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親のせいにも環境のせいにもできない歳になってた

わたしには,こんな人になりたい,こんなふうに生きたいっていう理想が,もうほんっっっとにたくさんあるんですね

考え方とか行動,仕草,ふとしたときに出る言葉,表情…

こうなりたいがありすぎて,それを目指してはいるんだけど,やっぱり完璧な“それ”にはなれなくて。
結局,自分のきらいな部分が頑張って理想に近づこうとしたんだけど無理でした~~みたいな醜い部分だけが残って形として見えてしまって。

それに気づくたびに「あぁーーーーやっぱだめなんだよな~全然足元にも及ばないんだよーーーー」って,悔しくなるんです,笑



人の持っているキラキラした部分を指さして「いいなー!あれ欲しい!」って言うのって,簡単なんです

その人がどれだけの努力をして手に入れたものかなんて考えずにただ自分も欲しいとうらやましがればいいんですから。

ちょっと言い方が刺々しくなってしまいましたね,すみません。

でも実際たまーにいますよね
全然頑張る気ないくせに人が持ってるものをあたかも運よくタダでもらえたものみたいに妬みながら欲しがる人。
気楽でいいなーとか思っちゃいますよ


わたしは,できないから苦しい
「いいな~ずる~わたしも欲しい~」
そんな風に言えた方が楽なんですよ絶対。
だって逃げてるだけですから。
頑張ること放棄して,人のことを自分とは違う天才扱いしてうらやましがってればいいんですから。
でも,できない。
理想はたくさんあるのに,それに近づく力が足りてないことが悔しい
ちょっと前まで「天然~笑 可愛い~笑」って言われてた部分が今はただただ鬱陶しい。
先のことまで読み取る力や相手が本当に言いたいことを読み取る力,自分の思っていることを的確に伝えられない語彙力のなさ。
全部全部悔しい。


今までなら「そんなこと教わってない!」で済ませれてたことが,社会人が近づいてきている今,「じゃあ学べよ」の歳になってきちゃってるんですよね
恐ろしいことに。

もう親の育て方のせいにもできない
環境のせいにもできない
ただ「学ぶ気がなかった自分のせい」
どう寄り道してもそんな結論にたどり着いてしまうことに毎回新鮮に苦しみながらも
とりあえず本読むか~ラジオ聞くか~新聞読まなきゃか~となんだかんだ前向きで入れている今日この頃です。



何が言いたかったかって,そんなもんないです
自分も忙しい,周りも忙しそう
そんな中でこんな話をだらだら聞かせるために人を誘えなくて
でも吐き出さずにはいられなくて書いただけのものです

ここまで読んでくださった方がもし,もしいらっしゃったならあなたは相当な変わり者ですね

嘘です。とっても嬉しいことです。
ありがとうございます。



では。

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