読書の夏を彩ってくれた本ベスト5選【Wakanaの本キロク】
どうにか健康で今年の酷暑を乗り切ることができそうです。こんにちは、Wakanaです。
9月に入り、暦の上では秋なので、そうきっと秋なので。(無理やり)
今回は私がこの7月、8月、「読書の夏」に読んだ本の中で特に良かったと思う本を5冊、紹介します。
(最近は写真に手書きで文字を入れることにはまっています。今回のヘッダー画像も初めての試みです。どうでしょうか…?)
楽しんでいただけますように!
①高瀬隼子『いい子のあくび』
表題作『いい子のあくび』、『お供え』『末永い幸せ』の3つのお話が入っている。ここでは表題作について思ったこと、考えたことを。
「ぶつかったる。」
「スマホを見ながら歩いている人は、存在しないっていうことにした。」
帯文のこの言葉に引きつけられた。
いい子であることの割に合わなさ。
歩きながらスマホを見ている人の方が悪いはずなのに。私はただ歩いているだけなのに、その人をよけなければ私が「ぶつかりにいった」と見做されて悪とされる。そう考えると不条理だと思うけど、でも、歩きスマホをしている人に対してぶつかりに行くこと、それを敢えてするほど私たちはきっと勇気が無くて、結局は普通に歩いている私がすっと横によける。
いい子であろうとする心と、その中に巣食っている腹黒い気持ち。めっちゃ分かるなと思った。
不穏でざらっとしていて、読んでいて楽しい気持ちにはならないけれど、でもどのお話も自分にとって共感できる要素があって、読むたびに少しほっとする。でも見透かされている気持ちもあってどきりとする。共感しているうちは幸せなのに、数秒後には共感していることに対して少し怖さを覚える。相反する感情をくれる小説。
②森見登美彦『夜行』
読んだのはもう今回で3回目になるか...それくらい、複数回読むくらい面白い作品。話自体は夏の話ではないのだけど、夏になると必ず読みたくなる。
不思議な、不穏な、少しぞわりとするお話。別世界に引き込まれる文体が素敵だった。ミステリーではなく、日本の怖い話、のような感じなのだけど、ファンタジー要素もあって気持ち的に涼しくなれる!個人的に夏におすすめしたい本。
私たちの世界にはパラレルワールドがあって、という話があるけれど、たしかにそうかも、と思えた本。面白かった、また来年の夏に読もう。
③原田マハ『美しき愚かものたちのタブロー』
「美術とは、表現する者と、それを享受する者、この両者がそろって初めて『作品』になるのです。」
「『なんだかわからんが、美術館ってのは、こう・・・・・・たまらなく、わくわくするものじゃないか』
あの玄関をくぐれば、さあ見るぞと胸が躍る。じっくりと美術品に向き合ったあとは、豊かな気分で玄関から出てくる。
何も名画と対峙するからといって、襟を正してしゃっちょこばる必要はない。心を開いて向き合えば、絵の中から声が聞こえてくる気さえする。時を超えて画家と対話することだってできる。
美術館とは、そういう場所なのだ。」
「日本の若者のために、西洋絵画を見ることのできる美術館を創りたい」という松方幸次郎の思いから、彼はどのように名画を集め、そして国立西洋美術館が造られたのか。
松方幸次郎だけではない、彼を支えた人々の苦労とドラマが詰まっていた。
もちろん、史実に基づいたフィクションであるため、ある程度の脚色が施されていることは念頭に置かなければならないけれど、それでも、未来の日本社会を発展させるために「日本に美術館を」という思いのもとに奮闘した人々の息遣いが伝わってきた。
原田マハさんの作品は、小説に登場する人をリアリティをもって描くのがすごく上手だと思っている。巧みな描写で、読み手にありありとその様子を絵のように思い浮かべさせてくれる。
人物描写が本当に美しくて、思わずため息をついてぼうっとしてしまったほどだった。
来年からは国立西洋美術館に気軽に行くことができると思うと胸が高鳴った。
④僕のマリ『いかれた慕情』
装丁に惹かれて買った本。吹奏楽部に入っていた中学時代から、軽音学部で活動をした高校時代までの話が特に印象に残っている。どんなに努力をしても、もとから才能がある人にはぜったいに勝てないこと、しかも才能がある人はその才能を捨てることもできてしまうことへの驚きと悔しさ。私自身の境遇と重なるところも多かったからこそ印象的だった。
「年月や練習を重ねて順当に上手になった部員よりも、もともと素質や才能があって、熱心に練習していなくても先生を唸らせるような演奏のほうが目立った。不良グループと関わりを持ち、授業をサボり教師と衝突するような日常を送っていても、やたらにチューバが上手くて重宝されていた部員や、気まぐれですぐ練習を休むのに、でも素晴らしい音色だからと、大事な演奏会でソロを任されていたクラリネットの部員。毎日休まずに練習して真面目にやっていても、いつまでもソロやファーストの機会に恵まれない、セカンドやサードの部員。」
「努力することや高め合うことの尊さを教えるはずの学校で、でも現実はこうだった。そんな社会の成り立ちを部活で思い知った。」
「わたしには、喉から手が出るほどほしかったその才能を、簡単に捨て去ることができることに、また悔しさを感じた。悔しすぎて、その感情をそのとき誰かに表明したことはない。かっこ悪いから。その才能を生かせばきっと名声が得られ、自分の居場所を作ることができるのに、それに拘らずに生きていけるのが羨ましかった。」
僕のマリさんが書いた『常識のない喫茶店』と『描きたい生活』も読みたい、この『いかれた慕情』と同じレーベルの本たちも集めたい。
⑤辻村深月『傲慢と善良』
「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」
「値段、という言い方が悪ければ、点数と言い換えてもいいかもしれません。その人が無意識に自分はいくら、何点とつけた点数に見合う相手が来なければ、人は “ピンとこない” と言います。——私の価値はこんなに低くない。もっと高い相手でなければ、私の値段とは釣り合わない」
「ピンとくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る、皆さんご自身の自己評価額なんです」
「人を好きになるというのは、単純なことだったはずなのに、なぜ、それがこんなに難しいのだろう。ようやく好きになれた、という感情に固執しなければ、次の相手が見つかるなんて到底思えない。」
「喜びや楽しさや、そういうものが恋の本質だと人は言うのに、どうしてそれがこんなにも苦しいのだろう。心が摩耗して感じられるのだろう。」
2日で読んだ。
刺さるところが多すぎてしんどいのに読みたい気持ちが勝って、読み終えてタイトルが改めて意味が分かったことでまたぐーっと苦しくなった。
誰しも「傲慢」と「善良」が共存していて、人によってその割合は違っていて、だからこそそれぞれがそれぞれの境遇や状況に悩んで苦しむ。
そのときに大切になるのはきっと、「自分でものごとを決めること」「他の人の目を気にしすぎないこと」。そして「自分の行動に責任と覚悟をもつこと」「自分の『傲慢』も『善良』も受け入れること」。
読めて本当によかったと思う。読み返すことがあるかはわからないけれど、でも、手元に置いておきたいと強く感じた1冊。
キロク後記
読書をすることは私にとっては「一番の趣味」であり「生活の一部」だと思っているので、基本的には楽しく読んでいるのですが、最近は「テーマを決めて本を読むともっと楽しくなるのでは??」と思い始めています。
たとえば、今私の積ん読の中に時代小説がいくつかあるので「時代小説月間」としてその月は時代小説を読む、とか。
読書の秋を皮切りに始めてみようかな。始めるにしても10月からだなあ。
お読みいただきありがとうございました!☀
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