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初めての地方暮らしに一歩踏み出した先に ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 結婚するまで東京に、結婚して新居は横浜の社宅といわゆる地方暮らしをした経験が有りませんでした。地方暮らしや海外暮らしには憧れが有りました。鉄鋼会社で研究員としての社会人スタートしていましたので当面は大きな研究所のある横浜か福山の生活、あわよくば北米の買収した鉄鋼会社の研究所かなぁと思っていました。まぁ論文ドクターでも取得してから企画部門、役員狙いかな。

【縁、なんとなくここに来そうな予感がしていた】
 しかし社内結婚で企画部門へのキャリアパスが開き色々有って日本海側の都市に転勤となりました。

  その辺の話は以下もご覧になって下さい。


 2回、2泊3日程度の出張で訪れたことのある事業所でした。

縁なのか
運と勘としつこさの人生の「運」なのか

 その事業所に併設されたエレクトロニクス部門が電気特性を測定する特殊な装置を持って居ました。それを借用するためでした。出張時になんとなくここに将来勤務しそうな予感がしていたのです。しかし新設の次期中核事業への抜擢人事でとは夢にも思ってませんでしたが。

【会社のお金でのワーキングホリデー】
 憧れの地方暮らしの始まりです。
会社のお金での

 ワーキングホリデー

しかもキャリアパス保証付きです。サラリーマンになったら一度はしてみたかった。しかも子供は2歳で転校等の問題もまだ無い最高のタイミング。

またまた、
運と勘としつこさの人生の「運」なのか

【期待通りの町】
 川沿いの小高い所にある事業所敷地の脇にはのどかな路面電車が走っていました。川沿いにはお決まりの桜並木。その町は400年程昔から鋳物、金工品で有名で有ったそうです。港には日本海の海の幸が上がり、上物は全て東京に運ばれるものの、お手頃な価格で、紅ズワイガニや白エビ、キトキト(新鮮なという意のその地方の方言)な魚がスーパーに溢れて居ました。路面電車の終点近くには稼働可能な帆船が停泊していていました。しばらくすると改修のために浦賀に回送されてしまいました。今はその帆船は恒久的に一般公開されています。
 山に行けば日本海側の急峻な山々、それが海に蜃気楼となって浮く、古びた山里、川、ダム、トンネルなど期待以上の楽しい田舎暮らしでした。
 借上社宅のとなりが広大な駐車場を持つ文化会館でした。ホールや子供向けの本やちょっとした読み聞かせスペースを持つ図書室も有りました。雨の日でも2歳の子供には十分な遊び場でした。
 そのとなりには公園が有りました。吾妹と2歳の娘とお弁当を持ってよく遊びに行っていました。ご近所の同年代の子連れの方と仲良しになって一緒にお弁当を食べながら子供を遊ばせていたようです。

 私も特に当時は二級酒というのがまだ有って、リーゾナブルに旨い酒が呑めました。 
 また、海産物も秀逸でした。冷蔵庫に入れてあったかにみそを娘に食べられるなんていう微笑ましい出来事も有りました。(笑)

 その辺りは以下をご覧になって下さい。

 期待通りのほっこりした生活を楽しめました。

【地方暮らしに一歩踏み出した先に】
 新たな地方暮らしが

 しかも国内ではなく
 アメリカでの地方暮らし

シリコンバレーに家族帯同駐在の暮らしでした。

 アメリカ駐在したいという夢を掴むために“しつこさ”を発揮、あざとかわいさを演出し幹部の心をつかんで未来を切り開いたのでした。

 その辺りは以下をご覧になって下さい。

 運と勘としつこさの人生は楽しい。








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