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勉強をしない子にどう関わる?    子どもの主体性や力につながる関わりができる

今回はNVCの関わりを普段の子どもとの会話で取り入れた時にどんな風に違うと感じているのかについて、「勉強をしない子」を例にして書きたいと思います。



事実と解釈をわける

まず「勉強をしない子」をどう見ているでしょう?

なかなか勉強をしないぐずぐずしている子
いつも頑張らない子
勉強ができない子

勉強をしていないということに何か評価や判断をしていないでしょうか?

良い悪いと言うレッテル貼る。
評価や解釈をして、診断する。

そして問題だと考え、正そうとする。

今まで子ども(人)への関わりはこういう関わりが多かったと思います。

事実は「宿題をやっていない」子どもがそこに居るだけです。

そしてそれには必ず理由が在ります。

その理由を理解しないで、勉強しないことを非難したり、無理やり強制する。

それでもしないと貶めたり、説教したり、罰を与える。
そして子ども(人)に恥、劣等感、罪悪感を感じさせ、動かそうとする。

こういう暴力的な関わりがずっと昔から使われてきました。

私たちがそれをされる側の時、何を感じているのか、感じてみましょう。

そこに悲しさ、痛み、憤り、自分だけで何とかするしかないんだと感じているかもしれません。

わかってもらえない。
一人きりで何とかしなければ…

これが私たちが小さな頃から大人に関わられたやり方ではないでしょうか。

それは家庭、学校、会社、社会、いろいろな場でまだまだ続いている。


私たちはできごとや相手の言動に意味やレッテルを貼って評価したり、それはどういうことだと解釈しています。

先ほどの例の場合、「なかなか」「ぐずぐず」「いつも」「できない」という評価や解釈が入っています。

ぐずぐず言うこと、なかなかやらないなんて良くない。
いつもそんな風なのは問題だ。できない子で困る。

ここでもう感情が湧き上がります。

由佐美加子さんはこれをエセ感情と説明しています。

事実から感じた感情ではないからです。

そこから思考が周り、子どもに対して関わってしまう。

それはもうストーリーの世界が回ってしまっている。

そして…

あなたはグズだ。
ぐずぐず言うダメな子。
いつも問題ばかり起こす子。
勉強できない困った子。

そんな声かけをしてしまうかもしれません。


由佐美加子さんはこの「あなたは○○だ。=Iam ○○.」が自己信念として深く入ってしまい、それを変えることが本当に難しいとよく仰っています。

子どもがそれを生きることになってしまうので、避けたい関わり方です。

また自分の解釈ストーリーから子どもがいつも問題だと感じたり、イライラしたり、将来このままでは危険だと感じて、子どもに支配的、暴力的に関わってしまうことでその信念をどんどん強化してしまいます

それはとても怖いことだし、願っていることと真逆になってしまいます。

そんな風に関わりたいと思っていないのに、危険を察知して、それを改善しようという思考のストーリーが回ってしまう。

これを避けるためには事実と評価や解釈をわけることがとても大事です。

でもこれも習慣になっているのでなかなか難しい。

私は不登校の息子たちと対話する時に感情的になって、対話が続かなくなってしまう自分にうんざりして、自分の思考と感情を書き出すことを長年続けてきました。

そこでどれだけ妄想ストーリー、悲観シナリオが創り出されるのかを痛感しています。

そこで、まず自分の思考や感情が頭に浮かんでも
「そう感じるんだね」と共感しながら、
「後でじっくり聞くからね」と言って置いておくことにしています。


抑圧すると必ずどこかで暴発するので、在るものは受け取る。

強い感情が在るなら先に自分の感情やニーズを受け取ること。

それができていないと、子どもの内側に在るものを否定したり、変えたい衝動を抑えることはできないと思っています。

親にも大切にしたいことが在る。
それは当然のこと。
子どもと自分は別々の人間。

こうやって自分がしっかり境界線を引ける状態にしてから子どもの話しを聞く。

子どもの中に在ることを受け取れないと、どうしたら良いかはわからないし、決められない。


私は息子たちの感情とニーズを聞いてきて、私が勝手に解釈したり、決めつけて誤解していたことがとても多いんだとわかりました。


あらゆる行動はニーズを満たそうとする試み

NVCを作ったマーシャル・ローゼンバーグさんはが『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』の中で

