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パレスチナ・アフガニスタン国籍問題と名古屋高裁判断と河野太郎氏の国会発言と・・・

 久しぶりに、プログラミングから離れた話題を書きます。


考えたきっかけ:アフガニスタンのケース

 少し前になりますが、2024年9月12日の各社報道で、「名古屋高裁が、アフガニスタン難民の子供に日本国籍を認めた」という内容がありました。(NHKの記事リンクを引用します。)

11日の決定で名古屋高等裁判所の長谷川恭弘裁判長は「タリバンは2021年9月に建国を宣言したが、日本を含めた世界のいずれの国からも正式な国家として承認されていない。子どもが生まれた当時、アフガニスタンは実質的に国家としての実体を失っていたというべきだ」として、国籍法の規定にあたると判断し、日本国籍の取得を認めました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240912/k10014580161000.html

国籍法2条には、

(出生による国籍の取得)
第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

国籍法2条

とあります。この2条1項3号の「父母がともに国籍を有しないとき」という文言をどう解釈するか? そもそもある人が「(外国の)国籍を有する」かどうかの線引きを、日本国の側としては、どう認定するのか? という問題に帰着するかと思われます。

名古屋高裁の理屈

「子どもが生まれた当時、アフガニスタンは実質的に国家としての実体を失っていたというべきだ」つまり、親になった人が過去、外国籍を持つという立場で日本に入国したとしても、日本で子供が生まれた時点で、その外国の「国家としての実体」が失われていれば、2条1項3号の「国籍を有しない」と扱うべきだということですね。

パレスチナの場合(1)

 ここから私が連想したのが昨今のパレスチナ・ガザ地区の問題です。連日のニュースを見ると、ここ最近の情勢からして「国家としての実体」はかなり怪しいことになっているのでは? ならパレスチナ人の親から日本で生まれた子供はどう扱われるのか?という疑問が沸いたわけです。
 調べてみると、かつてはパレスチナ人は「無国籍者」と扱われていたそうです。それが福田康夫政権当時の平成19年10月3日から「無国籍者」と扱わないようになったとか。

パレスチナ人の子どもの国籍等に関する質問主意書・答弁

 (1) 国籍法二条三号は、「日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき」、子どもは日本国民とする。従来、日本でパレスチナ人父母から生まれた子どもは、この規定にもとづき日本国籍を認められてきた。その数は十四人とされている。
  本年十月三日の通知により、この取扱いを変更し、このような子どもに日本国籍を認めないとした理由は何か。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a168280.htm
第168回国会 平成十九年十一月三十日提出 質問第二八〇号
パレスチナ人の子どもの国籍等に関する質問主意書提出者  保坂展人

 従来、パレスチナ人については、国籍法上、国籍を有しない者として取り扱ってきたが、パレスチナは国家として承認されていないものの、最近のパレスチナ地域における諸情勢、国家に近い形態が整備されているパレスチナ暫定自治政府(以下「パレスチナ自治政府」という。)の体制整備等の現状にかんがみると、パレスチナ人を国籍を有しない者と取り扱い、御指摘のような子に日本国籍を取得させる必要はないものと考えられることから、御指摘の通知により取扱いを変更したものである。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b168280.htm
答弁書

福田政権の当時の理屈

>「パレスチナは、国家承認していないけれども、国家に近い体制整備が進んだから、国籍を有しないと扱わないことにした」
という理屈になるかと思います。

以上から推測できること

 正式な国家承認まで行かなくても、国家に近い体制整備が進めば、外国籍があるとして扱い(福田政権答弁)、逆に、過去国家承認していても、混乱に陥って、国家としての実体が失われてしまえば無国籍として扱う(名古屋高裁)ということになるかと思います。まあ、筋は通りますね。

パレスチナの場合(2)

 そうすると、昨今の情勢にかんがみて、国家としての実体が失われているともいえる状況では、あらためてパレスチナを「無国籍扱い」に戻すのが筋ではないか? そんな風に私には思えます。

河野太郎さんの過去の国会発言

パレスチナの無国籍扱いを止めたのは平成19年10月3日。この一年余り前、平成18年6月13日に河野太郎さん(当時、法務副大臣)は衆議院法務委員会で次のように発言されています。

