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「飲み会」を手放した

20代の頃、会社の飲み会には必ず参加していた。
プロジェクトのキックオフ、歓迎会、暑気払い、忘年会、送別会…諸々。

断る理由もなかったし、それが当たり前だと思っていた。
お酒が飲めなかったので、「飲む練習だ」とも思っていた。

職場の人との交流の場とも思っていたので、行かなかったら聞けない話もあるだろう、築けない関係性もあるだろう、そう思っていた。

けれど、いつからだろう。
「飲めないお酒を無理して飲まなければいけないのか?」
「飲み会に参加することでしか得られないもの、って本当にあるのか?」
「第一、私は飲み会に参加したいのか?参加することを楽しんでいるのか?」
そんな風に考えるようになった。


子どもが生まれてからは、子どもを理由に断ってきた。
最初は(というか、つい最近まで)行かないことのデメリットを考えていた。

会社の飲み会なので、補助が出る。
少ない出費で美味しい料理が食べられるのに。
リモートワークが中心になってきたので、会社の人とはほとんど会わない。会社の人と会う機会なのに。

一番はやっぱり「飲み会って楽しいものなのに、その時間を自ら手放してよいのか」ということが気にかかっていた。

でも私、飲み会楽しんでないよね。

多分私は、「飲み会」に並々ならぬ幻想を抱いているのだろうと思う。
美味しいものを、みんなでワイワイ言いながら食べて、普段は話せないような話をして盛り上がって、絆が生まれる、みたいな。

でも、私が抱いているような幻想はたぶん、ない。
もしかして、どこかに転がっているのかもしれないけど、私はそれを拾えたことがない。
過去を思い出せば、そんなことがあったような気もするけど、10回中1回くらいか。

「今回はきっとそんな飲み会かもしれない」
そう思って、毎回欠かさず参加してきたけれど、そうじゃないことの方が圧倒的に多かった。

打ち解けた人じゃないとうまく話せない、大人数で話すことが苦手。
そんな私は、飲み会の場でだって、もちろん話せない。

隣の島が盛り上がっているのを横に見ながら、「楽しそうでいいな」と思ったことも、可愛い先輩や後輩だけがちやほやされて、「私なんでここに居るんだろう」と思ったことも、ある。

あぁ、私は飲み会を楽しんでない。
楽しくない場所に、無理していく必要なんてないのかもしれない。

そう思って、手放してみた。
"子どもがいるから"という理由もあるけど、それ以上に"私は行かなくても良い"という選択を、自らとってみたのだ。


飲み会の日までは、どこかソワソワしていた。

あの人も行くのか、話したいこともあったけど…。
でもまぁいいか、別に飲み会という場でなくてもいい。

みんな、どんな話をするんだろう。
楽しい会になるのかなぁ。

でも、飲み会の日を過ぎたら、そんなソワソワふっと消えた。
あ、そういえば昨日は飲み会だったんだなぁ。
あれ?私、行ってなくても別にどうってことないなぁ。
(リモートなので、会社で"昨日の飲み会がどう"とか、そういう話を耳にすることもないし)


「飲み会」を心から楽しんでいる人ももちろんたくさんいると思う。
でも、私はそうじゃないって、自分で選択したら、ちょっと心が軽くなった。
どこかスッと寂しい気持ちもしたけど、手放すってそういうことだと思うし。

そしてこれは、会社の飲み会に限ったことではなくて。
友人との飲み会も、習いごとでの飲み会も、これからは「参加しない」を選択しようと思う。

違和感は、放っておいたらダメだ。
自分で手放す勇気を持たなければ。

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