liu_ma

Event Organizer/Photographer/Artist /percussionist/School of Visual Art/Bicycle/杖道/剣術/空手/合気道/martial arts/Nara,Okinawa,New York,Kumamoto

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Event Organizer/Photographer/Artist /percussionist/School of Visual Art/Bicycle/杖道/剣術/空手/合気道/martial arts/Nara,Okinawa,New York,Kumamoto

マガジン

  • 写真、そしてアート。

    写真やアートについて徒然に。 今は写真関連のお仕事を頂く事が多いが 元々はアート(アートにもいろいろあるけれど)畑の人間で、今もどこかで僕にとって写真は画材でカメラはブラシ的な感覚があったりするのです。

  • 40年ぶりに帰国した母の記録

    約40年ニューヨークで暮らしていた母が高齢の為、日本に帰国した。アメリカの高額な医療費を考えると帰国させるしか選択肢がなかった。 そんな母の生活、そしてそれを見守る息子の僕や弟の生活や直面する問題の記録。

最近の記事

アート思考 その一。

自分達を取り巻く世界の景色は遠くから観るか近くから観るのか、その距離の違いや角度の違いで如何様にも変化する。 不都合で不幸に見える出来事も、見方を変えればチャンスになる。 雨の日に「あ〜ぁ、雨だ、憂鬱だなぁ。」となるだけなのは単に受身で、同じ雨の日でもその雨をどう愉しむかを考え、愉しみを創り出すのが創造力とも言える。 アート思考とはきっとそういう事でもある。 ちなみにこの写真は歩道にあるガードレール。 退屈だと感じる日常の景色も見方を変えれば驚きに満ちている。 遠

    • 帰国後、数日経った母は

      母が日本に帰国して数日が経った。 週に2、3回は少し離れた母親のところに電車で通っている。 母はサービス付き高齢者向け住宅に入居した。 最初の2、3日は急な環境の変化で若干パニック状態だったのかもしれない。 小さなトイレと風呂付きワンルームの部屋なのに、何度教えてもトイレの場所が覚えられない、部屋の電気もなかなか自分でつけられないなど、かなり痴呆が進んでいる様子の母の状態に、この先どうやって母親と向き合いながら生きていけば良いのかと正直僕自身が焦った。 自分がいる場

      • 見えないものを捉えたい。

        自分の撮った写真が飾られているのはやっぱり凄く嬉しい。 飾られているのは温度と湿度の専門企業ピーエス株式会社の福岡市吉塚にある体感型ショールーム「PS mosaic(モゼ・イク)」 こちら↓↓ https://ps-group.co.jp/psi/mosaic 熊本大学の田中智之先生(現早稲田大学教授)とその建築学科の学生たちによる産学連携プロジェクトの結果完成したショールーム。 ここは視覚的にもカッコ良く美しいだけでなく、室内気候(空気や温度など)、目では見えないデ

        • AI時代のポートレート撮影

          ポートレート撮影の間の一コマ。 AIで生成された写真と人間が撮った写真との間にハッキリとした境界線を引く必要はないんじゃないかと思う。 とはいえ、人間だから撮れる写真、人間同士だから撮れるポートレートってなんだろう?と考えたりする事が多い今日この頃。 ドとレの間にも音があり 1と2の間にも数字があるように ポーズとポーズ POSEとPOSE PAUSE とPAUSE その間に興味がある。 またはその間にある温度 もしくはエラーやノイズに 興味がある。 アナログ

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        • 写真、そしてアート。
          5本
        • 40年ぶりに帰国した母の記録
          2本

        記事

          民藝運動と写真

          ある陶芸窯元の入口に無造作に置かれていた『民藝』という小冊子の中の一冊のタイトルに目が止まった。 「民藝運動と写真」という特集号だった。 民藝運動の主唱者である柳宗悦の「美しい写真とは何か?」という文が載っていた。 一部を抜粋して載せておく。 『「美しき写真」はいい機械と上手な写真師とだけでは駄目である。ものへの理解がなければ駄目である。ものの美しさへの見方が悪ければ、写したとて、ものは死んでいる。大事なのは見方である。理解である。美への直感である。』 『自然がある

          民藝運動と写真

          自分との再会

          80年代。ニューヨークのSchool of Visual Artという美大で写真を学んでいた頃の僕の作品を母が保管してくれていたようで、今回母の40年ぶりの日本帰国に伴い持ち帰ってきてくれた。 鏡に向かってカメラを構えていたり、当時のニューヨークでウロウロと自分が撮影した写真のプリントが残っていた。 80年代のニューヨーク、マンハッタンは治安がかなり悪く、大学の課題とはいえ、日本人の若造がカメラ片手にウロウロするのには常に危険が伴い、親に買い与えてもらったカメラも盗まれ、

          自分との再会

          母の帰国

          約40年をニューヨークで生活してきた母親をつい先日、断腸の思いで日本に帰国させた。 僕自身、いつでも帰れると思っていたニューヨークの実家が無くなるのはとても悲しい。 しかし、医療費などが恐ろしく高額なアメリカで、高齢の日本人がこれ以上ニューヨークに住み続けることは経済的に無理だと判断するしかなかった。 ニューヨーク最後の日はマンハッタンで弟家族と過ごしたらしい。 母と弟のツーショットの後ろに写っているのは、日本航空の系列会社の命を受けて親父が買収の交渉を成功させたエセ

          母の帰国