#3 モヤっとボールを投げたい。日本の英語教育にモヤっとしたこと5選
こんな熱い想いを胸に英語教師になったはずなのに、
いつの間にか理想と現実の差に驚き、やりたいこととやらなければいけないことに板挟みな毎日でした。
そして、たびたび日本の中高の英語教育にモヤっとしてしまい心の中でモヤっとボールを投げまくっていました (笑)
生徒と過ごした毎日はそれはそれは楽しいものでした。
しかし、教師時代を振り返って、これてってどうなの?と私があくまで個人的にモヤモヤしたことを今回は吐き出したいと思います。
モヤっとしたこと5選
《 モヤっとその1 》 テストが目的になっている?
英語の授業中、生徒に聞かれたことがあります。
「先生、これはテストに出ますか?」
「先生、今のはテストと関係ありますか?」
「先生、テストのためにどこを勉強すればいいですか?」
君たちはテストのことしか頭にないのかー!と言いたくなります。
たしかに生徒にとってテストは最も大事なことかもしれません。むしろこちらがそうさせているのかもしれません。
けれど英語学習において本来であれば
〇〇スキルを身につけるために〇〇の活動をする
〇〇を理解するために〇〇を行う
という目的があったうえで授業のゴールを明確にする必要があり、
学ばせたいスキルや理解が深まったどうかを評価し、内容を振り返る1つの手段としてテストがあるのでは?と思います。
けれども、学校現場はいつしかテストで良い点を取るため、成績を良くするために英語学ぶ又は勉強させるとなってしまって、目的と手段がごちゃごちゃになっている気がします。
そしていつしかテストが人をランク付けし、人を測る手段として使われてしまい、生徒の自尊心を傷つける場合もあります。
誰のためにやっているのかますます分からなくなります。
なんのためにこれをしているのか?Purpose / Learning Objectivesがあいまいなことが多いことにモヤっとしていました。
《 モヤっとその2 》 正しく訳さないといけない英和訳
こんな出来事がありました。
あるクラスの生徒さんは
いつも英語のテストで赤点。
そして習熟度も一番下のクラス。
しかし、私がその子と実際に話してみると
実は英語がペラペラで驚きました。
ではなぜテストの点数が低いかというと、そのテストは文法や英訳がほとんどだからです。文の意味は理解できているのに、日本語での言い回しや語句の順番などが正確でないため、減点されていました。感覚的に英語を使える彼にとって、正しく日本語に訳すことは大変だと言っていました。
英語をすでに話せる人が「英語ができない」とレッテルを張られている状態ってどうなんだろうと思ってしまい。。。
英和訳というのは、文法の意味や構造を理解するのに便利であるとは思います。しかし、通訳者や翻訳者を目指しているわけでもないのに
そこまですべて一字一句正しく訳す必要があるのだろうか。英訳の例文を暗記させる意味があるのだろうか。
また、英訳をしすぎてしまうと、常に英語→日本語と言語を切り分けて考えてしまい、とっさに英語を使うことも難しくなるのでは?とモヤっとしました。
《 モヤっとその3 》 リアルな会話を聞く機会がない
学校現場では検定教科書を使って授業することが求められると思います。
けれど、教科書に出てくる例えば会話文などは本当にリアルの世界でどれくらい使われているのだろうか?
例えば、Hi, how are you?
というフレーズ。
もちろんよく使いますが、若者同士が話すときはもっと
Hey, what's up?
What are you up to?
という言葉も使うと思います。
しかしこれらは滅多に教科書には登場しません。生徒に Hi, what's up? とたまたま言った時、上を見上げた生徒を見てハッとしました。
また、
信じがたいことに出くわした時に言う
Really?
他にも
"What? You kidding me?" "No way" "You joking“
みたいなくだけた表現もリアルな会話の中ではあると思います。
教科書というのは、ある意味型を教えたり、わかりやいようにあえてくだけた表現や文法は載せていないのでしょう。それらにもメリットはあると思いますが、じゃあ実際に外の世界で使われている英語はいつ教えるのか、もっとリスニングなどの教材はオーセンティックなものを使ったほうがいいのでは?とモヤっとしていました。
《モヤっとその 4 》 文法用語が暗号のよう
文法を学ぶこと、教えることは英語学習には必要だと思います。
ただ、文法のみを学ぶ授業や文法用語を覚えることに焦点を当ててしまうと、知識ばかりが増え英語を実際に使うとき、正しい文法ばかりを気にして使えなくなってしまいます。
実際、私は海外に住んでいた時は文法などあまり気にせずどんどん話していたのに、日本で教師になって文法を教えなくてはいけなくなってから、正しく使わないと、、、と謎の使命感に襲われ、文法を気にしすぎてしまい話す前に考えるようになってしまいました(汗)
例文を板書し文法用語を用いて文を解説する。
ルールを細かく説明する。そして生徒はそれをただ写す・・・。
まるで言語学でも教えているような気分になります。
文法はある程度感覚的につかむことも時には大事では?とモヤっとしていました。
《 モヤっとその5 》 自分を英語で表現する場がない
授業中に英語を話す時間が少ないというのはよく聞くことです。
英語を学ぶ醍醐味は、学んだ文法を使ったり、覚えた語彙を使ったりして、相手に伝えてみて、伝わった!とうれしくなってまた使ってみてを繰り返していく中で、どんどんコミュニケーショが取れるようになっていくものではないかと思っています。
ただ、実際の授業では、生徒が口を開けるのは、先生が文を読んでリピートさせるときくらい。または、ペアやグループで会話を練習したとしても、決まった文を練習させる場合が多いと思います。
初心者の場合は文のリピートや音読も大事ですが、それだけやっていると実際の相互のコミュニケーションで自分の言いたいことを自分なりに表現できるだろうか。
普段からアウトプットする機会をもっと生徒1人1人に作ったほうが良いのでは?とモヤっとしました。
最後に
記事を書いていてまたたくさんモヤっとボールを投げてしまいました。
私は日本で英語教育を受けていなかったので、最初は驚くことばかり。
もちろん、海外の教育が正しいとか、海外の教育のほうが良いというわけではありません。ただ、悔しいのはいまだに海外では日本人は英語ができないと思われているのは事実のように感じるし、できるとしても自信がない人たちに何人も会ってきました。
また、何か変えようとしても「大学受験には英和訳は必要」など大学受験には○○が必要という理由で受験目的の授業になってしまう現実もあります。
私自身何か違うなと思っていても、生徒を受験に受からせるためには仕方ない、と割り切ったこともありました。
このモヤモヤがきっかけで、本当に今の指導法が効果的なのか研究したいと思うようになり、より生徒中心、英語を実践的・主体的に使うことができる、国際バカロレアが推進している探究学習 (inquiry-based learning) やプロジェクト型学習 (project-based learning) と呼ばれるような指導法により魅力を感じるようになりました。実際にバカロレアコースを担当していたので、その試行錯誤は次回また記載したいと思います。
いつの日かこのモヤっとをスッキリにしたいなと思います。