「わたしたちのあらゆる行動は、私たちのニーズに貢献するためである」

と書かれています。


その行動、言葉を選択するのは必ず内側に何か満たしたいものが在る。

NVCの講座の中で、ニーズを満たそうと試みているけれど、ニーズを満たせない結果になっている場合もとても多いと教えてもらいました。

それはなぜなのか?

私たちは子どもの頃からニーズを聞かれたり、大切に扱われることがほとんど無いから自分のニーズが何かをまったくわかっていないから、そこにつながって、自分を理解することがとても難しいんだと思います。


反対に何が良いことなのか、何が正しいのかを散々教えられてきました。

だから自分のニーズを明確に意識することが難しいし、気づきもしないまま、ニーズが満たせない残念な行動を選択している場合がとても多いと教えてもらい、日常で自分の感情とニーズを意識するようになって、効果的でない言動をしていたり、反対にニーズから遠ざかる言動を選択していることも多いなと痛感しています。

またニーズを知らせてくれる感情についても軽く扱われたり、良くないもの(わがまま、弱い、甘え、自分勝手)などとして関わられていることが小さな頃からあまりにも多いんだと感じています。

だからニーズに辿り着くことがほとんどできない。

マーシャルさんは今までの関わりが支配の構造を維持するためで、自分の価値観や願い、大切にしたいこと、ニーズを尊重することを難しくしていると何度も書かれています。

それが自分や人への暴力的な関わりになってしまう。

自分や人を正しいか、間違っているかで判断し、
間違っているものは正されるべきで、罰が与えられるのは当然、
正しいものは報酬がもらえるはず

こういう仕組みになっています。

だから子どもが間違っているならそれを正さなければいけないし、罰を与えるのは当然なんだという考えが染みついています。

マーシャルさんは本の中で下記のように書いています。

少数の人間が大多教を支配する構造に適応するための教育を受けてとたということは、すなわちわたしたちは、他者―とくに権力を持っている人たち―にどう思われるかを優先的に考えるように教育を受けてきた 、 ということです。なぜなら、もし彼らが 「悪い」 「間違っている」 「能力がない」 「愚かだ」 「怠けている」 「わがまま」 と決めつければ、わたしたちは罰せられるし、もし彼らが 「いい子」 「いい生徒」 「いい社員」 というレッテルを貼れば、わたしたちは報酬がも らえるかもしれないからです 。 わたしたちは 「自分の内面で何が息づいているか」 や 「何が人生をよりすばらしくするか」を考えるのではなく、報酬と罰という観点から考えるように教育されてきたのです。

「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』

大人も評価や否定を怖れているので、子どもが評価や否定されることをとても怖れている。

そのためその怖れを正しさとしてぶつける関りになってしまいやすい。

子どもを守ろうとするからこそ、評価や否定されることを怖れて、強く圧をかけたり、改善させようとしてしまう。

私たちは内側に在ること(感情やニーズ)に気づくことやそれを尊重することが本当に難しいんだなと感じています。

教えらえてきたことが内在化され、自分の中に自分を解釈し、評価し、否定し、強制する自分が居る。

私は自分の思考や感情を書き出していくうちにふとした瞬間に自分が何を考えているか、感じているかに気づくようになって、散々自分を責めたり、脅していることに気づきました。

それが自分の感情とニーズにつながることを更に難しくさせている。

子どもやパートナー、両親、友達、職場の人に対しても同じ関わりになってしまう。

私は元々子どもを傷つけない関わりをしたくて、NVCを読みながら挑戦してきましたが、子どもの感情とニーズを聞く関わりをしていくことは自分の感情とニーズを取り戻すプロセスになっていると感じています。

