母の帰国
約40年をニューヨークで生活してきた母親をつい先日、断腸の思いで日本に帰国させた。
僕自身、いつでも帰れると思っていたニューヨークの実家が無くなるのはとても悲しい。
しかし、医療費などが恐ろしく高額なアメリカで、高齢の日本人がこれ以上ニューヨークに住み続けることは経済的に無理だと判断するしかなかった。
ニューヨーク最後の日はマンハッタンで弟家族と過ごしたらしい。
母と弟のツーショットの後ろに写っているのは、日本航空の系列会社の命を受けて親父が買収の交渉を成功させたエセックス・ハウス(Essex House)というウォルドルフ=アストリアやプラザ・ホテルと並ぶニューヨークを代表する高級ホテルだ。
僕ら家族はこの交渉の為に渡米する親父に連れられて80年代のニューヨークへ移り住んだのだ。
このホテルの買収に関してはマスコミなどから多くの批判を浴び、映画化もされ、山崎豊子の「沈まぬ太陽」にも描かれ、親父も別名で悪役として登場している。
そして1985年の日本航空123便墜落事故。
親父はご遺族の方々への対応で単身、日本に帰国。
そこを境に僕ら家族の関係も空中分解していった。
1枚目の写真は帰国した日の夜、母にとって初めて食べるコンビニのうどん。
思えば母の人生もまあまあ波瀾万丈。
当時から約40年、認知症の症状も出始めた母は、まだ日本に帰国した状況がしっかり認識出来ていない時がある。
まだニューヨークにいると錯覚している時が多々ある。
いきなり環境が変わったショックによる症状なのか、自分の部屋のトイレの場所を覚えるのも難しい時があり、その姿に僕自身が少しショックを受けた。
また認知症だけでなく、精神疾患のようなものを抱えている事もわかってきた。
この先、この母親はどんなふうに日本で暮らしてゆくのだろう?
そして一度は親子の縁を切る覚悟までしたこの母親と、僕自身はどのように接して向き合っていけば良いのだろう。
老衰してゆく親と向き合っていく事は自分自身と向き合う事でもあるのだと感じている。
高齢化社会、高齢の親を抱える人達は今後更に増えるだろうし、また、人は誰でも老いて同じような状態になるのだ。
僕の発信してゆく情報が少しでも同じような悩みや迷いを抱える人達に役立つ情報になってくれたらと思う。
介護などの苦しさから、子が親を殺してしまったり、または自ら命を絶ってしまう不幸が少しでも無くなる社会になってゆく事を切に願う。
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