【Physical Expression Criticism】新しいアートのカタチ オル太『夜明けから夜明けまで』
上:『超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで』photo: Kenji Agata
夜明けから夜明けまで
現代美術のグループ、オル太が東京の下町で工場を会場にした展覧会を行った。オル太は、2009年に結成された井上徹、川村和秀、斉藤隆文、長谷川義朗、メグ忍者、Jang-Chの6人組の集団(アーティスト・コレクティヴ)で、2011年に岡本太郎現代芸術賞の大賞「岡本太郎賞」を受けるなど、近年、注目された存在だ。2015年2月に、恵比寿・Nadiff a/p/a/r/tのオル太の個展「ヘビの渦」の際に、ゼロ次元の加藤好弘と対談したときに出会った。
今回の作品『超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで』は、墨田区の北條工務店の工場内にインスタレーションを設置、そこで映像が上映されるもの。そのインスタレーションは、実は映像撮影のためのセット、舞台美術だった。映像は70分で、登場する、自転車を漕ぎながら語る黒丸眼鏡の中年風男性は、どうやら永井荷風を演じているらしい。というのは、語る内容が『濹東綺譚』らしき内容だからだ。そして登場する女性たち、水商売の女性と客、女装した男性たちのお風呂屋での対話など、全体に大正か昭和初期の雰囲気がある。
この工場は、京成曳舟駅と東武線の曳舟駅から10分ほど、都立墨田川高等学校の正面にある。ちなみにここは、赤線玉の井「ぬけられます」で知られる漫画家滝田ゆうの母校である。他にも三島由紀夫や土方巽を撮った写真家細江英公、作家宮部みゆきなどを輩出している。
上:東向島の展示会場。北條工務店の看板の手前 photo:Nobuo Shiga
関東大震災とアート
この作品は、大正12(1923)年の関東大震災の後から、この付近の下町を描いたものだ。工場の番地は東京都墨田区東向島3丁目で、向島、つまりかつての私娼街の玉の井があった地域なのだ。赤線玉の井といわれるが、赤線は戦後、公娼制度がGHQにより廃止されたときの風俗営業地域であり、荷風の時代は私娼の街だった。オル太は、そこでの女性との出会いを描いた『濹東綺譚』の荷風を中心に置き、さらに竹久夢二、折口信夫などの文章とともに映像を構成している。
そのためのセットをこの工場に組み込み、移動レールでセットを動かしながら撮影している。レールを円形に組むことで、回り舞台のようにセットが動き、写される登場人物の周囲で背景が変化する仕組みだ。このセットのデザインは、大正時代の前衛芸術グループ「マヴォ」でも知られる美術家、村山知義の1920年代の舞台『朝から夜中まで』のデザインを元につくられている。
『超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで』デザイン。photo: Kenji Agata
バラックとカフェー
関東大震災の後、復興のためにバラックが数多くつくられた。いまの人は、バラックという言葉も知らないかもしれないが、フランス語で小屋の意味、仮設の建造物をさす。実は、小山内薫らが有名な築地小劇場を立ち上げたのも、震災後の復興と人々の娯楽のためだった。そのため建物はバラック建築だった。その築地小劇場で、震災の翌年の大正13(1924)年、村山知義デザイン、土方与志演出、千田是也出演で、ゲオルグ・カイザー作『朝から夜中まで』が上演されたのだ。この作品は1920年、ドイツのカール・ハインツ・マルティン監督が映画にしている。『カリガリ博士』とともにドイツ表現主義映画の一つとされるが、村山の舞台装置も表現主義といえるものだ。
文・志賀信夫
続きは、Tokyo Live & Exhibitsで!→ https://tokyo-live-exhibits.com/blog024/
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