パレスチナ・アフガニスタン国籍問題と名古屋高裁判断と河野太郎氏の国会発言と・・・
久しぶりに、プログラミングから離れた話題を書きます。
考えたきっかけ:アフガニスタンのケース
少し前になりますが、2024年9月12日の各社報道で、「名古屋高裁が、アフガニスタン難民の子供に日本国籍を認めた」という内容がありました。(NHKの記事リンクを引用します。)
国籍法2条には、
とあります。この2条1項3号の「父母がともに国籍を有しないとき」という文言をどう解釈するか? そもそもある人が「(外国の)国籍を有する」かどうかの線引きを、日本国の側としては、どう認定するのか? という問題に帰着するかと思われます。
名古屋高裁の理屈
「子どもが生まれた当時、アフガニスタンは実質的に国家としての実体を失っていたというべきだ」つまり、親になった人が過去、外国籍を持つという立場で日本に入国したとしても、日本で子供が生まれた時点で、その外国の「国家としての実体」が失われていれば、2条1項3号の「国籍を有しない」と扱うべきだということですね。
パレスチナの場合(1)
ここから私が連想したのが昨今のパレスチナ・ガザ地区の問題です。連日のニュースを見ると、ここ最近の情勢からして「国家としての実体」はかなり怪しいことになっているのでは? ならパレスチナ人の親から日本で生まれた子供はどう扱われるのか?という疑問が沸いたわけです。
調べてみると、かつてはパレスチナ人は「無国籍者」と扱われていたそうです。それが福田康夫政権当時の平成19年10月3日から「無国籍者」と扱わないようになったとか。
パレスチナ人の子どもの国籍等に関する質問主意書・答弁
福田政権の当時の理屈
>「パレスチナは、国家承認していないけれども、国家に近い体制整備が進んだから、国籍を有しないと扱わないことにした」
という理屈になるかと思います。
以上から推測できること
正式な国家承認まで行かなくても、国家に近い体制整備が進めば、外国籍があるとして扱い(福田政権答弁)、逆に、過去国家承認していても、混乱に陥って、国家としての実体が失われてしまえば無国籍として扱う(名古屋高裁)ということになるかと思います。まあ、筋は通りますね。
パレスチナの場合(2)
そうすると、昨今の情勢にかんがみて、国家としての実体が失われているともいえる状況では、あらためてパレスチナを「無国籍扱い」に戻すのが筋ではないか? そんな風に私には思えます。
河野太郎さんの過去の国会発言
パレスチナの無国籍扱いを止めたのは平成19年10月3日。この一年余り前、平成18年6月13日に河野太郎さん(当時、法務副大臣)は衆議院法務委員会で次のように発言されています。
河野太郎さんって、裏表なくホンネで発言される方だなと思いました。
(「国家に近い体制整備」が進んでいるかどうか、というのはあくまでタテマエ上の理由付けの話で)まあ国の方向性も、ホンネのところは河野さんの発言にあるように「邦人保護の問題」「テロの問題」等の懸念から日本が「巻き込まれる」ことを避けるために「無国籍になるような状況の解消に努めてまいりたい」
つまりは、一義的には「面倒ごとに巻き込まれないように」が大事。
そのためには、
・国家承認していないけど、日本側では生まれた子供のパレスチナ人両親を無国籍扱いしないことにして、結果として国籍法2条1項3号の出生による日本国籍取得を防止し、日本とは切り離す・・・というのがホンネなのでしょう。
そのホンネに沿って考えるなら、「国家に近い体制整備」が後退し、現地が混乱し、保護の必要性、や、テロのリスク、が増せば増すほど、出生による日本国籍取得は「阻止」しなければならないことになってしまう。
つまり、河野太郎さんの理屈(国のホンネ)、と、福田内閣答弁書・名古屋高裁判断(国のタテマエ)は、方向性が逆ということになりますね。
河野太郎さん自身の矛盾?
そんなときに、河野太郎さんが、二重国籍容認論の立場だという話を聞いて「おや?」ととても意外に思ったのです。
ご本人のサイトで次のような記述を見つけました。
「『推進』と言うと語弊があるよ」ということをおっしゃっているのだろうと思いますが、少なくとも「容認」ではあるようです。
ですが、これだと、
>「こうした問題が起きないように、なるべく早く無国籍になるような状況の解消に努めてまいりたい」
と説明して、強引な解釈変更で、日本国とのつながりを断とうとしていた方向性と、どうつじつまを合わせるのだろう?という点に疑問が生じてきます。
両親ともパレスチナ人・・というケースで、できるだけ「日本と切り離そう」と「努めて」こられた河野太郎さんのような考えの延長上では、たとえば仮に、片親がパレスチナ人、片親が日本国民の子供については、
・「日本から切り離そう」と考えるのか?
・「日本籍をそのまま保持し続けられるように」と考えるのか?
どちらなのでしょう。
あるいは、パレスチナという「個別事案」から離れて、もっと「一般論」で考えた時、河野さんはどちらを向くのか?
日本が面倒ごとに巻き込まれないように「日本と切り離そう」とする根本的な発想が見え隠れする以上、二重国籍容認を求める皆さんがあまり河野太郎さんに期待しすぎるのもどうなのかな? と思えてきてしまうところです。