感情が自分のニーズを教えてくれる。    丁寧に感じ取っていくこと

ニーズを知るにはまず感情を丁寧に感じてみることです。

親子で感情に触れる時、親も子どもも安心して、落ち着くと感じます。

また自分が何を願っているのか、大切にしたいのか、どんなサポートが必要なのかがわかる。

明確になるから行動選択ができたり、自分に合ったことを創造していくことができたり、ヘルプを出すことができるようになる。

それは子どもが自分の力や自分自身を信頼するプロセスにもなるなと思います。

グズだ、ダメだと否定したり、正しいことを強制したり、大人の思う通りにしようとすると子ども(人)は自信と情熱をどんどん失ってしまいやすい。


まったく反対の結果になると感じています。

恥、劣等感、罪悪感で人を動かせるという考えが在るけれど、それは一時的で、酷く破壊的な関わりだと思います。

世界の信頼、関係性への信頼、そして自分への信頼を壊してしまいます。

子どもが勉強のことを考えた時にどんな気持ちを味わっているのかを知ろう

では「ぐずぐず言ってなかなか勉強をしない」子どもはどんな気持ちを味わっているのでしょう?

今回は私なりに想像してみます。

その前に感情やニーズを感じとりやすくする為に感情とニーズがカードになっているものが在ります。

私は子どもとの対話していく中で、息子たちが視覚優位だったり、感じていることが漠然としていて言葉にできなかったりしたので、子どもニーズカードを購入して講座を受講しました。

その時に子どもニーズカードのポスターも購入しました。

子どもニーズカードの絵はとてもかわいいくてあったかいイラストになっています。

そのため自分や子どもが今どんな感情が在って、それはどんなニーズを満たしたいのかにつながりやすく、視覚的に受け取ってもらえらことを体験できるのでとてもおススメです。

本当に感情やニーズについて、意識していなかったんだな~。
こんなにたくさんの感情やニーズが在るんだなとわかります。

そしてカードを見ていると、確かに自分の中にこの感情とニーズが在るな~と感じ取れると思います。

(子どもニーズカードは子どもが感じ取りやすい感情とニーズを厳選されています)


子どもニーズカード

子どもニーズカードのサイトを是非見てみてください。
子どもニーズカードはこちらをクリック(写真からもリンクに飛べます)

勉強をしない子どもがその時感じている気持ちを感じてみる

それでは今回は2つ感情を例に出してみます。

例1
頭がごちゃごちゃしている。何からやっていいのかわからなくて不安。

例2
学校の授業が理解ができなくて、解けないのではないかと怖い。

文字で書いて、サラッと読んでしまうと大したことないように感じるかもしれません。

でもそれが今まで私たちが自分の感情に対して関わってきたやり方なんだと思います。

実際に子どもの頃の自分になって、その状況を感じて、味わってみてください。

一旦その時間を取ってみて欲しいです。

すごい不安や恐怖、心細さを感じるのではないでしょうか。

上手くやらないといけないと思うのに、それができない。
誰にもその気持ちをわかってもらえないと感じた時に、
それがどれだけ不安で、怖いのか。
一人ぼっちだと感じるのか。

上手くできない自分はバカなんだ、ダメなんだと感じているかもしれません。

NVCの講座で今の状態が理解できないことは脳にとっては危険で、不快なので、自分は○○だと決めてしまうほうが安心すると教えてもらいました。

これは以前noteの記事に書いた、ベッキー・ケネディさんのTEDや本に書かれていたことやスッダ・クドゥバ さんの本に書かれていたことと同じです。

『GOOD INSIDE 子どもにとってよい子育て』ベッキー・ケネディ 著

著者のTEDの動画でその理由が詳しく説明されているので是非見て欲しいです。



こどものスモールトラウマのためにできること: 内面で何が起きているのか』スッダ・クドゥバ 著

ベッキーさんのTED動画でも語られているように子どもは自分が悪いと考えることで、親や周りの世界は安全で善良だと信じられるほうが生存していく為に必要で重要です。

そのためにネガティブな自己信念が出来てしまう。

これはとても悲しいことです。
大人になっても人間関係や選択、生き方に大きな影響を与えてしまう。

この関わりを減らしていきたい。

でも大人は子どもの頃に感情やニーズにつながる関りをされたことがほとんどなく、反対に否定や強制されることで、自分の感じていることや自分自身を信頼できなくなってしまっている場合がとても多い。


