最も身近な男性に聞いた、ジェンダーギャップがなぜ埋まらないか。
少し前のことだけれど、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長を辞任された森喜朗氏の辞任に至るまでの連日の報道。
結果的に森氏は辞任をしたものの、その後も続く女性蔑視的な発言やら騒動はおさまらず、誘致時に意気揚々と立候補したが、現代の国際化社会から大幅に外れた時代錯誤な国の恥部を全世界に何度もさらけだすことになり、情けない気持ちでいっぱいな国民は多い。(私はいまだにやるの?って思ってる)
グローバルジェンダーギャップ指数2020において153か国中121位の日本。ちなみに前年は149か国中110位なので4カ国参加が増えて順位が11位も下がっているところから見ても、意識改革の進みの遅さは他国と比較しても明らかに遅れをとっているのに、どうしてそれをすぐに改善できないんだろう。
夫婦間で女性蔑視を話すのって難しい
我が配偶者は74年生まれの博多っ子。女性は下手で男を立てる、というのが九州男児あるあるだが、そこは18歳から上京しているだけあって私に強要することはなかった。それどころか扉を開けてくれたり、椅子を引いてくれたり、いわゆる外国人の男性の所作を心得ていたところに、私が結婚にゴーサインを出した要因の一つがあったけれど、それもはるか昔のこと。根底に流れる亭主関白感。家父長制度から抜けきれない心理基盤が生活のここそこにあふれ、子育て中の共働き夫婦としてアンフェアを感じる日々。少々アグレッシブな我が家のスタイルで、改善を試みること8年。今や家事のシェアはかなり増えてきた。少しずつ当たり前に近づいていることを実感しながらも、当然の権利を主張すると「出た、フェミニスト」と一蹴する彼に対して根底の深いところで感じるギャップは、まだまだ完全に埋まりそうにない。
健康な男性だけが有利、というおかしさ
社会の構造上にある不平等さは、その間に漂う“曖昧さ”を肯定できない男性社会に問題があるんだと思う。曖昧さとははっきりと決まっていないこと、都度変容して柔軟さが求められること。例えば「職場における月経に伴うPMSや生理痛」や「子育て中、勤務時間内に発生する数々のイレギュラー」や「不自由や病気という状態のそれぞれの対応」などだろうか。あやふやな部分にあふれ、社会の助けや守りを必要とする人やものごと。
そこには「自然」も当てはまるのかもしれない。すでにあるものでありその軸に人類が成りがっているのにもかかわらず、男性が構築した社会はその曖昧さを排除して目を向けず、自分たちに都合が良いようにGDPという数字だけをガン見しその成長にむけて構造を作り上げてきた。その中で男たちは、自分たちすら苦しくなるほどにガチガチに競争を続けている。気候危機を体感し2050年までにゼロエミッションを掲げながら、本質的な改善策を実装できないのも、東日本大震災による負の遺産の収束に目星がついていないのに廃炉どころか原子力発電や石油火力発電をまだ増やそうとしていることも、そこにつながるのかもしれない。
自分たちが成し得た「成功」と自負する男性社会に、これまで排除してきた曖昧さを許容することは、自分たちの掟に反するようだ。女性性を構造に取り入れることが難しい、とする私の身近な男性の意見をいくつか取り上げてみる。
1.すでに完成している既存の仕組みを変える必要性を感じない
すでに男性優位を軸にしたシステムは完成していて、それに則って社会を動かしている。なぜ変える必要などある、とのことだ。仕組みの中でこんなに悲鳴が挙げられているのにもかかわらず。国民が暮らしやすい社会を作れないのであれば、政治家は何のために存在するのだろうか。
2 民主主義の構造は戦いである
そもそも資本を獲得するために戦い続けることを民衆は選んだ。戦いに勝つことで男たちは地位を築き、イノベーションを続けて社会を作り上げてきた。戦いによって勝ち得た構造をやすやすと女に渡すわけにいかない。
もし、女性上位の社会を試したいのであれば、女性はアマゾネス国を作るなどして現男性社会と比較してみたらいい。そこで初めて甲乙をつけることが
