【24卒就活】 7年越しの夢を叶えるまで
はじめに
2023年4月某日。就職活動を終えました。
どんな感じで就活をしていたか、どんなことを考えていたかを、私の記憶があるうちに残しておこうと思います。
とてもとても長くなりましたが、一文系学生の就活体験記として読んでもらえたらうれしい。です!
先輩の進路に度肝を抜かれた2回生の春休み
私にはひとつの目標がありました。
それは「校閲の仕事をする」こと。校閲の仕事が叶わなくとも、マスコミの会社に行くことを最低限の条件として考えていました。映像よりも、書かれた文章、言葉を伝える仕事がしたいと思い、受ける会社は出版社と新聞社に絞っていました。
マスコミ就活の難しさ・選考が始まる早さはなんとなく知っていて。万が一、マスコミ関連の会社がどこもだめだったときのことを想定して他業界を開拓できれば良かったのかもしれないと今になって思いますが、結局私は他の業界にまったく惹かれませんでした。ちょっとがんばって、印刷業界に広げたレベルです(ぜんぜん広がってない)。
その反面、狙った業界が限定されていたからこそ集中的に対策ができたのは良いところだったと思っています。業界を広げれば広げるほど、調べないといけないこと、勉強しなければならないことは物理的に増えるからです。どの利点を取るかだなあ、と思います。どんな方法にも善し悪しがあります。
だからこそ、いつでも動けるように就活のことは常にうっすら考えていた。でも考えているだけで実際の行動に移ることは無く、という感じでした。
就活に対して、より現実味を感じられるまでになったのは、2回生の春休み、3回生になる新年度を控えたころ。
所属していたサークルのひとつ上の先輩から、就職先が決まったことを教えていただけたときでした。
マスコミ就活を勝ち抜いたんだ…!
と、聞いたときは驚きました。すごい、本当にすごい。どれだけ努力されたんだろう、圧迫面接とかあったのかしら…少しだけ怖じ気づきました。来年の今ごろ、私も進路が決まるのだろうか。それだけの実力をつけられるだろうか、、、。
でもそれは、「私も追いつきたい」という思いに変わりました。「マスコミ就活をする」という決断をした瞬間でもありました。
就活初心者、夏インターンで全滅
本格的に就活を始めたのは3回生の4月末。大学のキャリアセンター主催のガイダンスを受けることから始めました。そこから1ヶ月ほどは、自己分析や企業研究のやり方など、就活の基礎の基礎を知っていく期間だったと思います。就活情報のアプリをインストールして使い始めたのもこのころだった気がします。
1ヶ月後の5月末あたりから、早くも新聞各社が夏インターンの要項を発表し始めます(早すぎ)。書類、面接などの選考を通過しないと参加が許されないハイレベルなインターン。7月初旬に締め切りが設定されていて、そこから1ヶ月の間、授業やサークル、バイトの合間を縫ってESを書きました。出版各社の夏インターンは、おそらく新聞各社がインターン実施を発表し始めた1ヶ月後、もしくは1ヶ月半後だったと思います。締め切りも、軒並み大体8月中。
ここで私は、早くもマスコミ就活の難しさを実感することになります。
インターンは、エントリーした新聞各社・出版各社(・少しだけ印刷会社)の10数社、すべて書類で落ちました。
文章を書くのはそれほど苦ではなくむしろ得意でした。また、私は大学で学生新聞を作る活動をしていました。アドバンテージはあるはず、どこかひとつくらい引っかかれば良いなあと軽い気持ちで出したのが悪かったのか、とにかく箸にも棒にもかからなかった。
ただ、良かったこともあります。落ち込まなかったわけではありませんが、そこまでのダメージは感じませんでした。インターンは通らないほうが多い、通れば万々歳と思うくらいのほうが良いという話を、4月末から5月に受けたガイダンスで聞いていたからです。それを鵜呑みにしすぎていたところもあるかもしれませんが、すごく落ち込むよりは良かったと思っています。
夏にまったくインターンに行くことができなかったわけではありません。高校生のときにひょんなことから縁があったマーケティング会社のインターン選考が通り、オンラインではありましたが2日間のインターンに参加することができました。ひとつでもインターンに行くことができたことに対するうれしさと満足感で、春と夏は過ぎていきました。
本当は何がしたい?