社会や誰かの求める事や正しさに応えなければと自分にプレッシャーをかけたり、前向きに立ち向かうように言い聞かせてきた。

私たち大人は一人でこれを必死にやってきたと感じています。

だからそれを子どもの感情やニーズを受け取ることに抵抗が在る場合も多いのではないかと感じています。

でもそれは自然な感情だと思います。


子どもの感情をわかろうとすることに抵抗や怒りを感じるのは、自分の感情を受け取られない痛みが在るのかもしれない

私はまず大人が自分の感情やニーズにつながり、それが在っていいんだを感じる体験を何度もして欲しいと願っています。

私はNVCに出会う前から登校できない息子たちをわかりたいし、味方でいたいのにどうしても自分の感情が溢れて、ぶつけてしまうことがあって、自分の思考と感情を紙に書き出し、一つ一つを問い直したり、なぜそう感じるのかを感じて、書き出していました。

そこで自分が何を感じていたのかをまったくわかっていなかったなと感じるようになりました。

またたくさんの思い込みが在ることもわかりました。

それは今までに体験や教えられたことから信じ込んでしまっていたことだけど、改めて問い直してみるとまったく違う考えになることやそこまで制限しなくていいものなどがあることに気づきました。


そして子どもの感情をわかろうとして聞いている時に感情的になったり、抵抗が起きたり、怒りを感じる。

それは大人が子どもの頃からそんな気持ちを否定され、親や大人が望む行動を強制されたからだとわかりました。

今まで感情を感じた時に弱い、未熟だ、ダメだと感じて、自分を罰したり、脅して、無理して一人で頑張ってきたかもしれません。

それは大人が子どものころに感じた自分の気持ち。
自分の感情として、感じ切り、受け取ってあげる。


これが何より大事だと思うようになりました。

それができていないと子どもの気持ちを聴ける状態にはならない。

ましてや子どもにぶつけるものではない。

だからこそ自分の感情を理解し、共感し、受容して、子ども(相手)の感情を落ち着いて、聞いて、安心して感じられる状態になることが最優先。

そこから子どもの中に在る感情やニーズを感じてあげる必要が在ると思います。

私がまず大人からニーズカードを何度も体験してもらいたい理由がここに在ります。

自分が感じてきたこと、それを無かったことにして、一人で必死にやり切ってこなければならなかった悲しさ、痛み、孤独、不安、怖れなどを感じて、受け取って、癒すことが最優先だなと感じます。

それをダメなこととして、自分の感情やニーズを受け取らないと子どもや他の人の感情やニーズは受け取れないから。

子どもにしてあげるより、自分にまずしてあげる。

それを体験してもらえたらいいなと思います。

白いハコのお店番では子どもニーズカード(感情とニーズのカード)、ニーズカード、共感サークルなどでそれを体験してもらえたらいいなと思っています。

大人が自分の感情とニーズを感じ取れたり、誰かに評価や否定、アドバイス無く、聞いてもらって、そうだったんだねと感じて、受け取ってもらうことで自分の気持ちやニーズ感じることを味わって欲しいです

自分の感情とニーズを在るものは在っていいとして聞いてもらって、うけっ止めてもらうと

安心感
落ち着く
満たされる
つながりを感じる

それが自分への信頼を取り戻し、自分のニーズや願いから生きていくために本当に大事だと思っています。

心身がリラックスすると思考脳も活発に活動し始めると、脅しや強制ではなく、自分の力につながれると感じてきました。

何ができるだろうという

好奇心
探求心
創造性
感性
特性
気づき
発見
情熱

これらにつながれると感じています。

子どもも同じです。

イヤイヤやったり、自分を脅すのではなくて、落ち着き、安心した中で自分の中にあるたくさんの力につながって考えることができるという体験をして欲しいです。

そこから見た世界やものごとは今までとは違ったものに見えると思います。

そしてニーズが明確になると更にいろいろなアイデアや知恵につながっていくと感じています

感情が教えてくれるニーズを知ろう!