○河野副大臣 無国籍になりますと、国の保護が当然受けられません。我が国は、例えば両親が無国籍の場合に、日本で生まれた子供には日本の国籍を与える、そういうようなことを行っております。  ただ、今現実に問題になっておりますのは、我が国はパレスチナを国家として承認しておりません。パレスチナ人の御夫婦が日本にいらっしゃって日本で出産をされた場合に、日本側から見ると、無国籍の夫婦に産まれたお子さんということで、日本国籍を与えております。こういうケースがもう既に二けたになっております。向こう側から見れば、パレスチナ国家と日本国家の二つの国籍を持っているということになるんだと思いますが、いずれ中東紛争の中で日本国籍を持った方の邦人保護の問題ですとか、あるいはそういう方がテロ行為に加担をしたりすると日本の国家も当然のことのように巻き込まれることになりますので、こうした問題が起きないように、なるべく早く無国籍になるような状況の解消に努めてまいりたいと思っております。

https://kokkai.ndl.go.jp/txt/116405206X03020060613/178
第164回国会 衆議院 法務委員会 第30号 平成18年6月13日 178

 河野太郎さんって、裏表なくホンネで発言される方だなと思いました。
(「国家に近い体制整備」が進んでいるかどうか、というのはあくまでタテマエ上の理由付けの話で)まあ国の方向性も、ホンネのところは河野さんの発言にあるように「邦人保護の問題」「テロの問題」等の懸念から日本が「巻き込まれる」ことを避けるために「無国籍になるような状況の解消に努めてまいりたい」

 つまりは、一義的には「面倒ごとに巻き込まれないように」が大事。
 そのためには、
・国家承認していないけど、日本側では生まれた子供のパレスチナ人両親を無国籍扱いしないことにして、結果として国籍法2条1項3号の出生による日本国籍取得を防止し、日本とは切り離す・・・というのがホンネなのでしょう。

 そのホンネに沿って考えるなら、「国家に近い体制整備」が後退し、現地が混乱し、保護の必要性、や、テロのリスク、が増せば増すほど、出生による日本国籍取得は「阻止」しなければならないことになってしまう。
 つまり、河野太郎さんの理屈(国のホンネ)、と、福田内閣答弁書・名古屋高裁判断(国のタテマエ)は、方向性が逆ということになりますね。

河野太郎さん自身の矛盾?

 そんなときに、河野太郎さんが、二重国籍容認論の立場だという話を聞いて「おや?」ととても意外に思ったのです。
 ご本人のサイトで次のような記述を見つけました。

6 二重国籍を推進しているのは本当ですか?
日本人と外国人の両親を持つ子供の多くは、出生時に国籍を2つ持つことになりますが、現行法では22才までに国籍を選択しなければなりません。こういう場合は、二重国籍をそのまま保持し続けられるように国籍法を改正するべきだと訴えてきました。なお、当該の者が議員をはじめ、公職に就く場合には、外国籍を離脱してもらうことを条件にしています。
SNS上で拡散されている動画には、なんでもかんでも二重国籍を認めるような発言に切り取られているものがありますので、お気をつけください。

https://www.taro.org/2024/04/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BD%86%EF%BD%81%EF%BD%91.php
 衆議院議員 河野太郎公式サイト  河野太郎に関するFAQ

 「『推進』と言うと語弊があるよ」ということをおっしゃっているのだろうと思いますが、少なくとも「容認」ではあるようです。
 ですが、これだと、
>「こうした問題が起きないように、なるべく早く無国籍になるような状況の解消に努めてまいりたい
 と説明して、強引な解釈変更で、日本国とのつながりを断とうとしていた方向性と、どうつじつまを合わせるのだろう?という点に疑問が生じてきます。
 両親ともパレスチナ人・・というケースで、できるだけ「日本と切り離そう」と「努めて」こられた河野太郎さんのような考えの延長上では、たとえば仮に、片親がパレスチナ人、片親が日本国民の子供については、
・「日本から切り離そう」と考えるのか?
・「日本籍をそのまま保持し続けられるように」と考えるのか?
どちらなのでしょう。

 あるいは、パレスチナという「個別事案」から離れて、もっと「一般論」で考えた時、河野さんはどちらを向くのか?
 日本が面倒ごとに巻き込まれないように「日本と切り離そう」とする根本的な発想が見え隠れする以上、二重国籍容認を求める皆さんがあまり河野太郎さんに期待しすぎるのもどうなのかな? と思えてきてしまうところです。

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