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まだ生きてたのカタカムナ

「忘れ去られたニセ古代文字」と思っていたカタカムナが,今も命脈を保っているどころか,関連する活動が活発に行われているらしいと知って驚いた。

『ムー』での出会い

私がカタカムナと〈出会った〉のは中学生の時だから,1980 年代前半,今から 40 年ほど前のことになる。
オカルト雑誌『ムー』の記事でだった。

記事は正確に覚えていないが,「銅鐸は音響を利用したコンピューターであり,カタカムナはそのプログラミング言語である」といった話ではなかったかと思う。

当時の私は「どうも『ムー』の記事は怪しいものが多いな」と気づいてはいたものの,名の通った出版社が,それも『科学』と『学習』の出版元である学習研究社が堂々とデタラメな雑誌を作っているとは信じ難い,と考えてしまう程度にはナイーヴであった。

それに,『ムー』には,中学の理科には出てこない相対性理論なんかが出てくる。
学校では味わえない科学の香りがしたものだ(ニセ科学だったけどな笑)。
ESP(超感覚知覚)やフリーメイソン,超古代文明,永久機関,ピラミッドパワー,オルゴン・エネルギーなんかも魅力的に映った。

往時,大学で理系に進む者の中には,『ムー』なんかを読んで科学的好奇心に火をつけられ,やがて『ムー』を卒業し,大学でマトモな学問に親しむ,という者が一定の割合でいたと思う。
ある種の通過儀礼であったのかもしれない。あるいは一生モノの免疫が獲得できるしんのようなものだったかもしれない。

しかし,件のカタカムナの記事は荒唐無稽すぎて,当時の私にも受け入れ難いものであった。

カタカムナとは

カタカムナはエンジニアである楢崎皐月氏(1899—1974)の創作物である。
楢崎氏は 1960 年代の著書でこれを発表した。
氏の主張はおおむね次のようなものらしい。

  • 1950 年頃,六甲山系の山中でひらとうという人物から,その父が宮司をしていたカタカムナ神社のご神体である巻物を見せられた。

  • それは未知の文字で書かれていた。

  • その巻物をノートに書き写した。

  • 解読した結果,古代日本の科学書であることが分かった。

文字はカタカムナ文字と呼ばれ,巻物はカタカムナ文献と呼ばれている。

なお,私は中学生以来,「カタカムナ」は文字の名称だと思っていた。
「仮名」は古くは「かりな」と読まれ,その音便で「かんな」,そして「かな」になったわけで,「カタカムナ」の「カムナ」の部分はそれみたいなものだろうと。「ん」の音を「む」で表記する時代もあったし。
というか「語構成的には『カタカナ』と同じだよね」くらいに思っていた。

Wikipedia には「カタカムナ」の項は無く「カタカムナ文献」の項がある。ここに「カタカムナ神社」「カタカムナ文字」などが出てくるが,「カタカムナ」自体が何なのかよく分からない書き方になっている。

現在カタカムナを信奉している方々のサイトを見ると,カタカムナは宇宙物理学であったり,文明の名前であったりと,たいへん壮大な話になっている。

カタカムナは本物か

カタカムナ神社も平十字という人物も,楢崎氏が主張しているだけで,実在する証拠は無い。

楢崎氏はカタカムナ文献を「書き写した」が,現物は無い。そりゃ「ご神体」なんだもの,入手できなくても仕方ないよねえ。

楢崎氏が見たと主張するもの以外に,カタカムナ文字で書かれた古文献は存在しない。

これで信じろというほうが無理である。

カタカムナ文字の他にも,「漢字伝来以前に存在した(と主張されている)文字」はいくつもある。まとめて「じんだい文字」などと呼ばれている。

「神代文字」たちは,江戸時代には既に真贋論争があったらしい。というか,大半は江戸時代くらいに創られたんじゃないかな。

カタカムナ文字も含め,たいがいの神代文字は近世以降の日本語の発音体系に基づいて創られている。「古代日本の文字」のわけがないのだ。

カタカムナのいま

最近まで私はカタカムナについてノーマークだった。
カタカムナは幾何学的な図形の組み合わせになっていて,いかにもエンジニアらしい発想とは思ったが,とくに興味は惹かなかった。

まあ,神代文字の類がなぜどのようにどんな思想のもとに創作されたのかについて文字学的な興味も無くはないが,まともな学者が研究してくれないので知る機会もない。文字関係の書籍には,好奇の対象として図版が載る程度だ。

ところが,カタカムナについての(実在した古代文字という前提での)書籍が何十冊も出ていることを最近知ってたいへん驚いた。

本物の古文字であるルーン文字が残念なことにオカルトと結び付けられて書店の一隅を飾っているが,それよりはるかに多くの書籍が出版されているのだ。

よもやと思って地元の公共図書館のオンライン検索システムに「カタカムナ」と入れたら七点も出てきて,あやうく机の縁に額をぶつけるところだった。
(なお,私は「公共図書館はトンデモ本を所蔵してはならない」とまでは思っていない。研究資料にはなりうるので。ただし,扱いは慎重であるべきと考えている。)

カタカムナの「研究者」もいるらしいし,カタカムナを使った何かの活動も盛んにやっているらしい。
カタカムナを広めるための講師の組織的な養成も行われているらしい。

それどころか国語教育への応用もされていると知って目玉が飛び出すくらいに驚いた。
ただ安心してほしい,教育の件は私的な活動であって,(知る限りでは)公教育でそれが行われているわけではない。その点で「水からの伝言」とは異なる。

いやはや半世紀以上前のフィクションがここまでの広がりを見せるとはね。

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