では先ほどの例からそれぞれのニーズを私なりに想像してみます。

本来は一人一人感情もニーズも違うので、本人の中から出てくるものを受け取ってください。

例1感情の場合
頭がごちゃごちゃしている。何からやっていいのかわからなくて、不安だと感じている。

ニーズ わかってほしい 安心 見通しがつく 見守ってほしい 

いくつか書きましたが、ニーズはいくつも在るかもしれません。
ニーズの優先度が違うかもしれません。

また同じ感情でもニーズは一人一人違うかもしれません。

感情とニーズを聞き合うと、本当に一人一人感じていること、満たしたいもの、願い、価値観、やり方などが違うんだなを体験してもらえると思います。

親子でニーズがわかると

どんな風にやりたいのか
何ができるのか
どんなサポートが必要なのか

共に話し合ったり、子どもが考える過程をサポートすることができます。

子どもが自分を信頼して、挑戦するプロセスを見守りやすくなります。


ここで子どもの感情を問題だと考え、解決しようとしたり、変えようとしない。

どんな感情も在ってもいいと感じて、受け取り、理解することがとても大事です。

子どもが自分を理解したり、自ら気づく場を守ること。
その子なりのプロセスを邪魔しない。

今を否定することは子どものネガティブな自己信念ができるほうに加担してしまいます。

また子どもの感情を勝手に想像するのも、子どもが自分をありのまま理解することの邪魔をしてしまいます。

ただ在るがままを感じて、受け取っていく。

その豊かさ、パワー、可能性を自分が体験しているとわくわくや安心から子どもの感情やニーズを共感的に聴けると思います。

私が息子たちとの対話で痛感したのは、私が彼らが感じている、必要としていると想像したことは私の感じ方、私が満たしたいこと、やり方であって、彼らのものではなかったという事です。

そして対話の途中で、勝手に想像して、わかった気になるというのも散々やってきました。

それがその子の自己理解、気づきの邪魔をする。
親も子どもを理解できなくなってしまう。

だからここをじっくり丁寧にやることです。

今すぐ勉強する子にしたいという自分の気持ちや願いをとことん受容しながら、同時に子どもの今を受容することです。

簡単ではないけれど、体験を重ねる度に、できるようになっていったり、そこにたくさんの可能性や宝があると感じられて、一緒に感じにいけると感じています。

本当に一人一人じっくり感じて、味わってみてからわかるもの。

そしてその体験が少ないから子どもだけでなく、大人も自分の感情とニーズを感じ取ることが最初はなかなか難しいです。

それは今まで教えられてきたように感情やニーズを良い悪いとジャッジして、正しいことをしなければ、改善しなければという思考が回ってしまうからかもしれません。

だからそれを表現したり、感情のカードから選択することに抵抗があったり、怖かい、恥ずかしいと感じる。

大人は特にそもそもそんなもの無かったことにして、危険を回避している場合がとても多いと思います。

恥、劣等感、罪悪感を感じるように訓練されてきて、それを明かすことはとても危険だと感じます。

親子が真実で語り合う時にここが本当にネックになります。

子どもの年齢が上がるほど、教育の結果で自分の中に在ることを出すことが難しいと三兄弟と対話する中で感じてきました。

また今までの関わりで、親が評価、否定、強制、改善しようとしていると感じて、明かさないということも在ったと思います。

ニーズカードは思春期の子にすることは簡単ではないかもしれません。

でも少しずつ体験していくと自分の気持ちや自分が何を満たしたいのかを理解したいと思うようになっていくと感じます。

地道なように思えますが、それを感じ取っていくと加速していくと感じています。

だから諦めず、少しずつでもトライして欲しいです。

また大人が自分の感情とニーズを受け取ってもらう体験を何度もして、自分の感情やニーズを感じ取れるようになっていくとカードを使わなくても、その場の子どもが自分につながりやすい問いが見えてくると感じています。