夏休み期間は、学生新聞を作る活動に全力を出しました。代表をしていて、とにかく忙しかった時期でした。
また、一人で舞鶴まで旅行に行ったり友人と映画を観に行ったり。色々予定を詰めすぎたからか、お盆期間中に流行病に罹って一時はどうなることかと思いましたが、そこまで就活一本で過ごすことはなく、きっとどこにでもいるような普通の大学生の夏休みを過ごしました。
もちろん、まったく就活をしていなかったわけではありません。このころ私は、就活をする中で大切にしたい「軸」を改めて考えていました。
自分は会社に就職する上で、何を重要視したいのか。自分が本当にやりたいことは何なのか。
得られた学びを広げられること。
チームで一緒にひとつのことに向かって頑張ることができるような環境。
でもいちばん譲れなかったことは、やっぱり、「校正・校閲の仕事ができる」ということでした。
当時の私は、このままマスコミだけに絞って就活をすることに対して迷いがあったときだったと思います。
でも、やっぱり私は校閲がやりたい。
誰に何を言われようと、この仕事ができる会社に行きたい。
冬は、絶対にどこかのマスコミ関連のインターンに行く。と、改めて覚悟を決め直しました。
サークルを引退、弾丸で広島へ
10月上旬、マスコミ各社が冬のインターンの概要の公表を始めました。会社によりますが、大体12月上旬に予定されているところが多かった印象です。
このときの私は、10月末にサークルを引退するに向けて後輩への引き継ぎ作業をしているときでした。
なので、ESを書き始めたのは10月末~11月上旬あたりからです。
そして、11月上旬、私はある新聞社のインターンに参加しました。選考などが無い、先着順に申し込んだ人が参加できる形式のものです。
「選考がない」というこのチャンスを逃して、また軒並みESで落とされて一社もインターンに行けないのはさすがにきつい。
そう思って、弾丸、夜行バスで広島まで行ってきました。
はじめての対面でのインターン、これがめちゃくちゃ楽しかったんです。
実際に社員さんと直接お話ができて、同じインターンに参加していた人たちとも話せて、充実した1日でした。
インターンの大切さを痛感しました。
ありきたりですが、就活がんばろうと思えた時間でした。
冬のインターンも全滅
気持ちも新たに、10弱社のESを提出しました。
その結果。
マスコミ各社のインターンはまたしても全滅に終わりました。
広島まで行って良かった…!!!!!
とどれだけ思ったことか。
でもやっぱり少しは落ち込みました。
焦りの気持ちもありました。
就活を終えてみて実感したことですが、就活にまつわる不安や焦りは、実際に手を動かして足を動かして、と「行動」しないと解消されないと思います。
うまくいかなかったらどうしよう、どこの会社にも行けなかったらどうしよう、と考えてしまうのは仕方ないことです。不可抗力だとも思います。
でも、ただ時間が過ぎていくだけで何も進展しない。
インターンに行けないからといって死ぬわけじゃない。その会社に行けなくなったわけじゃない。まだ挽回できる。
ある程度考え込んだら、切り替えることを心がけました。
12月初旬には、マスコミ・出版各社が本選考の概要を公開し始めました。
就活本番は否応なしに迫ってきている状況でした。
本選考に照準を合わせて考えることに、自分の気持ちを持っていきました。
オンラインで開催されている各社の説明会や座談会に参加し、年末までの期間は過ぎていきました。
年明け。本選考、開始。
1月から2月、怒濤の本選考ESを書く期間が始まりました。
このときは、大学のゼミのレポートを書かないといけない時期でもあり、ずっとパソコンに向かって文字を打っていたと思います。
この時期がいちばん大変だったかもしれない。
単純に忙しかった。
年明けから3月上旬あたりまでで、トータルで10数社、ESを出しました。平均よりは少ないのかもしれません。でも私にとってはこの数がこの期間での限界値でした。
他の業界のことがまったく分からないのでなんとも言えませんが、出版社や新聞社のESはとにかく設問数が多いです。数ヶ月前から準備をしておかなければならない内容のものもあります。
私は特に、出版社のESで「おすすめの漫画を3作品紹介する」という設問に苦労しました。今までにちょうど3作品しか読んだことがなかったからです(漫画を食わず嫌いしていたところがあったので、もっと読もうと思いました)。いかにたくさんのエンタメに触れているかを見て、そこで学生をふるいにかけようとしているのだと感じました。
