坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読んだ。
坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』を読んだ。本書は「自己否定をやめるための」方法と自己否定を克服するまでの坂口恭平の日記に分かれている。ハードカバーで分厚い本だ。そして、小ぶりで可愛らしい本だ。分厚い本だが、文字が大きいのと、文章がみっちりと詰まっていないので、意外とすらすら読める。ただ、日記の箇所は2段構造になっていて、文章がみっちりと詰まっている。
読んだと言っても、鬱でヘロヘロなので、ほとんど斜め読みした。また、日記の箇所は鬱々としていて、影響されるとマズいと思って、ほとんど飛ばした。
坂口恭平は鬱の時に「自己否定」がテーマになるらしい。それでこの「自己否定」を研究する。
自己否定とは「葛藤」である、と言われている。ただ、その根源には、「さびしさ」があるらしい。
この「さびしさ」は幼年期の「さびしさ」に起因しているらしい。
要は、自己否定とは「葛藤」であり、その根源には「さびしさ」がある。「さびしさ」は幼年期の「さびしさ」に起因していて、「さびしさ」を感じたときに自己否定する、ということなのだろう。
それで、坂口恭平は幼年期の「さびしさ」に気づき、対話し、癒すことにより、自己否定を克服した、ということだと思う(間違ってたらごめんなさい)。
読んでいてちょっとフロイトっぽいなっと思った。確かフロイトの理論ってのは、幼少期のトラウマが抑圧されて、それが現在になって神経症として現れている、ということだったと思う(これも間違ってたらごめんなさい)。それに近いものを感じた。
というかこの本を読んで、この人はやっぱり鬱になるな、と思った。まあ鬱だから自己否定をする、というのがあるのかもしれないが、全部自分が悪い、自分の責任としているようにみえた。自己否定の原因が自身の「さびしさ」にあると、帰着しているということは、そういうことだろう。多分、人のせいにばかりしている人は、鬱にならないだろう。何となくそんな気がする。坂口恭平は「アイツのせいで俺は今こんな思いをしている」という具合になっていない。自身の「さびしさ」のせいにしている。かなり内省的だ。
坂口恭平の幼年期の「さびしさ」は母親との関わりや、母親に言われたことに起因していると思うのだが、だからといって、母親を責めていない。昨今流行りの「毒親」に落とし込んでいない。そこで感じた自身の「さびしさ」に目を向けている。そして、それを自分で癒している。なんて健気な人なんだろう!
というわけで、坂口恭平が「自己否定」について、とことん考えられた本。僕は「自己否定」があまりテーマにならないのと、鬱でヘロヘロなので斜め読みしてしまった。やっぱり坂口恭平とは、とことん「考える人」なのだ。
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