それだけ私たちは感情やニーズを感たり、表現することを危険だと感じています。

パートナーや友達、自分の親、職場でも感情やニーズなんて話していたら危険だと感じる。

何故ならそれを表現することは自分が評価、非難、罰、強制の対象になると感じるからです。

でもココを取り戻していかない限り、人や自分への決めつけから出ることはできないと思います。

そして望んでいないのに結果的に暴力的な関わりになってしまったり、自己表現を諦め、相手に合わせることで怒りや悲しさを貯め込み、暴発したり、わかりあえないと感じ、距離を置いたり、別れるしかなくなる

こんなことを繰り返しているのではないでしょうか。

それはとても悲しいことです。

私は上手くいかない時が在っても、それを受容しつつ、諦めないでトライしたいと思っています。

それには子どもたちがとても力になると感じています。

長くなってしまいました。

ではもう一つの例を感じてみましょう

例2の場合
学校の授業が理解ができなくて、解けないのではないかと怖い。

まずこの子が感じている怖さを感じてみると、みんなが理解しているのに、自分は理解できない、取り残されたと感じる体験が何度も在るかもしれない。

わからないのに、そのままになっていて、どうしていいかわからない。
指名されて、解けずに恥ずかしい思いをする。

それを感じ取っていくと、

ニーズは
安心 きいてもらう・わかってもらう きにかけてもらう うまくなりたい たすけてもらう

こんなニーズが在るかもしれません。

これを一人で抱えたままになってしまうなんて、悲しすぎます。

ここで大人が子どもにできることが在ります。

感情とニーズがわかればその子に合ったサポートができます。

また自然と共感的に関わることもできます。

何故なら感情とニーズは誰の中にも在るもの、感じ取れるものだからです。

そして私たちは感情とニーズでつながりを感じられる。

先ほど書いたようにその子によってニーズは違う可能性が高い。

子どもが感じて、表現することを手助けしてあげることがとても大事だなと思います。

そこでどんな感情やニーズが在っていいと伝えて、今までの価値観や考え、受け取り方をアンラーニング(問い直し、学び直す)していくことが必要だと思います。


子どもニーズカードニーズカードポスターは見て、選択できるので、感じたり、表現しやすいと思います。

選択をしたものを受け取ることで、受け取ってもらえたと視覚的に認識できるのも利点です。

ニーズや願いが強いものこそ怖れや不安から逃げたくなる

ニーズを受け取っていくとその中に自分なりに頑張りたい、上手くなりたい、挑戦したいなどのニーズが在ることを感じます。

でもそのニーズや願いが強いほど、怖れや不安を強く感じるんだと自分や息子たちとの関わりで感じてきました。

その怖れや不安もそのまま在っていいと受け取ることで、安心し、それに圧倒されることが減っていくと感じています。

でも私たち大人は願いが強いなら怖くても、不安でも突っ込んで、努力するものだと教えられてきたと思います。

だからそんな自分を責めたり、恥ずかしいと感じたり、怖くても無理してやるしかないと自分を脅してきたかもしれない。

それを子どもにもやらせたくなる。

でもそこに安心して自分につながる世界が無くなってしまう。

自分につながることで気づけるもの、活用できるものに触れられず、内側で自分を責めたり、脅しながら、頑張っている大人はとても多いと思います。

またそのせいで心身の健康を害したり、人に対して厳しい関わりが多くなってしまう。

それは自分の痛みや怖れから来ているかもしれません。

ここを受け止めることがとても大事です。

それは今までの子どもや人への関わり方で、長期的に見たら人を無力化する。

反対に在るものを在るがまま受け取り、自分とつながっていることでたくさんのメリットにつながれます。


ニーズがわかるメリットが多過ぎる。

私はニーズがわかるようになって、たくさんのメリットが在るなと感じています。

アイデアや知恵につながりやすい
選択・探求・創造する力につながりやすい
自分の中に在る力を感じ取れる
人とのつながりを感じやすい

また共に感じて、受け取ることで一緒に探求・創造する位置になれる。

下記は以前NVCの講座の3回目を受講した際に受け取ったことをインスタグラムに投稿した画像です。