面接が通らない
夏と冬のインターンに行けずという失敗から、本選考が始まってからはESの書き方を少し変えてみました。その結果、書類選考は通る確率が高くなりました。
しかし、ここで困ったことが起こります。
次の選考である「Webテスト」や「面接」がうまくいかない。
初対面の人と話すのは苦手ではなく、人見知りでもない。ただ、それと「面接で自分の言いたいことを伝えられる」ということはまったくの別物だと気づきました。
とある新聞社の一次面接。
初めての本選考の面接だっただけに勝手がよく分からない、しかも対面ではなくZoomでのオンライン形態。
自分にとっては話せた方だと思っていたのですが、あっけなく落ちました。
そこで気づいたこと。
書類が通らないと面接という土俵にすら立てない。それゆえに、書類の対策に時間をかけすぎて面接の対策がガバガバであるという、私の弱いところが露呈しました。これは、私にとってはWebテストでも同様に言えることでした。
書類で書いたことを、自分の言葉で言えるようにならなければ。
そう思って、自分がESで書いた内容から想定される質問事項を考え、それに対する答えを準備していきました。
きっとこういうのも、もっと前からやっておくべきことなんですよね。
私自身、やりたいことがある程度固まっていただけに、前もって対策をしておく時間は他の人よりもあったはずなのです。就活における、数ある反省点のひとつです。
就活の明暗を分けた一次面接
2月末。
ある新聞社の書類選考を通過し、東京で行われる一次面接に行くことが決まりました。
これが、私の就活の運命を大きく変えることになります。
3月中旬の面接当日までのコンディションは最悪でした。
数日前に体調を崩し、書類が通って東京まで筆記試験を受けに行く予定だった別の会社には行くことができず、体力的にも精神的にも奈落の底状態になっていました。
東京へ行く日。なんとか熱は下がったものの、腸が食べものを受けつけてくれない。
お腹が空きすぎて、空きっ腹になってしんどい。でも何かを食べると腸が痛くなって動けない。
面接は、お腹を空っぽにして挑みました。
緊張しなかったのが不幸中の幸いでした。
書類選考が通ったことのうれしさ、東京へ行けることが私の身体を支配していました。おめでたい人間です。
では、実際の面接はどうだったのか。
終わって扉を閉めた瞬間「だめだ、落ちた」「でも言いたいことは伝えられた」と思いました。
2つの相反する感情が共存していて、その上に「面接が無事に終わったことへの安堵」が乗っかっているような気持ちでした。
安堵と疲れからか、一人暮らしをしている妹の家に帰ってきてからもだいぶダウンしました。快くベッドで寝させてくれた彼女には感謝してもしきれないです。
2日後、妹とお昼ごはんを食べているとき、会社からメールが届きました。
一次面接通過、二次面接の案内に関する連絡でした。
二次面接、筆記試験、そして
3月末、二次面接を通過。
4月中旬、筆記試験(作文、時事問題、漢字問題が行われました)を通過。
4月末。
役員面接までこぎつけました。
重たい扉を開けて中へ入ると、だだっ広い部屋の中にはスーツを着た男性が4人。
その前にぽつんと、の割には存在感のある肘置き付きの椅子。
最後の戦いだ、と、最大限の戦闘態勢で目の前の面接官を見据えました。
志望動機。なぜうちの新聞社なのか。東京で働くことを親御さんはどう思っているのか。同じ新聞社での別の業種に興味は湧かなかったのか。
本当にここで働くのか。
じわじわと、崖のいちばん端まで追い込まれているような気分でした。
顔は笑っているのに、目が笑っていない。穏やかさを装っていながら、圧迫されているような空気。
負けるな、と言い聞かせました。
背筋を伸ばせ。たじろぐな。笑顔でやり返せ。伝えたいことをはっきり言え。まっすぐ、嘘偽りなく。目を逸らすな。
私はこんなにも強くなったんだ。
他のやりたいことを諦めて、これに賭けてきたんだ。
この仕事がしたくて生きてきたんだ。
20分だったか30分だったか。長いようで短い、でも長い戦いでした。
一瞬の迷い、決断
15時過ぎ、部屋を出て、荷物をまとめて会社のロビーを出ました。
駅の地下通路を歩いていると、電話がかかってきました。会社の人事部の方からでした。
「16時に、もう一度会社に戻ってきてもらえますか」