でき、その結果を比較してからものを申せ。
なんとも比較検証が難しい提案だが、それだけ男性はその席を譲らないということは受け取った。
3 男性は徒党を組むのがそもそも得意
寄らば大樹の陰と、男は徒党を組んで企む。だから党を作りやすい。票を集めるにあたり頭数は必須だ。男はもともとマツリゴトが得意なのだ。男性脳・女性脳があるように男性は政党を作り女性はソフトとして遺憾なく発揮すれば良い。女性がのびやかに活躍できる土壌を男性がつくる、のだそうだ。
そもそも、その男性脳・女性脳という古臭い統計学を捨てたまえ。女性が伸びやかに活躍できない状況を作ったのは誰なんだろうか。
かつて卑弥呼が存在したように社会は女性が統治していたものがいつしか男性に切り替わった。長い年月をかけて、男性性という思考の傾向が社会の基盤となってしまったんだ。そのマチズモ(マッチョな思考)は、競争が好きで、勝ち負けがはっきりしていて、とにかく前に進むことを美徳としている。戦いに敗れたものはひれ伏す、という上下関係は稚拙すぎるけれども、何よりも驚くのは、そう言うものなのだと揺るがない慢心。間違いは見つけてトラブルシュートする、新しい価値観は受け入れてアップデートしていく。そんな軽やかさが社会が歩みを進める上でより一層大切なのに。異分子を受け入れられず固執するその姿は、まるで我が国のおじいさん政治家を見るようだ。「女の入る会議は」と言う意見やその謝罪会見に「ふふふ」と薄ら笑いを浮かべる何もかも取り違えたホモソーシャル。それが日本を腐敗させ、ジェンダーギャップを広げ続ける。
曖昧さは、たくさんの人を救う
以前、深夜ラジオでコメディアンが女性蔑視と聞こえる失言をした。コロナによって生活が困窮することで女性のセックスワーカーが増える(よって店に美人が増える)という発想の侮蔑極まりない発言に対して、大衆は彼に非難を浴びせ食ってかかっていた。社会を揺るがす問題が起きたときに生活的に苦しい立場に立たされるのはマイノリティである。搾取するという立場を知ってか知らずか、社会の不平等を原因とした個人の進退を楽しむのは、無知で非常識なまさにゲスの極みだ。しかし同時にココには別の弱者の存在もある。これまで深夜ラジオは、一般の人たちが聞かないような突っ込んだ内容を届けることで、一般に属さないあるいは俗せない、ある一定の「曖昧」さのある人たちを救うメディアでもあったんだと思う。そもそも言葉のプロであるコメディアンは、必要に応じて発言を選択する。今回の失言は大変非常識ではありながら、大衆を楽しませるためのメディアで発せられた言葉ではない。深夜にひとり、馬鹿でゲスな発想がラジオから流れてくることで心が救われる人もいる。そういった人の弱さをも許容し、取りこぼさない社会をお笑い芸人という立場から支えてきた部分も大きいのではないだろうか。ポリコレ視点では完全にアウトな発言。でも、それによって救われる命があるかもしれない深夜ラジオの世界。人間とは白黒はっきりしているわけでもない、裏も表もある生き物。それを倫理の名のもとに裏があってはいけない、とすることこそ不衛生だ。「こうあるべき」の軸はひとつではなく、一人ひとりのゆらぎをしっかりと受け止めた上で機能することができる社会こそが、本当のあるべき社会なのではないか。
目の前の差別への対処法が必要
男女賃金格差・性暴力による女性の被害・選択的夫婦別姓・産後のキャリア・女性の家事負担。根深く枝葉の広いジェンダー格差。年齢差があるほど情報格差は広がりがちなところ、SNSの広がりでリテラシー格差はどんどん広がると考えるとそら恐ろしい。身近な人が無意識に差別的な発言をしたり、行為を目の当たりにして寒気を感じる、なんてことが今後もっともっと増えていくのかもしれない。実際、父親の発言からヒヤッとしたこともある。親子だから冗談混じりに訂正させることはできるけれど、75歳の社長職を勤める彼に意義申し立てる勇気のある若者はいるだろうか。彼の導く社会がホモソーシャルでないことを祈りつつ、変わらず家庭内でも女性の権利のために声を上げていきたいと思う。