があったのです。
普段は習うことのできない偉い先生方に見てもらえてすごく勉強になったのですが、そこで普段自分が生徒さんに言っていることと同じことを注意されるのです。
人に注意しているくらいだから自分は当然出来ているつもりでいるんです。
―――――できていないんですね。
この時、「できてるもん!やっているもん!」と他者からの注意を素直に受け止められない人がいます。
こういう人は上手くなるのに時間がかかります。
この自尊心、結構厄介です。
特に私には非常に厄介な感情です。
今回の審査前の練習では、あまりにも格が上の先生方なので、反論する気も起きませんし、それどころか少しでも多く、言われたことを自分の体に落とし込むことに必死だったので、むかっとする気持ちは全く起きませんでしたが、普段の練習では時たま起こります。まぁ、私の太極拳の先生が私の実母である、ということも素直になれない要因であるのでしょうが(笑)。
ここまで書いていて、私が他者からの意見に対して受け入れられないのは、他者を見下している感情があるからなのかしら?
格上だから素直に聞くってことは聞けない相手は見下しているってこと???
―――――やばい(・・;)
生徒さんがこれやっていたら、気がつくのでしょうが、自分がやっていることには気づかないのですね〜。
あれま。
他者からの意見をどう捉えるか、というのは受け取る側が100%決めることができます。
賞賛と受け止めるのか、事実として受け止めるのか、批判として受け止めるのか、攻撃と受け止めるのか。
自分の過去からの経験から決めた勝手な思い込みが、他者からの意見を受けるときに反射的に(要するにほとんど何も考えないで)反応を起こしている、ということを忘れないようにしたいかな、と今の私は考えています。
特に母からの言葉は私を傷つける言葉、私を批判したい言葉、ダメなやつだと叱るための言葉であるという思い込みがあります。
そんなことはなくて、私を心配しているから、愛着があるから言っている言葉なんですけどね。
太極拳は中庸を大事にします。
要するに調和とバランスを大事にして、極端を避けるということです。
太極拳図は陽の中に陰の点があり、陰の中に陽の点があります。どちらかに染まり切ることはありません。陰陽が常に変動しながらバランスをとっています。
これは人の体の中でも普段から起こっています。
心の在り方が身体に現れます。
太極拳の型を直すだけではなくて、そのときに働く心の動きも見ていきたいな、と思います。
ということで、自分のことはわからないけど、他人のことは見えたりする。
他人を見ることで、自分を見ることもできる。
ということなんですね。
わーい!!
これから勉強、楽しいな〜♪