心ここにあらず、とはこういうことを言うのだと思いました。
落ち着こうと思っても身体の体温が上がって、本能的な憶測が頭の中を支配していました。ぎりぎりのところで、理性がその憶測を消し去ろうとしていました。
小さな部屋で、人事部の方から他社の選考状況を聞かれました。
2日後に別の新聞社の面接を控えていましたが、ここで内定をいただけるのであれば辞退する、と伝えました。
すると、別の少し横長の部屋に案内されました。
扉が開いて、入ってきたのは先ほどの面接でいちばん始めに質問をされた面接官の方、
人事部長の方でした。
他社の選考状況を再度、聞かれました。
同じように答えました。
一枚の紙が目の前に差し出されました。
「もし、記載内容に同意いただける場合は、下に今日の日付と名前を書いて、印鑑を押してください」。
内定承諾書でした。
一瞬、書くのを躊躇いました。不思議な感覚でした。
漸く、焦がれていた仕事ができる環境に身を置くことができる。
周りからすればきっと異常だったまでにこだわり続けた夢が、もう目の前で光っている。
でも、束の間、迷いました。
これからの人生が決まる。自分の選択意志で。
とても贅沢な瞬間だと思いました。
ゆっくり、確実に、ペンを走らせました。
自分の人生を自分で決める。当たり前のようで当たり前ではない瞬間でした。
印鑑をしまい、紙を反転させて差し出しました。
人事部長から、待ちわびていた言葉が発されました。
「ありがとうございます」と頭を下げると同時に、頭上から「おめでとうございます!」という声と拍手が降ってきました。人事部の次長のものでした。そこまで広くはない部屋に、その拍手は異様なまでに響きわたっていました。
「この書類の受理をもって、内定とします」。
今思うこと、
あれから、2ヶ月が経とうとしています。
私は、来年の春から、「校閲記者」として働くことが決まりました。
新聞記事に誤字脱字が無いか、事実関係に間違いが無いかを入稿前、印刷前に確認する、専門の仕事です。
正真正銘、私が、いちばんやりたかった仕事です。
お世話になった人に、内定先の報告をしました。とても喜んでくれました。
まだ伝えられていない人もいるので、少しずつ報告したいと思っています。
「有言実行やん、夢叶えたやん」。
小学校時代の担任の先生から、電話口でかけてもらった言葉が、うれしくてたまりませんでした。「とりあえず学校来い!!」と言われたので、家から電車で一駅のところにある、激近の母校へ行く予定です。
自分が思っている以上に、納得のいく就職先を決めることができてほっとしています。ずっとほっとしています。
なんでうまくいったんだろうと思って、思い当たることを書き出してみています。きちんとしたnoteの投稿にするつもりなので、その際には読んでくださった方の参考になってくれたらうれしいなあ、と思っています。
最後に
以上が、私の就活体験記です。
こんなに長くなるとは思っていなくて、これをどれくらいの人が読んでくださっているのか分からないのですが、
少しでも見てくださった方全員に、目次で気になるところだけをかいつまんで読んでくださった方も、最初から最後まで読んでくださった方も、
本当に本当にありがとうございます!!
何も飾っていません。脚色もありません。
一文系学生のリアルな就活を垣間見てもらえたんじゃないかと思っています。
ただ「うまくいった体験記」を書いたとて自慢かよと思われかねないのは分かっていて、だからこそ傍からは見えない、泥臭いところまで書き切ろうと思ったのが、これを書くきっかけでした。
もちろん、分からなかった部分もあったと思います。
読んでくださった方の中には、自分が求めていた情報が書かれていなかったと落胆される方もいるかもしれません。
でも、私が体験したことすべてが正解ではありません。
就活をした人の数ぶん、正解があると思っています。
それは、実際に就活をした人、その当事者にしか体験し得ないことです。
だから、ひとつのサンプルとして、参考にしていただけたらとてもうれしいです。「こういう人もいるんだ、ふーん」くらいの軽い気持ちで見てくれたら良いなあと思います。
それだけでも、私がこれを書いて良かったと思える理由になります。
改めて、
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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