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『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳:異なる他者へのまなざし

1936年アメリカ合衆国アラスカ生まれのルシア・ベルリンの作品集(短編集)。2015年に出版され、「再発見」されるきっかけになった英語の原書『A Manual for Cleaning Women』から抜粋翻訳された本だ。

リディア・デイヴィスを訳している翻訳家の岸本佐知子氏が、デイヴィスが称賛していることからベルリンを知り、翻訳出版につながったらしい。

ベルリンは父が鉱山技師だったことからあちこちへ引っ越し、南米のチリでも育つ。3回の結婚と離婚をし、4人の子どもをシングルで育て、高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師などとして働く。子どものころ母の実家に住んでいたときに祖父から性的虐待を受け、大人になってからはアルコール依存症になる。20代から小説を書き、出版もされる。依存症を克服後は、刑務所で創作を教え、その後コロラド大学准教授として創作を教えるようになる。2004年にがんで亡くなる。

作品はすべて、自身の体験に根差し、それを「変容」させたものだという。

原文で読んだことはなく、作家についてもこの翻訳書が昨年夏に発売された後、初めて知った。

かなり悲惨な出来事も描きながら、ユーモアもあるのが魅力ということは、本書に寄せたデイヴィスの文章にも訳者のあとがきにもある。また、五感に訴える言葉の明確さや豊かさ、意外だけれど納得させられる結末についても。

私にとってのもう一つの魅力は、異なる立場や人種の人々へのまなざしや、付き合い方だ。

訳者あとがきに差別的な表現もそのまま翻訳したと書いてあるように、アメリカ先住民やメキシコ系、黒人、中国系などに対して今よりももっと差別があからさまな時代だっただろうし、アルコールやドラッグ依存症の人々や貧困に苦しむ人々への風当たりももっと強かっただろう。

ベルリンも今なら差別的、侮蔑的と取られる言葉も使っているが、その属性だけゆえにさげすんでいる様子は感じられず、むしろその筆致からはその人の中の人間性を見つめていることが感じられる。

ベルリン自身、さまざまな境遇を体験し、異なる人種や背景の人々と直接深く関わってきたことが、当然影響しているのだろう。しかし、そうした体験をした人や、悲しみや苦しみを知る人が皆そのような見方や表現の仕方を身に付けるわけではない。ベルリン自身の人間性がそこには表れているのだろう。

デイヴィスが指摘している「客観性」も魅力で、自己の体験から書きながらもその中に埋没しない「目」は、やはり作家に不可欠なのだと、改めて感じた。

どの作品もよいが、自身が刑務所で創作を教えていたときのことを基に書いたと思われる「さあ土曜日だ」は、ほかの作品と違い、自身ではなく受刑者の一人である32歳の男性の一人称であることも興味深い。

「書く」ことが「癒やし」や「生きる」ことにつながること。ベルリン自身がよく知っていたであろうそのことを、授業を受けて創作する受刑者たちも体験していく。死に彩られながら、生が息づく。悲しいが、強く美しく、泣ける作品だ。

▼原書


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