女の子としての「当たり前」
この夏、私は1人北欧に渡った。
ノルウェーのホストファミリーとの夕食でのことだった。
70歳手前のクリステンはこう言った
「信じられないと思うけど昔はね、ノルウェーやアメリカでは夫が帰って来るまでに女の人がケーキを焼いたり夕食を用意していたのよ。女の人はその繰り返しで、つまらない毎日だったのよ。みんなが今の権利を得るために闘ったのよ。」
私は目を丸くしてこう返した。
「信じられないと思いますが、日本の結婚市場では今でも女性の家事力(家庭力)を男性が買うようなもので、どんなに高等教育を受けていても愛する男性のサポートのために専業主婦(又はパート)を望む層も厚いですよ。」
クリステンは目を丸くした。
この瞬間、文化的差異では片付けられない日本の圧倒的時代遅れを感じた。
"女子のためにあるような一般職"という通念を説明するのに時間がかかったこともそれを表している。
女性が男性と同じように学び、働く権利を当たり前にするためにどれほど多くの世代が犠牲になり、闘ってきたのか。
その事実に身震いがした。
その瞬間、絶対的な「当たり前」なんてないのだと思い出した。
日本に帰国してから周りの環境に流され、日本での「当たり前」に甘んじていた自分が恥ずかしくなった。
世界を見渡せば周りにいくらでもロールモデルはいた。
フィンランド人の元ルームメートは、経済学と数学の修士を同時に取得しようと頑張っていた。
彼女曰くフィンランドの成績上位層は女子が多く、大学でも女子が多いそうだ。(女子が2割程度しかいない慶應経済とは大違いだ。)
「早慶行くような女の子は、女の子はそんなに勉強しなくても良いよという周囲の声を押しのけて勉強しただろうから、気が強い子が多い。」
と、実際に私が耳にした言葉は、彼女を仰天させた。
彼女の母は会社を経営しており、ノルウェーのホストマザーも叔母さんも国際機関で働いていた。
私も私で夢を持って良いんだ。
なんていう当たり前なことを、日本の大学に4年間通っているだけで自分は洗脳されてしまったのだろうと、背筋が凍った。
完全に思考停止した消費者に成り下がり、媚びを売ることや男性の夢にいかに貢献できるかを考えることに何も抵抗がなくなっていた。
努力して学問や技芸を修めても家庭に入らざるを得なかった親世代を責めたくはない。
けれども、親の「当たり前」に子供が盲目的に従順であるべき時代ではない。
photo:ホストファミリーのベランダからの眺め
「これだけは約束して。あなたが日本に帰国してから女の人の尊厳を実現することに尽力して。あなたが変えるのよ。」
クリステンの目にはうっすら涙が浮かんでいた。
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