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「今日もご飯がおいしい」を選びたい

「私は癌でもうすぐ死ぬ」と10年以上言い続けた祖母が、病院の検査で寛解を告げられた。もう定期検診にも来る必要もないと医師に断言されたらしい。結果的に祖母は再発なく過ごせた。

病と暮らす恐ろしさは、自分には想像することしかできないが、義母の居候を全く気にしない娘婿の家で、娘の手厚いサポートのもと、衣食住にまったく困らず、(年齢相応には)健康に過ごせた10年を不幸と言い切れるだろうか。

3食しっかり食べて、自分の足で買い物にも行けて、自分の見たいドラマを見ていられた。「私はもう死ぬ」を武器に、娘や孫に当たり散らして過ごした10年、なにか他のやり方はなかったのかと考えてしまう。

何か不都合な事実があったとして、悪い方だけを見て過ごすと、自分も周囲も損ねてしまう。幸、不幸の判断は、全部とは言わないまでも、ある程度個人の裁量に委ねられている。祖母を見て学んだのはそういうこと。

「もうすぐ死ぬ」を積み重ねる10年と、「今日もご飯がおいしい」を積み重ねる10年。自らを守るための予防線が人生を蝕んでいく様を近くで見てきた。

自分もあの人の孫だ。前者に傾きやすい性質をそれなりに持ち合わせているだろう。ただ、容易いことではないけれど、後者を選べる人でありたいと思う。

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