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「真面目」が蝕む自由な心

「〇〇さんって真面目ですよねー」これ。。。私よく言われる。。。
だがしかし、そんなに嬉しくない自分もいる。。だいたい本当に真面目なら休みの日にこんな意味のわからない文章を描くわけもないし、「文章を描く」という初歩的な誤変換もしないはずだ。

真面目ってなんぞ?

うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

コトバンク デジタル大辞泉より

こういう意味らしい。
周囲から見ればそう見えるらしい。納得いかない。

今回は私の場合の「真面目」を話そうと思う。意義がある方々は画面の向こうで勝手に唱えていただけたらと思う。

真面目って自信の欠如

結論から言うと「真面目」は自信の欠如によるものだと思う。
真面目なやつ(私)は自信がないわけだ。なぜか?
物事の見方が「明確なものだけを評価しようとするから」

ここで1つ「鶏が先か卵が先か問題」が出てくる。
・自信がないからこそ、明確なものだけを目印にしてしまう
or
・明確なものだけを目印にしてしまうから自信がないのか

どちらもあると思う。そしてそもそも「生まれ持った脳の特性」も多少あるのだと思う。
白か黒か思考と言われるやつかもしれない。

つまり、私は主体的に「真面目」なわけではない。真面目にしたくないのに真面目にならざるを得ない。
勝手に動き続けているランニングマシンの上をひたすら必死に動いているだけなのだと思う。

真面目の副作用

「自信の欠如からくる真面目」でいると1つの見方に固執する。真面目でいるとランニングマシンから落ちないように走ることだけに必死になる。

本当は外をゆっくり歩いたら、美しい木々や綺麗な花、きれいなお姉さんたちを見ることができる世界線だってあるはずだ。

真面目でいると自由で余裕に溢れた発想は生まれないように思う。
私はそろそろ真面目を卒業しても生きていけることを実感してみたい。
もうこれからは、「真面目だね」という褒め言葉のような匂いに惑わされずに自由な視点で生きていきたいと思う。

脱 真面目計画

ざっと思いつく限り上げてみた。
・瞑想をする
これはいいですねー ずっと瞑想をしたところですぐに何か手に入るわけでも結果が見えるわけでもない。白黒つけたい!結果がほしいと渇望する私には相反する行為かもしれない。
・女性の話に共感し続ける
これなんかもう、、、、最高にいい!
男性はすぐに1つの方向性を見つけたがる。それが本能でもある。
どこに向かうの?オチは? いやちがうんだよ その話を聞いてただただ味わうだけでいいのかもしれない。
・抜きどころを意識する
多分真面目じゃなくてもなんとかやってけてる人って押さえてるところがあって、それ以外は抜いてるんだと思うのね?しらんけど。
抜くっていうのを意識してみようと思う。心からが無理ならまずは身体からやね。

でもさ 真面目でもいいじゃん

結局さ見てよ これ 真面目じゃん 
こんな真面目についていちいち書くあたりも真面目そのものじゃん
いいんだよ どっちでも。 どっちでもいいけど、違う可能性もあるよってことを知るか知らないかなんだろうね・・・

多分そゆことなんじゃな〜い?

はい。 特に意味もなく、方向性もなく終えてしまいました。これが脱真面目による投稿でした。

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