坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読んだ。

坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読んだ。本書は「自己否定をやめるための」方法と自己否定を克服するまでの坂口恭平の日記に分かれている。ハードカバーで分厚い本だ。そして、小ぶりで可愛らしい本だ。分厚い本だが、文字が大きいのと、文章がみっちりと詰まっていないので、意外とすらすら読める。ただ、日記の箇所は2段構造になっていて、文章がみっちりと詰まっている。

読んだと言っても、鬱でヘロヘロなので、ほとんど斜め読みした。また、日記の箇所は鬱々としていて、影響されるとマズいと思って、ほとんど飛ばした。

坂口恭平は鬱の時に「自己否定」がテーマになるらしい。それでこの「自己否定」を研究する。

STEP1 
どんな自己否定をしているのかを具体的に紙に書き出して確認し、
STEP2
それを一つずつ徹底的に反論する。
STEP3
さらには信頼できる人を紙の上に呼んできて反論を手伝ってもらい、
STEP4
私を罵倒してくる「誰か」を特定する。
STEP5
元気な時にも発生している「見えにくい自己否定」を発見し、
STEP6
自己否定が実は「否定」するためではなく「葛藤」するための方法だったことに気づく。

このような作業を続けることで、私たちはいよいよ自己否定が巻き起こす「葛藤」から離れようとしています。

坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』


自己否定=さびしさ、ではありません。
自己否定=葛藤です。

坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』

自己否定とは「葛藤」である、と言われている。ただ、その根源には、「さびしさ」があるらしい。

この「さびしさ」は幼年期の「さびしさ」に起因しているらしい。

こうして、私は「さびしさ」を感じると、その瞬間に「さびしさを感じている自分自身」を「否定」するようになりました。

これが「自己否定」なのです。

自己否定は「さびしさ」を感じたときに発生します。

坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』

要は、自己否定とは「葛藤」であり、その根源には「さびしさ」がある。「さびしさ」は幼年期の「さびしさ」に起因していて、「さびしさ」を感じたときに自己否定する、ということなのだろう。

それで、坂口恭平は幼年期の「さびしさ」に気づき、対話し、癒すことにより、自己否定を克服した、ということだと思う(間違ってたらごめんなさい)。

読んでいてちょっとフロイトっぽいなっと思った。確かフロイトの理論ってのは、幼少期のトラウマが抑圧されて、それが現在になって神経症として現れている、ということだったと思う(これも間違ってたらごめんなさい)。それに近いものを感じた。

というかこの本を読んで、この人はやっぱり鬱になるな、と思った。まあ鬱だから自己否定をする、というのがあるのかもしれないが、全部自分が悪い、自分の責任としているようにみえた。自己否定の原因が自身の「さびしさ」にあると、帰着しているということは、そういうことだろう。多分、人のせいにばかりしている人は、鬱にならないだろう。何となくそんな気がする。坂口恭平は「アイツのせいで俺は今こんな思いをしている」という具合になっていない。自身の「さびしさ」のせいにしている。かなり内省的だ。

坂口恭平の幼年期の「さびしさ」は母親との関わりや、母親に言われたことに起因していると思うのだが、だからといって、母親を責めていない。昨今流行りの「毒親」に落とし込んでいない。そこで感じた自身の「さびしさ」に目を向けている。そして、それを自分で癒している。なんて健気な人なんだろう!

というわけで、坂口恭平が「自己否定」について、とことん考えられた本。僕は「自己否定」があまりテーマにならないのと、鬱でヘロヘロなので斜め読みしてしまった。やっぱり坂口恭平とは、とことん「考える人」なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?