画像からリンク先に飛べます。


インスタグラムの投稿

子どもの感情とニーズを聞ききって、IとYOUそれぞれではなくて、WEの私たちなってからどうできるのかを話し合うことができる。

理解するから共に探求・創造することができるので、つながりを感じたり、可能性がひろがる

これがお互いを尊重するNVCが大切にしていることです。
誰かの力を奪ったり、対立した関係になりにくい。

お互いがそれぞれの感情とニーズを聞き合い、それぞれのニーズを満たす形で何ができるのかを考えていける。

それはどちらかが我慢したり、押しつける関係ではなくなります。

またニーズがはっきりするとアイデアを思いつきやすくなるので、自分の力を感じられる体験も増えます。


ここで最初に書いた解釈からスタートした場合と比較してみるとその違いはを感じてもらえると思います。

自分を固定した、受け身の人と捉えるのではなく、主体的に選択・行動できる人として感じられる

解釈からスタートすると、勝手に決めつけられ、レッテルを貼られ、それが固定した自分のように感じてしまう。

グズ
怠惰
わがまま
未熟
努力が足りない
いい加減…

レッテルを貼ったり、恥、劣等感、罪悪感を感じさせ、罰を怖れることで人を動かす。

これが今までのやり方だったと思います。

批評、評価、否定、強制、アドバイスなどいろいろな形で当たり前に蔓延している。

でも一人一人の内側に本当に在ることを受け取って、理解してから関わることで、そこから何ができるんだろうと主体的に考えられる。

怖れ起点か
わくわく起点か

無いことを補う視点か
在ることから創り出す視点か

これで大きく変わってしまうと感じられると思います。

子どもにどちら側で学んでもらいたいのか。
ここをじっくり考えてみる必要が在ると思います。

子どもの感情やニーズを受け取っていくうちに得られる副産物

また私は自分や息子たち、他の人たちの感情とニーズを聞くうちに、いろいろなものが得られるなと感じています。

好奇心や関心、願いが在ること
意識や注意が向かいやすいこと
痛みになりやすいこと
知恵や特性や感性を感じられること
視覚や聴覚優位などの見方、受け取り方、理解の仕方の特性

子どもや自分の傾向が見えてくると感じています。

まだまだ探求中ですが、ここにすごい可能性と力が在ると感じています。

子ども達を巻き込み、感情とニーズを感じ取ることから得られるものを受け取っていけたらもっと可能性がひろがったり、得られるものが在るかもしれません。

またたくさんの人で探求して、その結果わかったことを共有していくことでもっと気づけるかもしれないと感じています。

その可能性を感じているので、共に探求していく仲間を増やしたいと思っています。


解釈からではなく、内側に在ることをありのまま受け取ることで得られる可能性

子どもだけでなく、自分や周りの人に関わる時にまず解釈から入ってしまうことがとても多いことを日常で自分の思考や感情を眺めて、受け取ってみてください。

それが自己信頼、信頼できる人間関係、自分の知恵や力への信頼を難しくしているかもしれません。

在るものを受け取ること。
シンプルだけど、慣れていなくて難しい。

私たちは無いもの、足りないものを見つけて、補ったり、改善することを訓練されていて、そればかりに注目していまう癖があると思います。


でも「在るものをありのまま受け取る」
ここに可能性やつながり、安心、パワーなどが在ると感じます

子ども達が怖い、不安だと感じた時に安心して、自分の中に在るものは在っていいと信頼して、感じたり、表現できる関わりをすることがその可能性や力につながることだと感じています。

またその難しさについても共有や相談し、理解し、励まし合い、探求・創造していくことは子どもたちがこれからのあらゆる人間関係で感情がぶつかる難しい場面で、お互いを尊重する対話ができる力になっていくと思います。

私は子ども達、家族、友達、職場の人、地域のつながりでそれを探求したいし、共に探求したり、助けたり、支え合えるといいなと思っています。


また長くなってしまった。
短くまとめられない…。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。




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