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無理に言葉にしなくていい

何かに感動したり感銘を受けたとき、言葉にできない感覚がある。最近の便利な言葉を用いて表現すれば「尊い」や「エモい」が近いが、それだけでは言い表せない、生々しい感覚である。そんな感覚を久々に覚えたので、以下に記録していく。

先日、母校の部活動にOGとして参加してきた。
その部活とは過去のnoteでも時々登場しているスパルタ美術部である。スパルタと言っても顧問が竹刀を振り回して怒鳴り散らしているわけではない。美術への真剣な向き合い方をあの手この手で休む暇なくしつこいくらいに示してくれた素晴らしい部活だ。

今回参加した活動の内容は、地域のイベントの一環として、メインストリートでライブペインティングをするというものだ。

現役部員とOBOGおよびその家族を合わせて総勢20名程が参加し、午前と午後で計18枚の絵を描きあげた。

制作風景

本格的に筆を取るのも久々で、屋外かつ複数人で、ましてや不特定多数のギャラリーがいるなかで絵を描くのはほぼ初めてだった。
美術系の大学を目指す現役部員や、今まさに学んでいる若いOBOGと交流しながら絵を描くなかでいくつか感じたことがあった。

観る側にとってのライブペインティング

観る側にとってのライブペインティングの醍醐味とは何だろうか。私は「人の制作過程を見られること」だと思っていた。恥ずかしながら、それだけではないということを後輩に教えてもらった。一番の醍醐味は「時間の経過とともに変化していく絵を楽しむこと」だという。これは、地域の方からこの絵はいつ完成するのか?と問われた後輩が返していた答えだ。

言わば、完成とするまでがライブペインティングであり、完成した瞬間にライブペインティングは終わるということだ。言われてみればたしかにそうだ。描き手の技術や制作過程を間近で観られるのも醍醐味の一つかもしれないが、それがメインではない。せっかく“ライブ“なのだから、次にどんな色でどんな線が描かれるのか、どんな形に変わるのかを純粋に楽しみたいと思う。

描く側にとってのライブペインティング

では、描く側にとっての醍醐味は何だろうか。率直な感想を言えば「偶然による発見」だ。
今回、複数人で合作したことでそれを強く感じた。合作したメンバーはそれぞれ得意な画材や画風が異なり、私を含め制作から離れて久しいメンバーもいた。

ライブペインティングが開始されると、最初のうちは何となく担当範囲を分けて描いていく。しかしそのうち他のメンバーの担当範囲にはみ出したり、場所を交代する。そして互いの色使いや画風を真似たり、上書きしたりしていく。
画材についても普段自分が使っているものとは違ったり、使える道具が限られた中で制作を進める(今回は水の使用禁止、筆はウェットティッシュで拭っていた)。観衆の中で手を止めることなく進めるため、筆使いに躊躇がなくなっていく。

そうすると、思わぬ偶然が生まれる。
普段使わない画材や色使いを試してみると意外と描きやすかったりする。誰かの技法を真似ることで技術の幅が広がる。たとえ自分が描いた部分が上塗りされても、他の色や技法を試してみようというやる気すら湧く。細かいところを仕上げるよりも全体のバランスを見て描こうという意識が生まれる。そうして作品は誰の想定とも異なるものに変化していく。

これらは全て、自分だけで描いていたら得られなかった発見だ。凝り固まっていた絵への向き合い方を考え直すきっかけになった。実際、元々自分で描き進めていた絵の塗り方が少しだけ大胆になった気がする(はみ出しているとも言う)。

制作風景
メンバーの筆使いを真似たもの

感じたこと

ここまで小難しく書いてはみたが、シンプルにものすごく楽しかった。
久しぶりに合う尊敬する先輩たち。無邪気に懐いてくれる先輩の子供たち。初対面で年齢も離れているのに気兼ねなく話しかけてくれる若い後輩たち。
好きな色を好きなだけ使える絵の具。描いても描いてもまだ描ける大きなキャンバス。秋晴れによる文句なしのライティング。
互いの画風や色使いを讃え合い、真似をしたり上書きしたりすることで生まれる発見。どんどん変化していく絵。ライブペインティングが終わると、カオスなのにまとまりのある不思議な作品が出来上がっていた。

ライブペインティング終了後の一枚

なお、パートナーにこの話をしたところ「普段は結果主義だけど、今回は結果だけじゃなくて過程を楽しむことができたんだね」と言われた。絵が変化する過程を楽しむことを教えてくれた後輩に感謝である。

投稿タイトルについて

イベントが終わった後は、文化祭の後のような達成感と心地よい疲労感に加えて、何ともいえない活力が湧いていた。また、それと同時になぜか泣きそうになっていた。
なぜ泣きそうになっていたのかは分からないが、全員で力を合わせて作品を作り上げたことや、自分の中でたくさんの発見があったこと、無事にイベントを終えられたことに感動していたのだろう。

その感覚は「尊い」や「エモい」など特定の言葉だけで表せるものではなかった。noteで曲がりなりにも文章を書いていてこう言うのもなんだが、無理に言葉にしなくてもいいことがあるのではないか。言葉に無理に押し込めるとはみ出た部分が削ぎ落とされてなくなってしまう気がする。
今回の言葉にし切れない感動はこのまま胸の中に大切にしまっておく。そして、辛いことや悲しいことがあったら思い出すことにする。

余談

ちなみに、キャンバスが大きいので文字通り全身のストロークを使って描いた結果、全身がひどい筋肉痛になった。一応ジム通いをしているのに、これまでのトレーニングが甘ちゃんだったと言わんばかりの痛さだ。段ボール箱いっぱいの絵の具やイーゼルを張り切って運んだことも響いたと思う。でもそれを含めてもとても楽しかった。

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