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【The Evangelist of Contemporary Art】リボーンアート・フェスティバル考―アートと被災地と復興(1)

 2017年、2019年と開催されたアートと音楽と食の祭典、ビエンナーレ形式のリボーンアート・フェスティバル(1、数字は写真の番号です。画像は本ブログに掲載 https://tokyo-live-exhibits.com/blog069/。なお、以下、リボーンと略記)は、3回目の今年、新型コロナウィルスのパンデミックの影響で、2021年と2022年の二回に分けて行われることになった。以下の文章は、その2021年夏期のレビューである。

 本展のキュレーターは窪田研二(下画像)。タイトルは、「利他と流動性」。このタイトルは、リボーンの実行委員長の小林武史の提案で、それにキュレーターの窪田が独自の解釈を施して展覧会の構想を練った。

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 その窪田氏と石巻滞在中に会食を共にする機会があった。

 私はリボーンの展評を書こうと考えていたので、その席でかなり突っ込んだ質問を投げかけた。そのなかで、FBに投稿したリボーンの現地レポートで、私がこのイベントは「町おこし型」と形容したことに窪田氏は異議を唱えた。確かに、彼の考える意味では町おこしではない。しかし、アートのみならず音楽と食を織り交ぜたフェスティバルは、それをきっかけに観光客が集まり地域の活性化に繋がるという意味では、町おこしだろう。実際、市外から多くの人々がリボーンの鑑賞に訪れているので、それが経済的効果をもたらしていることは疑いない。

 彼が「町おこし型」ではないと言ったその根拠は、東日本大震災の大惨事に基づいている。震災は、石巻とその周辺地区に甚大な被害を及ぼした。石巻は被災地になったのだ。その被災地の町おこしをリボーンが行う必然性は、そこから生まれる。それが経済的なものではなく心理的なものだとしても、石巻(3は石巻駅、4は石巻観光案内図)がリボーンの中心的な会場になっているからである(5~7は、リボーンの石巻市街地インフォーメーションの旧観慶丸商店)。

 窪田氏は、会場のある地域が震災で蒙ったマイナスをどうプラスに転ずるか、それがこのフェスティバルに問われていると、私に語った。プラスといえば、震災直後から現在まで復旧・復興の工事が行われている。それは、地域のインフラの整備であり、10年後の現在でも、旧北上川沿いを散策すれば、その光景(8、9)に出会うことができる。

 だが窪田氏によれば、リボーンというアートのイベントは、そうしたハードではないソフトの面でプラスを目指している。それは、震災直後から被災地に入って復旧の手助けをしたボランティアが描いた明るい色彩の絵画(10、11)が、被災者の沈んだ気持ちを引き立て勇気づけたように、震災のマイナスを消し去りプラスにすることである。

 上述の室内の絵画を見つけ出して公開した企画者の話を聞くと、彼がその家屋の外側に、震災直後ボランティアとして活動したアーティストに依頼し壁画(12、下画像)を描いてもらったところ、地元民の反応が上々だったという。彼の意図が、まさに地域の住民とアートの間にある「敷居」を低くすることにあったので、作品を室内から戸外の通りへと引き出す試みは成功だっただろう。少なくとも住民に作品を見てもらうことはできた。どのようなイベントであれ、観客がいなければ成立しない。そうでなければ、彼らを感動させたり元気にしたりすることも覚束ない。

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 その意味で、リボーンが地域の住民のマインド(心)にプラスに働いているかどうか。私の短い滞在では、そこまでリサーチできなかったが、数少ない地元の人に聞いたかぎりでは彼らとフェスティバルの間には少なからず見えない懸隔(どれだけの住民がリボーンの作品を観ただろうか?)があるようだ。勿論、多くの人々の協力があって実現されたフェスティバルである。とはいえ、すべての作品が十全に受け入れられたわけではないとの証言も耳にした。

 さて、プラスとマイナスのトピックでリボーンの出展作を取り上げるなら、まず日和山の頂上(13、画像下。後景の山の上)にある雨宮庸介のインスタレーションが注目されるだろう。彼の作品が設置されているのは、避難民のための救援物資が収められていた建物(14)である。

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 雨宮の作品『石巻13分』(15)が直接プラスとマイナスに触れることはない。その代わり、作品のパフォーマンス(16~31)のエンディングで復興が仄めかされる。観客の正面の窓の向こうの風景が、大津波で壊滅的打撃を受けた石巻の門脇、南浜地区(32~35)であり、現在、復興祈念公園(36~41)として蘇っている。作品の借景としてプラスの側面を際立たせているのが、この舞台装置である。

 なぜ雨宮の作品を、プラス/マイナスに関して最初に取り上げたかというと、私はこのプラスとマイナスという言葉を聞いて、フロイトが子供の糸巻き遊びを母の現前(Da)/不在(Fort)と解釈したことを想起したからである。それをラカンは、母のプラス(現前)とマイナス(不在)と言い換えている。その母を重要なモチーフとしたのが、雨宮のリボーンの展示作なのである。この作品に、彼の母親が実際に登場するわけではない。だが、そのナラーティヴの軸線にあるのはアーティストと母親の関係であり、彼はAIに学習させた母の筆跡で、手のひらに「石巻」と入れ墨(22)をする。そして、そのナラーティヴの軸線の周囲に、アクセントとしてスキゾフレニックな細部の意匠を凝らし、作品の幻想性を高めている。

 彼の母親を通じたイニシエーションで、アーティストは石巻と結びつく。そうでもしないと、自分が被災地で展示することは正当化されないとまで考えたそうだ。参加を取りやめようかと思ったことも。石巻が母と入れ墨で結びつき、そうすることで母のプラスが石巻の復興と重なるだろう。母とは、母なる自然(大地と海)だとすれば、母の不在は震災のマイナスを、母の現前は復興つまりプラスを意味する。

 このように母がいること(現前)はプラス(幸福)だが、いないこと(不在)はマイナス(不幸)である。しかし大震災は、自然の猛威の結果だったのではないか? この母の非情な力は、地域の住民を悲惨と絶望に陥れた。自然つまり母は、大震災以前にそうだったように、幸福を運んでくる優しい存在ではもはやない。その深甚な災害の痕跡は、現在でも見ることができる。地方の行政が、破壊の爪痕を震災の遺構として残すことを決定したからだ。大惨事の記憶を風化させないために。門脇、南浜地区では、石巻市立門脇小学校の一部(42、下画像)が残されることになった。隣町の女川で同趣旨の遺構として残されたのは、港の真向かいに建っていた交番だった(後述)。

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 母なる大地や海は、つねに贈り物(農産物や海産物などの豊かな資源)を与えてくれるとはかぎらない。カタストロフィ(地震、津波)をもたらすこともある。雨宮はインスタレーションのナラーティヴのエンディングで、それを観客に印象づけたかったのではないか。窓に掛かるブラインドを上げると、あの日避難民が眼下にその惨状を呆然と眺めていた門脇、南浜地区(43、44)が見渡せるのである。今、そこは復興祈念公園になっている。

その2に続く。 (文・写真:市原研太郎)

■市原研太郎他のブログ https://tokyo-live-exhibits.com/tag/%e5%b8%82%e5%8e%9f%e7%a0%94%e5%a4%aa%e9%83%8e/

市原研太郎
Kentaro Ichihara
美術評論家
1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿。著書に、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)等。
現在は、世界の現代アートの情報をウェブサイトArt-in-Action( http://kentaroichihara.com/)にて絶賛公開中。

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